志太平野には4つの延喜式内社がある。志太地域は先史時代の日本列島の中では米作りが始まったのが遅い部類に入る。弥生時代中期後半だそうだかペースで開発が進められたようだ。その分布が、延期式内社のそれで良く理解出来るように思う。
物部氏の那閇神社、日本部尊を祀る焼津神社、志太地区最古という飽波神社、そして岡部にある三輪神社。これらの神社はいづれも中央の紐付きであることがすぐに連想出来る神社ばかりだ。中央の出来事に合わせた地域の成り立ちをそれなりに読み解きやすいように考えられる。
もちろんそれ以外の地域のいろんなことがらを考え合わせながらの上ではあるが。