ただの碁好きな麺や親父の雑記

麺や食堂爺のひねもすのたりのたりかな

ラーメン40円で売っていました

2014-03-12 21:36:22 | 音楽(ジャズ)
麺や食堂の前身喫茶店『ブラジル』が昭和30年に開店
その後昭和31年11月にラーメン屋に転業しました。
その時のラーメンは40円でした1957年コカ・コーラは35円
日清チキンラーメン35円の時代です。
その時代のラーメンはまだ珍しい時代で、家庭ではお客さんが来た時の接待でラーメンを食べるぐらいで
まだまだよそいきの食べ物です。作り方は今と同じです使う材料は今のほうがぜいたくに使っています。
チャーシュウをスープの中に入れて柔らかく煮て、食紅を使って周りを薄い赤に染めてフライパンで焼いて
仕上げたものです。ローストビーフ状態です。肉は脂身のないもも肉を使ってました。
メンマは台湾製の柔らかいメンマです。ビニール袋≪2キロ≫入りから取り出して、
塩出しをしますが当時は塩が強くて塩抜きするのも大変でした。
メンマの仕入れは、浅草まで買いにゆきました。昭和30年代は厚木にメンマを扱っているお店がなかった見たいです。
それからナルトを使っていました。結構おいしかったです。うすく切るとラーメンの上に載せると反ってしまうのです
(やや厚めのナルト)これは今でも自分の中でインパクトがあります。
でもラーメン40円で売っていたあの時代、大変だったことだけを覚えています。

定年碁≪後≫

2014-03-11 21:39:45 | 音楽(ジャズ)
最近よく考えることがあります。
サラリーマンは定年があります。ですから60歳ぐらいが定年のほとんどですね、あとは別の会社を探すか、嘱託でもなんでもいいから、会社にしがみついて働くか。それでも65歳ぐらいで悠悠自適な生活をするのか。
いずれにしても働くことをやめなければいけないことになりますね。
商人は、・???商売は死ぬまで働く、というより働けます。それがいいことなのか、辛いことなのか
本人次第ですが
私はいわゆる第二の人生というものに懸けてみたい気がする。
好きなことをしながら生活が成立するならこんな素晴らしいことはない。
ラーメン屋もしかり。お客さんが喜んでお店も喜ぶそんなラーメン屋があってもいい
限られた材料費で原価計算をすると、どうしてもお客もお店も笑顔が出ない
それらを解決した素晴らしいラーメン屋をやることができればいいです。頑張ってみたいです