
清水(きよみず)さんと虚空蔵(こくぞう)さん
共に、志太地域にある古いお寺さんだ。
もっとも、虚空蔵さんのほうは、今は山の上のお堂しか残っていないが。
共に、2月の寒い時期に縁日があって、志太地域の全域から善男善女が参詣に集まって来る。
清水さんは2月の17日、虚空蔵さんは2月23日だ。
清水さんに焼津の漁師が参詣するように、虚空蔵さんにも藤枝からはるばる参詣に出かける風習は、昔から続いている。
清水さんへの参詣について言えば、葉梨の我が家からだと、昔(私が子供の頃)は原の清水さんへは下之郷横見の集落から、横見山

をまっすぐ登り、山頂を抜けて向こう側に下り、原山の中腹にある清水さんを目指したものだ。
登りの道には、途中に観音さまが置いてあって、目印になった。
小さい頃に登った道で、1年に一回しか通らない道なのに、何となく記憶に残っていて、次の年に通るときに、ああ、この道だ、と何となく懐かしく確認しながら登っていったことを覚えている。
苦労してその道をよじ登っていると、ああ、清水さんなんだな、と実感がわいてきた。
山頂を過ぎて下りに入り、だんだん下って行って、疲れたなあ、と思う頃、ひょっと清水さんの裏ヤブに当たる。
本当に突然行き当たる。
あれ、と意外に思う。
遠い遠いと思っていたけれど、なんだかとても近かったんだなあと、妙な感じで、突然賑やかなお祭りの世界に入り込んでゆく。
そんな清水さんの境内では、昔はいろんな芸ごとがかかっていたような気がする。
オートバイの宙返りや、蛇使いの蛇飲みなどが記憶に残っている。
お参りして、露店で駄菓子やおもちゃを買ってとても嬉しかったことを覚えている。
帰りは、暗くならないうちに、、また山を越えて帰ってきたんだろうな、きっと。
けりの記憶は全く残っていない。不思議なものだ。
うちに帰れば、昔の農家に特有の、自家製のご馳走が待っていた。
手作りお寿司

(今のおすしと違って、ひとつひとつを出来合いの型で抜くのだが、この型が昔はすこぶる大きく出来ていた。ご飯の固まりが大きなものだった。具は逆に小さく、醤油をたっぷりつけて、しょっぱくして食べなければ、ご飯があまってしまった)、白和え、煮物。


今から見れば、素朴なものだったが、とてもご馳走だった。
お祭りは嬉しいものだった。
そんな、素直にお祭りが楽しめたのも、せいぜい小学生くらいまでかな。
横見山を抜ける参詣路は、何時の間にか、通らなくなってしまった