入院と手術を終えて

2006-08-01 | 入院記
退院してそろそろ1週間。
体の調子もだいぶよくなり、家にいる分には料理をしたり洗濯をしたりできるようになりました。

まだ歩くときに下っ腹に手を当ててゆっくりゆっくりと歩いていますが、彼に

「妊婦さんみたいだからやめて!!

と懇願されたのでそれもそろそろやめようかと思います(笑)



この手術と入院を通して感じたのは、やっぱり一人では生きていけないということ。

まずお礼を言いたいのが会社の同僚達。

まだアメリカに来て一緒に働き始めて1ヶ月しかたっていないのに、病院を紹介してくれたり、病院まで付き添ってくれたり、いろいろな手続きに関しても家族がアメリカにいないので、保証人のような感じのサインが必要なときも、会社が一手に責任を負ってサインをしてくれたりと、本当に言い表せないほどお世話になりました。

特にOさんは何度も電話を下さったり、お見舞いに来てくれたりと会社に二人しかいない女性同士(?)気にかけてくださいました。

また会社の方からお花までいただいてしまいました。



それから、彼の家族。

私が不安がって彼に連絡を取りたくて家にをしたとき、とっても心配してくれて、その後も電話をくれたり、何かあったら連絡してきなさいといってくれてとっても支えになりました。

彼のママにありがとうと伝えたときには
「家族なんだから当たり前でしょ。遠慮しないで連絡してきなさい」
といってもらえてうれしかったです。
また彼から話を聞いた彼のお兄さんまで電話をしてきてくれて、本当に励みになりました。




それとルームメイトのPと友達のN。

それこそ知り合ってまだ間もない私をとっても心配してくれて、電話をくれては
「何か必要だったら連絡してきてね」
といってくれて、うれしかったです。
彼がアラバマに旅立ってしまうので彼女達の存在が本当に今は心強いです。




そしてそして、私の家族。

遠いアメリカでこんなことになってしまって本当に心配をかけてしまいました。
でも太平洋を隔てていても、家族の支えなくしては乗り切れませんでした。
母にいたっては国際電話のかけ方を一応アメリカに来る前に伝授しておいたとはいえ、がんばって電話をかけてきてくれて、さすがママリンマンでした。
電話で話すだけでも励まされて、家族っていいもんだなぁと改めて実感しました。



そしてそしてそして、本当に感謝してもしきれないのが彼。
学校に行かなくてはいけない忙しい中、こんなことになってしまった私を本当によく支えてくれました。
文句ひとついわず私の頼みを聞いてくれて、宿題をしなきゃいけないのに付き添ってくれたり、もう本当に言い尽くせません。
この人が私の婚約者で本当によかったとつくづく感じています。




ほかにもいっぱいいっぱい私を支えてくれた人がいます。
本当に皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです


人間関係、難しい時もありますが、これからも本当に人に対する感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいです。



なんだかしんみりとしたシメになってしまいましたが、以上私の入院記でした。
何かの形で皆さんの役に立てばと思います。





PS 海外に来る皆さん、保険にはきっちりと加入しておきましょうね!!

リハビリ?

2006-07-31 | 入院記
リハビリというかリカバリーといったほうがいいかもしれないけど、これも結構大変でした。

まず、私に取り付けられていたチューブが徐々にはずされていきました。

トイレ用のチューブ、点滴、麻酔用に背中に入っていたチューブ、心電図用のセンサーなどなど。

それともう日曜日から座ったり歩いたりしてほしいといわれたので、個室の中のお手洗いまででしたが、何とか歩いて行ったりしました。


食事に関しては最初はliquid mealといってゼリーやアイスクリームそれからジュースといった完全液体食

その後にfull liquid mealといってスープをミキサーにかけたような流動食やオートミールといったものを食べました。

そして退院する日にはregular mealで普通の食事をしました

ここの病院の食事、悪くなかったんですよ~

特に普通食だと毎日朝昼晩とメニューが選べるんです

彼も病院のカフェテリアで何度か食事をしたのですが、結構おいしかったといってました。

やっぱり口から食事を取れるというのはいいことですね。実感しました。


日曜の夜にはもう一度麻酔を打たれました。このときにまたあの面白い麻酔技師さんが来たのですが、やっぱりおもしろかった(笑)

