


夏以来、たまっていた庭木や裏山の剪定屑と、あとは竹の古いやつを、燃やしちまった。
サツマイモがあれば、焼き芋にしたかったが、残念ながら買い置きがなくて、出来なかった。
でも、これから焚き火の回数がどんどん多くなってゆくので、焼き芋の準備は欠かせないのだ。
そりゃあ、焼きたての芋はうまい。ホクホクの熱々で、たまらんわい。

それと、田んぼの枯れ草も、野焼きをした。↓

田んぼを焼くのはちょっとテクがいる。
草が程よく乾いているのが良いが、あまり乾きすぎていると、一気に燃え出して、火炎が巻き上げるようになると空気の流れが起きて、風を呼ぶ。そうなってくると、ますます火炎に勢いがついて、思わぬ方向に燃え広がってしまうので、それを制御しながら燃さないと、えらいことになってしまう。
だから、朝露で、湿気ている位のときのほうが、風もなくて、燃やしやすい。
それと、経験的に、風下から日を追っていくほうが、制御しやすい。
風上からだと、一気に燃え広がってしまう恐れがあるので、よろしくない。

焼津には、日本武尊伝説がある。
大和朝廷から、東征を命じられた日本武尊が、焼津の浜に上陸したときに、賊にだまされ、枯野に連れ出されて火をつけられて、焼き殺されそうになった。
だまされたと知った日本武尊は、草をなぎ払って逆に火をつけて、難を逃れ、賊をやっつけて、征服する、と言う話だが、
そういう単純な話でも、そうしたことの経験、
つまり、草をなぎ払って、逆に火をつけて、燃えながら攻めてくる火に向かわせるということが、すぐに出来るだけの経験がなければ、なかなかそういう発想は出ては来ないだろう。
そうしてみると、昔は、そうやって火を燃やし、またそうした火の燃え方の性質と言うのを、体験的に熟知していたということが、かなり普通に知られていたことだ、と言うふうに考えないと、なかなかそういう窮地に立ったときに、とっさに反応できるようなものではない、と思う。
普通なら風上から火に追われたら、恐くなって、さっさと逃げだすか、パニックになって焼け死んでしまうか、どちらかだと思うのだが。
そういう戦い方が、かなり普遍的だったのかなあ。
そういえば、『三国志』の赤壁の戦いも長江の川での戦いながら、舟に火をつけて突っ込ませると言うものだったから、三国志よりも、少しばかり後の時代のことと考えられる、我が日本における焼津伝説も、火の戦いがあったと考えても、なんら不思議ではないか。
肝の据わった、戦慣れした日本武尊なら、そうした戦略には長けていたには違いない。

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