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田舎はよろし

本当に田舎暮らしが良い。お日様に合わせ、日がな一日中暮らす。気ままなものだ、

千年前、千年後

2007-09-23 09:24:02 | 歴史
千年も前というと、平安時代の真っ只中の頃のことであります。庶民の暮らしは別にしてして、およそ4百年間も続いた平安時代には、宇治の平等院、十二ひとえや和歌、紫式部や清少納言など王朝文化が華麗に花開いていた頃です。
 そんな時代に、千年後の今のこの世の中の有りようを、誰が想像出来たでしょうか。
 上の写真をご覧ください。これは葉梨神社に伝わる御神木です。千年前のその頃、この御神木はすでに大樹だったのかもしれません。
 今ではすっかり枯れ木のように見えますが、今でも生きているのでは、という気がします。
 千年後、西暦3000年の世の中は、いったいどうなっているんでしょうか。想像出来ますか?

家康公の足跡 八丁櫓

2007-09-21 21:45:30 | 歴史
上の写真の舟は、八丁櫓といって、焼津独特の舟だということであります。
 伝承によれば、焼津で七丁櫓の舟に乗った家康が、スピードが遅いのでこれでは戦に役に立たぬ、と、特に八丁櫓を許したのだとか。
 家康公は、晩年、大御所となって駿府城で暮らしましたが、狩りが好きで良く志太の田中城に出かけて来て狩りを行ったと言うことです。
 そんな訳で、志太地域には家康公にまつわる逸話がたくさん残されています。
もっとも晩年だけではなくて、子供から青年にかけての長期にわたって今川家の人質として駿府で暮らしたし、今川氏が滅ぼされた後も武田信玄と領土を争って志太平野で長い間抗争を繰り広げていたし、信玄が滅んだ後は志太地域を領地としたので、この志太地域については文字通り、地形も人情も収穫量も熟知していたものと考えられます。
 上の写真の八丁櫓は、今でも焼津港に係留されていて、見ることができます。

八葉蓮華の山懐

2007-09-16 17:21:51 | 歴史
 この烏帽子形山の山懐は、もともと“葉梨”荘といい、古い歴史を持っている。中世には、今川氏がこの地に居館と山城を築いている。しかし、今川氏の勢力は、末期には甲斐の武田信玄に滅ぼされてしまった。
 このあたりは、その今川氏の時代にほぼ現形のように出来上がっていたようである。
 今川氏は、当地に入ってきたときに烏帽子形山の麓に館を構え、当地を華蔵と称し、館を華蔵館と称した。
 もともと初代の今川範国は、鎌倉建長寺で修行しており、仏教への帰依心は篤いものがあった。
 当地の山相を見て、きっと感ずるところがあったんだろうな、と思わせるような館の位置と命名である。
 素直にこの山塊を眺めると、八葉蓮華の台座のようで美しい。
 華蔵館とは別に、いざというときのための山城があった。その城跡が城山である。
 このあたりの歴史や伝統は、この今川氏との関係抜きには語れない。
 そうした歴史もおいおい見ながら、また地域との関わりを確認しつつ、エコロジカルな生活を求めてみたいと思っている。