チューブを抜かれたのに全然気づかなくって、あとで彼が背中を見て
「あれ?チューブは?」
見たいな感じでした。


いろんなナースにも会いましたがみんなそれぞれ。
やたらと親切なんだけど、お願いしたことをすぐに忘れちゃう人、ちょっと冷たい感じがするんだけど、仕事はてきぱきする人。
こちらが何も言わなくても私が何を欲しているのかすぐわかってくれる人。


特に感謝したいのがナースのMaria。
確か日曜日だったかな。彼女が検診に来てくれて、私がずっとガウンを着替えていなかったし、シャワーも浴びてなくてちょっと気持ち悪いなぁとおもっていたら、

「ガウン変えようか?」と聞いてくれて、しかも体まで拭いてくれました。

そのあと、またいつだかきてくれた時も、ちょうとお水の入ったピッチャーが空になりかけていたら、何もこちらから言わなくても
「お水もってくるね」とわざわざ行ってきてくれました。

こういう親切に触れると入院してナースを目指したくなる気持ちがわかります。


痛い目にあった経験としては、初めてliquid mealを食べることになった日、ナースが私をいすに座らせて、
「食べ終わったらベッドに戻るのに手助けが必要だろうからナースコールで呼んでね」といわれました。

食べ終わったころ、もう傷が痛くて痛くてどうしようもなかったので早速ナースコールをプッシュ





ところが、、、、






いつまでたっても誰も来ない!!



緊急だったらどうするのよ!



っていうか私の中では緊急事態!痛いんだってば!



こういうときは火事場の馬鹿力というか、もう頼る人がいないんだから自分でがんばるしかありません。

なんとか自力でベッドに戻ったころ、一人ふらっときて
「ナニ?」





・・・・


ナニじゃないよ!まったくもう!


もういいからといって帰っていただきました。


その後は毎朝ドクターが診に来てくれました。


彼はLAの学校に行っていたため、私の家から通っていました。
もともとそうする予定だったので、ルームメイトやオーナーからは彼が一週間ステイする許可はもらっていたのです。

これがまた役に立ちました。
私が何か必要なものがあると、彼にお願いして学校帰りに持ってきてもらいました。
彼は学校にって宿題もあったのに、毎日学校帰りに来てくれました。
本当に感謝です。


このリハビリのときに大変だったのが、またトイレ・・・

起き上がるのが大変だったときはそうでもなかったんだけど、起き上がれるようになったら冗談抜きで10分おきぐらいにトイレに行きたくなるのです!

ドクターに聞いたら手術の後にそう感じるのは普通なんだそうで・・・

でもホントに大変でした。



ここには書ききれませんがそんなこんなでとにかく順調に回復していった私。
ナースやお医者さんもとっても順調で驚いていました。

心配していた熱も下がった火曜日の朝。

またお医者さんが来てくれて、私の傷をふさいでいたホッチキスをとって、上にテープを貼りました。

もうシャワーも浴びれるよ~といわれ、「やっとだよ~」と喜んでいたら、

「今日の夜か明日の朝にでも退院していいよ」



えっ?

なんですと?


術後の経過が順調なので、もう退院していいといわれたのです!

彼と相談して火曜日の夜には退院することにしました。

お医者さんに
「誰か世話してくれる人はいるの?」
と聞かれ、一応彼が昼間は学校だけど夜はいてくれて、土曜日まではなんとかと言ったら、
「それまでには大丈夫になってると思うよ」

ということで火曜の夜に退院しました。

そして今に至るわけです。

・・・続く

手術後

2006-07-30 | 入院記
11時から手術室に移され、次に気がついたのが3時ごろ。

目を開けたら彼がいました。

その後の記憶はあまり定かではないのですが、途中でOさんが帰っていったのを覚えています。

全身麻酔だったため、その後は眠っては起き、眠っては起きの繰り返し
でも目を開けるたびに彼が隣に座っていて、手を伸ばすと手を握り返してくれたのをはっきりと覚えています。



私の体には右手に点滴、左手に点滴の針だけでチューブがつながっていないもの。
これは緊急時に静脈をいちいち探している暇がないので針だけ先に刺してあるんだそうです。

それと体中に心電図をとるためのパッチ。
人差し指にも洗濯バサミみたいなものを取り付けられていました。これも心電のセンサー。
背中に入れてある麻酔のチューブにつながっている麻酔が入った注射器が鎖骨の辺りにテープで固定されていました。

