


江戸時代、街道交通の主要手段は歩くことだった。人間の2本の足以外に頼るものがない。金持ちや特別な人は、籠や馬に乗ったんだろうが、たいていは歩きが相場だったんだろうね。
そんな時代、たとえば参勤交代について、大大名であった加賀藩は、江戸までのおよそ4百kmを10日~11日くらいであるいたという。
お殿様をはじめ、駕籠かきから荷物持ち、お付の者からお女中衆まで、押しなべてその日数で街道を進むわけだから、1日におよそ40kmは歩く勘定になる。天気の悪い日や、山道、川越や峠越えなど、道のりも今と違って難所といわれるところもあったりしたことを考えれば、相当苦難なものであったに違いない。
時速4kmにすると10時間、5kmにして8時間、6kmにして7時間弱、とにかく歩き詰めで歩いたということである。


現代人から見ると、アンビリバボー!!

年中行事の中で、行きと帰り、それを毎年毎年繰り返す。日常茶飯事の中で、とにかく歩く、歩く。


いや。全くその速度やタフネスぶりは、ちょっと想像がつかないね。
スタスタ歩く、っていうけど、そのスタスタっていうのはどのくらいの速度を言うんだろうね。
現代では、通勤ラッシュ時に血相を変えて行き交う人々を、もっとゆったりと歩けないものか、というニュアンスを込めて、セカセカと歩く、という風に揶揄的に表現するが、昔の人の歩き振りはそんなもんじゃないんじゃないか、と思う。
スタスタと歩く、というのは、今のセカセカと歩くというのとは、よほどニュアンスは違うが、相当な速度で、しかも力強く、歩んだものではないだろうか。
下半身が、現代人では信じられないくらいにがっちりと発達していたに違いない。

それほど日常的に歩くことによって鍛え上げられた人々には、昨今の現代病、あるいは成人病といわれるような、さまざまなどちらかというと贅沢病的な病、あるいは精神的な(ひ弱な)病というものは、考えられなかったに違いない。
歩くことは良きことかな、健全なる精神は健全なるウォーキングに宿る、に違いない、とわが身を振り返り、つくづく思い、わが身に言い聞かせる今日この頃であります。
(少しは歩く努力をしているつもりの無精者)地球にも優しいよ。

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