ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

進化論は科学的で、創造論は非科学的か?

2005-04-18 | 中川健一のおはなし


◆4月号◆進化論は科学的で、創造論は非科学的か?


 2月末に、京都インターナショナル・ユニバーシティー(KIU)教授の安藤和子先生の番組が放映されました。テーマは、「進化論か創造論か」というものでした。このテーマは、日本での宣教を考える時、避けて通ることのできないものです。放映後、普段ないような反響が返ってきました。代表的な声を次に紹介します。
 

 「先週と今週の安藤和子博士の出られたハーベスト・タイム、すごく良かったです。友達に録画してプレゼントしました。進化論について正しい知識が得られて、これまでもやもやしていたものがなくなりました。一人でも多くの人の誤解を解くためにもぜひ再放送してください。今度は自分のために録画して保管したいです。ハレルヤ!」

 「安藤博士の『創造論と進化論』のお話を聴いていると、これまでで一番、番組が短く感じられました。このテーマについてもっと聴きたいです。創造論と進化論についてはいろいろな本が出ていて、中1の娘のために探しましたが、一般の者が読んで分かるような易しい本はほとんど絶版ばかりで、与えることができませんでした。大人として創造論を信じていてもそう困ることはありませんが、学校で理科や社会の授業を受けている娘にとっては切実な問題です。きょうの番組のタイトルを教えた時娘は『絶対に観る!』と言いました。そしてきょうの感想は『社会の授業が全部否定された。進化論が間違っていることは、うすうす分かっていたけど、きょうハッキリ分かった』。2月号のマンスリービデオを家族で観て、学校で習っていることに対して疑問を持っている娘を元気づけたいです」

 
 日本では進化論は科学的だが、創造論は非科学的であると、一般的には考えられています。しかし、そのような前提そのものが問題なのです。
 少し古い話になりますが、1996年の秋、『ダーウィンのブラックボックス—進化論への生化学からの挑戦—』という本がアメリカで出版され、大きな反響を呼びました。著者は、リーハイ大学のマイケル・ビーヒー教授です。この本は、出版直後にニューヨーク・タイムズの書評欄に取り上げられ、世界的に知られるようになりました。『クリスチャニティ・トゥデイ』(キリスト教系の雑誌)は、この本をその年出版された本の中のトップに選びました。それほどこの本は革命的な内容を提起したのです。生化学者であるビーヒー氏の論点は、次のようなものです。
 「ダーウィンは、生命細胞の中がどうなっているか知るすべがなかった。従って、ダーウィンにとっては、細胞はブラックボックスであった。しかし現代の生化学者は、技術革新により細胞の内部構造を理解できるようになった。つまり、ダーウィンが知り得なかった情報を得たのである。最先端の生化学の知識で進化論を再検討するとどうなるか。最も単純な生命細胞を想定してみると、その最も単純なものでさえ、長時間かけて、偶然の積み重ねで出来上がったとは到底考えられない。そこには、知的なデザイナーの存在を認めざるを得ない」
 
 知的なデザイナーの存在を認めるとは、創造主の存在を認めることです。最先端の科学と、聖書の記述とが、近づきつつあります。ビーヒー氏は、大学の授業で、進化論の立場と創造論の立場を比較しながら教えています。受講した学生たちの多くから、感謝のことばが届いているそうです。どうやら、日本の学生たちは、バランスのとれた情報に接する特権を与えられていないようです。もし、世界が、そして人間が、創造主の手による作品であることが認められたならば、私たちの生活の何が変わるのでしょうか。少なくとも、以下の点に大きな変化が見られるでしょう。


1、被造の世界の美しさを再確認し、より深い感動を感じるようになります。


 緑の森を見るとき、同じ緑ではあっても、微妙に変化した色彩の緑が並んでいることに気付くでしょう。花びらの一枚一枚が、精巧なデザインの結果出来ていることに感動するようになるでしょう。姿、形、味の異なった食物が、こんなにも与えられていることに驚くでしょう。天体が、秩序正しく運行していることに、圧倒されるでしょう。人間の肉体がいかに精巧に造られているかを発見して、感嘆するでしょう。聖書は、被造の世界を高く評価し、その美しさは、神の栄光を表していると教えています。そして、人間こそその被造の世界の冠なのです。


2、人生は神の賜物であることに気付きます。


 人生には様々な労苦がありますが、それらを乗り越えた次元で、人生とは素晴らしいものであることが実感できるようになります。人間とは、神によって創られたかけがえのない存在であることが分かります。


3、永遠の世界への希望が湧きます。


 どうすれば創造主を知り、その方と調和を持った生活をすることができるのだろうか。そう思った人には、イエス・キリストの十字架と復活の出来事が、突如意味を持ち始めます。聖書は、十字架によって私たちの罪が赦され処理されたことと、イエスの復活によって死後の命があることが証明されたことを教えています。この確信を持った人は、今という時を喜んで生きることができるようになります。進化論か創造論か。それは、単なる知的論争ではないのです。どちらを選ぶかで、人生をどう生きるかの姿勢が決まるのです。

 今年の秋、安藤和子博士による『進化論と創造論のセミナー』を開催する予定です。乞うご期待。