また歩かないので血流が悪くなってしまうため、ふくらはぎにマッサージ器のようなものが取り付けられていて、もみもみしてくれます。
これで足のほうに血がたまらないように押し出すのです。

それからトイレにいける状態ではないので、トイレに行かなくてもいいようにチューブが取り付けられていました。

傷の上にはおっきいガーゼが張られていて見えなかったのですが、後で見たらホッチキスみたいので傷はふさがれていました。ほんとにホッチキスだったですよ、あれ。



彼は手術の後にドクターから説明を受けていたようなのですが、私は確か次の日にドクターに会って説明を受けたと思います。

彼によると、20分ぐらいと言われていた手術が長引いていたようなので、手術室のある階まで降りてきたら、ちょうどストレッチャーで運ばれている私に遭遇したんだそうです。
全身麻酔で意識がない私は「でれ~ってのびてたよ~」といっていました(笑)

結局手術は1時間ぐらいかかったそうです。

理由としては腫瘍が医者もビックリするぐらい大きかったこと野球ボールぐらいあったそうです)。なので取り出すのに時間がかかってしまったとか。
また破裂していたので血もたまっていてそれもきれいに取り出していたので時間がかかったそうです。

そうそう、前に上半身が痛かったと書きましたが、その理由がこの血なのです。
腫瘍が破裂し、血が胸の下辺りまで上がってきてしまっていたので、体の向きを変えたりすると体が痛かったんだそうです。

後でお医者さんに聞かされたときにちょっとぞっとしました


ただ、卵管や卵巣にはまったく異常はなく、本当に腫瘍だけだったそうです。
なので私の卵管や卵巣はちゃんと残っています。



その日彼は病院に残っていてくれたのですが、いくら私が個室にいたといっても彼用のベッドがあるわけではないので、いすで寝ていました
でも4時間おきに血圧と体温の検診に来るし、私が人差し指につけているセンサーが時々ピーピーなるし、彼は全然寝られなかったみたいです


日曜になり、ドクターがきて私にも説明をしてくれました。
ドクターが心配していたのが私が熱があったこと。
Infectionだとよくないので、検査をするということでした。

