In the Nest

ちいさな巣の中から、見上げる空。

その裏には

2005-03-02 19:56:13 | Weblog

  「麻痺した手足をどうにかしてほしい」
  「訓練を受けたい」
  という要求の裏には、
  「麻痺した手足を持って生きていくには
  どうしたらいいだろうか」
  という、表現されることのない深刻な問題が
  あるということである。

仕事で調べものをしていた時、本の中に見つけた一文。


「できなくなったことを数えながら暮らしていくのは、
 しんどいもんなぁ。
 できることもいっぱいあるから、
 あれもできる、これもできるって、
 できることを数えて、暮らしていこ。」

あれもできへん、これもできへん、
何もできなくなった。
情けないわ。もう生きとってもしかたがない。 
そう言われた時に、
私が言い返す、定番のセリフ。

もちろん、
私がえらそうにこんなことを言ったからといって、
相手がすぐに前向きな気持ちになってくれるわけじゃない。
ただ、黙って聞いていてくれるだけだ。
心の中では、
「この苦しさもわからんくせに生意気言うな」
と思っていた人も、大勢いたことだろう。
それを考えると、申し訳ない気持ちになる。
だけど私には、ただ、そう言い続ける以外に答えが見つからない。


私なんか、生きていてもしかたがない。
もうこれ以上生きていたくない。
たくさんの人からそう言われる。
ひどい時は、
一日に何人もの人から立て続けにそう言われて、
こっちまで死にたいような気分になって、落ち込むことすらある。

だけどそれはもしかしたら、
問いなのだろうか。
「私は一体、どうすればこの先も生きていくことができるのでしょうか?」
という問い。

だとすれば、
私はなんて答えたらいいのだろう。
その人が生き続ける意味や目的を、
私は、その人がちゃんと納得いくかたちで、
示すことができるのだろうか。

それとも、
どうすれば生きていけるのか、これから一緒に考えていこうよ。
そうとしか言えないのだろうか。
残された時間は、大抵、それほど長くはないのに。




人を理解したいという思いで自分を支えていることも、
本当は、
自分を理解してほしいという欲求の、単なる裏返しなのかもしれない。




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4 コメント

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Unknown (・×・)
2005-03-05 10:47:07
私が思うに、他人を理解するというのは

到底できっこないことだと思います。



自分ではないのですから。



わからないのなら、わからないでいいと思います。

わかることだけ、積み重ねればいいと思いますよ。
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Unknown ()
2005-03-05 11:52:47
私も、そう思います。



でも、

人を少しずつわかろうとしてゆく過程そのものが、

楽しくてしかたがないのです。

結果として、

すべてがわかるわけではないにしてもね。

だから、この仕事を続けているのかもしれません(^^)
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Unknown (・×・)
2005-03-06 21:12:56
おお、なんて希望あふれるお言葉。



なんだかハートウォームな気持ちですよ。
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Unknown ()
2005-03-06 22:13:31
あったかくなったのなら、

よかった、よかった(^^)
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