また癌かどうかを調べるために腫瘍の組織検査をするということでした。



彼は月曜からLAで学校に行く予定だったので一度に帰って準備をしてまた夜に来るといって帰っていきました。

でも後で聞いたら家に帰るまでの運転が大変だったそうです
そりゃぁほとんど寝てないんだから眠いですよね。
彼が事故らなくって本当によかった・・・



そして私はその後、リハビリに突入するのでした。


手術の日

2006-07-29 | 入院記
土曜日の朝、8時前にドクターがきました。

このとき私は英語がある程度はなせて本当によかったと思いました。

私の部屋はナースステーションの目の前だったのですが、ドクターが私の名前を見てナースに

「彼女は英語が話せるの?」

と聞いていました。
ナースは「大丈夫、話しますよ」と言っていたのです。

そうでなければ何をするにも言葉が障害になったことでしょう。



さてさて、ドクターがやってきて状況を説明してくれました。

ドクターが心配しているのは子宮外妊娠の流産もさることながら、右の卵管が卵巣に絡んでねじれてしまっているのではないかということ。

ねじれがひどくなければ、ねじれを戻してそのまま卵巣と卵管を残しておけるとのこと。

しかし、ねじれがひどければ、右の卵巣と卵管を取り除かなければならないだろうということ。

また血の塊があるようなのでこれも取り除くということ。

腫瘍のようなものなので、私の年齢ではほとんどありえないとはいえ、癌の可能性も捨てきれないとのこと。

またお腹を切ってみないと詳しいことはわからないが、死にいたる可能性もなくはないということ。


右の卵巣と卵管を取り除いたとしても、妊娠の可能性は充分あるということ。

実際にドクターの奥様は片方しか卵巣と卵管がないそうですが、3人も子供がいるよと笑って教えてくれました。

もう一日様子を見ることもできるけどどうすると聞かれ、私は

「でもどっちにしても手術なんですよね?だったらさっさとやっちゃいましょう!」

とドクターに提案。その日の11時ごろから手術ということになりました。

卵巣や卵管を取り除くことなく腫瘍だけを取るのであれば、20分ぐらいの手術だと言われました。



このとき、彼はまだ病院についていなかったので、ドクターにお願いしてあとで彼がついたらオフィスに電話をするのでもう一度説明してほしいとお願いしました。

自分でも理解したつもりでしたが、彼に説明するのは難しく、また私の理解に誤解があったらよくないと思ったので直接説明してほしいとお願いしました。


ドクターはとてもいい人で快く了解してくれました。



*****


8時半を過ぎて彼が到着しました

あまり眠れなかったということで疲れた顔をしていましたが、本当に彼の顔を見て私も安心しました。

彼にドクターにをしてもらい、説明を受けました。

彼も状況を理解して、後は手術を待つばかりとなりました。

ここでお泊りセットが役に立ちました。
手術に向かう際にメイクをしていてはいけないのですが、会社から運ばれていたのでメイクばっちりだった私。
お泊りセットにメイク落しももちろん入っていたので、彼に手伝ってもらいながら顔を洗いました。

その後私の同僚のOさんも土曜にもかかわらず駆けつけてくれました。


***


11時になり、私はストレッチャーに移され手術室へ向かうことに。

彼も手術室の近くまで一緒に来てくれました。
彼と別れ、私はストレッチャーに乗ったまま手術室の前でしばし待つことに。

ナースが私の名前を確認したところ、なんと名前が違う!


えっ?!と思っていると、手につけられたバーコードの番号はあっているとのこと。
どうやら他のナースが私の名前を書くときにスペルを間違えたようです。

あー、びっくりした。
取り違え手術なんていやだよう・・・

待たされている間にトイレに行きたくなってきてしまったので、お願いしてトイレまでつれてってもらい、またしばらく待っていました。


やっと手術室に通され手術台に移ると、麻酔技師のお医者さんが登場。

この人がおもしろい!!!

わざとなのかどうかわからないけどマシンガントーク炸裂でいろんなことを考える暇もない!


すると私は台の上に座らされ、
「はーい、じゃあ海老のように体を曲げてね~」といわれ、なんだなんだと思っているうちに、背中に注射をぶちゅ!


Ouch!

2箇所ほど注射をされ、その後麻酔用か何かのチューブを背中にぐりぐり入れられました。


その後横になって心電図だなんだといろいろ体に取り付けられると、麻酔技師さんに

「Are you ready to go to sleep?」

ときかれ、チューブに注射をされると私の記憶はなくなったのでした。

病院にて

2006-07-28 | 入院記
大きい病院について、admissionを通過。
細かい書類関係についてはYさんがすべて行ってくれて、私は他の同僚のHさんと病室へ。


とりあえず書類関係も終わり一段落したところで、同僚たちは帰っていきました。

検査入院で次の日には退院できると思っていたので、私も同僚たちに迷惑をあまりかけたくなかったので、帰ってもらった方がいいと思ったのでした。


その後、エコーの検査技師が来るまで血液検査だのなんだのと血を取られ、点滴をしながら待っていました。



このころ新たな異変に気づき始めた私。


体のいたるところ、主に上半身が痛いのです。


実は最初のドクターのオフィスで点滴をしたときに震えがとまらなくって、後で聞いたらそれは点滴の副作用だそうなんですが、私はそのときに体に力が入っていて筋肉痛になっていたのだと思いました。
でも本当は違う理由で体が痛かったのです。それはまた後で。


それはともかく、結構夜遅くになって検査技師が到着。
エコー検査が始まりました。



このとき、横を向いたりしなければいけなかったのですが激痛が走り、体の向きを変えられないほどの痛みでした。

特に右を下にして横になると、痛くて痛くていられず、たまらず体を起こしてもらったりしました。

もう涙はぼろぼろでてくるし、一番つらいのはあまりの痛さに息ができないこと。

見かねた検査技師さんがナースを呼び、酸素吸入器をつけながらなんとか続行することになりました。

それでも痛くて痛くてもう大変!!


しばらく検査をしていたのですが、検査技師の人が頭を横に振るしぐさが気になった私。

彼女に「何かわかった?」と聞くと
「うーん、詳しいことはドクターと話してもらわないとだけど、血がたまってるわね」


血がたまってる?!


それってどういう意味かしら??



「たぶん、手術が必要ね」


手術?!

検査入院で明日には退院できるんじゃなかったのかい??


とにもかくにも検査は終了し、次の日の朝にドクターと話をしてくださいとのこと。
次の日まで待たされるならたいしたことないのかなとちょっと楽観的に考えたかった私。


寝ることにしました


しかし、ここで一つ気がついたことが。


もう6時間以上トイレに行っていない!!


実はこのあとからトイレが問題になってくるのですが、このとき私はお手洗いに行きたいと感じて実際に行ってみても、行きたいのにでてこないという問題に直面していたのです。

2回ほどトライしたもののどうしてもでてこない。
そこでナースに事情を説明したところ、点滴に薬を入れてくれました。
その後もう一度トライしたところなんとかOK。すっきりしました(笑)


検査の前から私はいろんな人に電話をかけ始めました。

まずは彼氏。
この日は彼が仕事を辞める日だったので絶対パーティーか何かに行っているだろうと思ったので、まずは病院にいる旨を連絡。
検査入院なので心配しないようにと伝えました。

しかし、手術が必要かもしれないと言うことになり、私もこれは尋常ではないと思い、検査後に彼に電話。
彼が出なかったのでメッセージに手術をするかもしれないけど大丈夫だからと残しました。

でもどうしても本人と話をしたかったので彼の家に電話。
彼のお母さんと話しをしました。
彼はまだ家に返っていなかったのですが、彼ママも超心配してくれて、何かあったらすぐ電話をしてきなさいと言ってくれました。

彼ママに彼氏に電話したのかと聞かれてメッセージを残したと伝え、もし彼がその日の夜に私のところに車で来るといったら彼を止めてくれとお願いしました。

彼ママも私も心配していたのが彼がお酒を飲んでいるはずということ。
いくら醒めているとしても夜中にお酒を飲んだ後で焦って車を運転してきてもいいことはないので、二人で相談して彼にはその日の夜は来ないように説得すると言うことで話をしました。


その後彼から電話があり、まだ外にいて同僚と一緒にいると言っていて、私のメッセージもまだ聞いておらず、彼ママとも話しをしていなかったのでした。

手術をするかもしれないと話したところ、彼は

「もうお酒も醒めてるから今すぐ行く!!」

といって聞かなかったのですが、
もう検査も終わっていること、
次の日の朝にドクターと話すまで何も起こらないこと、
面会時間も終わっているしきても入れないこと(ほんとかどうかしらなかったのですがとりあえずうそぶいてみました)、
彼ママとも話しをして今日はとりあえず彼は家に帰ったほうがいいということでまとまっていると説明し、何とか納得してもらいました。

彼は次の日の朝には行くからといい、とっても心配した様子で電話を切りました。

私は日本に電話をかけるフォーンカードをまだ持っていなかったので、彼に彼のフォーンカードの番号を教えてもらって日本に電話しました。

両親もかなりビックリしていましたが、とにかく彼が次の日にくるということ、同僚が親切に世話をしてくれたこと、いろいろ説明してとにかく大丈夫だからと伝えました。


その日は4時間ごとに血圧と体温を測りにナースがきました。

体の痛みに耐えながらとにかく眠りにつきました。


今日のアドバイス!
自分が飲んでいる薬の英語名は必ず覚えておきましょう。
私はたまたま何の薬も飲んでいないのですが、必ず聞かれます。
またアレルギーがある人、薬でも食べ物でも必ず聞かれます。
特に薬にアレルギーがある人はその薬の英語名を覚えておいてください。
自分の身は自分で守りましょう!!

What happned to me?

2006-07-27 | 入院記
ではでは、一日おうちにいて暇なので、いったい私に何が起こったのかを報告したいと思います。
海外に住んでいる人には特にいい例になるのではないかと思います。ぜひ、参考にしてください。


******


事の発端は金曜日。
その日は午後からラスベガスに出張(2泊)する予定になっていたので、お泊りの支度をして会社に行きました。


仕事に行って1時間ぐらいたったころ、下っ腹に異変が

いわゆる”生理痛”を感じる場所にいつもとは明らかに違う痛み。
我慢できないほどではなかったものの、「ちょっとおかしいな・・・」と思い始めていました。



時間がたつにつれて痛みが少しずつ強くなってきた気がしていた私。
医者に行ったほうがいいのかなと思い始めてきた。

実は先月の生理が少しおかしかったので(普段はきちんときます)、今月何かおかしかったら医者に行ってみようと思っていたのです。


先月の生理のこともあり、心配になってきた私。
同僚Oさん(女性)にその旨を伝え、ラスベガスに行くかどうか迷っていると話しました。

で1時間もかからないなら行こうと思っていたのですが、実は他の同僚2人はすでにで先にラスベガスに乗り込んでいて、もう一人と私が後からで追いかけるという予定だったので、車だと4~5時間かかるのです。さすがにそれは耐えられないのではと心配でした。


相談した結果、ラスベガス行きはあきらめ、医者に行くことに



最初は私が入っている海外旅行傷害保険の会社に電話をして医者を探してもらったのですが、なんとなく全然知らないところに行くのは不安だった私。

他の同僚が私の家のすぐ近くに日本語を話すかかりつけのお医者さんがいて、すごく信頼できるから行ってみたらと紹介してくれました。


をし、アポイントをとって、会社を早退していくことにしました。







ところが、







1時ごろお昼を食べたあと、どうもお腹の調子が悪くなり、トイレに頻繁に行き始めた私。




3回目あたりでついに異変が!!





トイレの中で気持ち悪くなり、貧血になってしまったのです!


吐くかと思ったけどそれはなんとか食い止め、個室から出て手を洗ったものの、そこで立てなくなってしまい、座り込んでしまいました。



なかなかトイレから帰ってこない私を心配したOさんがトイレの前まで来ていたらしいのですが、うちのビルのトイレは鍵がないとは入れないので、私が鍵を持ってきてしまっていたので彼女は中には入れなかったのです!


私もなすすべがなく、どうにか貧血と戦っていたのですが、ラッキーなことに他の会社の女性がたまたまトイレに入ってきたのです!


藁にもすがる思いで彼女に話しかけ、気分が悪いので私の会社にいって人を呼んできて欲しいとお願いしました。

彼女はすっ飛んで私の会社に行き、私の同僚たちが駆けつけてきました。

なんとかオフィスまで行こうとしたものの、やはり立てない私。
しばらく座り込んで様子を見て、やっとのことでオフィスに到着。


同僚たちも私の顔色を見てこれは尋常ではないと思ったらしく、他の同僚Yさんが会社のすぐ近くにかかりつけの医者がいるのですぐに行こうと言ってくれました。


Yさんが医者に電話をしたところ、最初は断られてしまったのですが、私の保険が海外旅行傷害保険であると伝えたところ、「すぐにきなさい」と態度が一変したそうです


実はアメリカは保険会社が結構うるさいんだそうで、何か検査をするにもよほど緊急でない限り、まず保険会社にお伺いを立ててからでないとできないんだそうです。(お金に絡んできますので)

しかし海外旅行傷害保険はもともと緊急用の保険であることからそういうことにうるさくないそうで、医者が請求すればお金をぽーんと払ってくれるので、医者としては超ウェルカム!なんだそうです。



そんなラッキーも重なりお医者さんに到着。



まず血圧を測ってビックリ!
もともと低血圧な私だけど、上が80無い!!下なんかもう測れないぐらい!!

ここでアドバイス。
普段の自分の血圧を把握しておくようにしておきましょう。
でないとお医者さんが後で血圧を測ったときに正常値に戻ったのかどうかわからないからです。
私は自分の血圧を知っていたので、後で役に立ちました。



そしてその後、今まで点滴すらしたことなかった私なのに、ぶすっと点滴をさされました。

しかもあまりの血圧の低さに血管が浮き上がってこなかったらしく、4回ぐらいさすのに失敗・・・まるでドラッグ中毒者のように針をぶすぶすさされました。
看護婦さんもベテランさんだったみたいで「こんなに見つからないの初めてだわ!何回もごめんなさいね」と謝られちゃいました。



いろいろいろいろと検査をしたのですが、お医者さんが
「これはおかしい。うちのエコー(超音波の機械です)では精度に限りがあるから大きい病院に行って検査してもらいなさい。紹介状は書いてあげるから。」と言われました。


お医者さんが心配していたのは子宮外妊娠での流産。


ここでまたまた1ポイントアドバイス。

アメリカでは婦人科系の異常と思われる場合、必ず「Are you sexually active?」と聞かれます。

彼氏がいたら問答無用にyesとなります。
私も彼氏がいるので、今まで遠距離だったろうがなんだろうが問答無用にyesとなります。
なのでお医者さんとしては妊娠→流産を疑ったわけです。



そういうわけで、そのまま大きい病院へ同僚に連れられて移動することに。

・・・つづく