農業は、日本で農業という場合、大ざっぱにいう場合、農家、農村、農地(とりわけ田)がワンセットでついて来る。
この構造を変えない限り、日本の農業は旧態依然のまま、大多数の若い衆からそっぽを向かれ続けることになるだろう。
私なんかも、昔だったら純農村の真っただ中にいることになる。
今起きている現象は、農村の真っただ中に居ながら、実は農業に従事している者がほとんど見当たらない、という事実。
こういう事実はおそらくほぼ日本列島で広く起きている現象だろうと想像する。
一昔前なら農村で住まうということは、農家であり、まず家があり、農地があり、跡取りがいて跡を継ぎ、農地と家と家にまつわる諸々のことども農協(JA)や農道、水に関する様々な権利や義務、部農会、風習やしきたり、墓や寺や葬儀や婚姻等冠婚葬祭に関わる町内のしきたり、氏神や氏子、水利権、やいろいろな講、隣組など、様々な事柄が農村という世界に住むために必然的にワンセットでついて来た。
戦前の改正前憲法の時代ならそうしたことどもは農村世界ともよく合致していて、農業をやっていくうえでも大きな矛盾はなかっただろうと想像する。
しかし今は既に憲法改正があって78年。二世代~3世代が過ぎている。
社会の構造が新憲法のもとに全く変わってしまっているのに、為政者や官僚の農業、農政に関わる姿勢は旧態依然のまま、進められているようにしか考えられないほどに陳腐化した農政を行っている。ように見える。
たとえば、我が地元には部農会という組織があった。各農家の営農活動を助ける諸々の調整・活動の場として設けられていたようだが、減反が始まってからは減反の確認・監視のような機関と化して、活動もほぼそれのみになってしまった。長いことそんなことをやっている。減反政策が終わったはずなのにまだ続いている。減反政策は当初は衝撃的な政策だった。補助金をくれて米を作るなという。何を政府は考えているんだ、という思いだったように記憶している。それが何十年も続いている。これまで何とか従順に従って来た我が地域であったが、今年とうとう部農会を解散するということになった。とうとう在来農家をすっかり嫌農にさせた。高齢化と後継者不在、耕作放棄地の増大、棄農。農政のプラス作用は何も現場には見えない。
新憲法のもとでは職業や住所の選択は自由であり、結婚も両性のみの合意であり、ましてや家などという制度はどうひっくり返してもあり得ない事柄である筈である。
しかし、こと農業ということになるとそうした前提は全てご破算になってしまう。
農地解放以外はほぼ戦前からのしきたり風習がそっくり生きている。
農村とはそういう世界なのである、と愚考する。
だから、いくら農家が儲かろうが、農家を嫌がって大多数の農家は後を継がせないし、継がない。
意識の問題ではない。そうした構造を根本的に変えない限り、日本の農業はもはや風前の灯火なのだ、と考える。
この構造を変えない限り、日本の農業は旧態依然のまま、大多数の若い衆からそっぽを向かれ続けることになるだろう。
私なんかも、昔だったら純農村の真っただ中にいることになる。
今起きている現象は、農村の真っただ中に居ながら、実は農業に従事している者がほとんど見当たらない、という事実。
こういう事実はおそらくほぼ日本列島で広く起きている現象だろうと想像する。
一昔前なら農村で住まうということは、農家であり、まず家があり、農地があり、跡取りがいて跡を継ぎ、農地と家と家にまつわる諸々のことども農協(JA)や農道、水に関する様々な権利や義務、部農会、風習やしきたり、墓や寺や葬儀や婚姻等冠婚葬祭に関わる町内のしきたり、氏神や氏子、水利権、やいろいろな講、隣組など、様々な事柄が農村という世界に住むために必然的にワンセットでついて来た。
戦前の改正前憲法の時代ならそうしたことどもは農村世界ともよく合致していて、農業をやっていくうえでも大きな矛盾はなかっただろうと想像する。
しかし今は既に憲法改正があって78年。二世代~3世代が過ぎている。
社会の構造が新憲法のもとに全く変わってしまっているのに、為政者や官僚の農業、農政に関わる姿勢は旧態依然のまま、進められているようにしか考えられないほどに陳腐化した農政を行っている。ように見える。
たとえば、我が地元には部農会という組織があった。各農家の営農活動を助ける諸々の調整・活動の場として設けられていたようだが、減反が始まってからは減反の確認・監視のような機関と化して、活動もほぼそれのみになってしまった。長いことそんなことをやっている。減反政策が終わったはずなのにまだ続いている。減反政策は当初は衝撃的な政策だった。補助金をくれて米を作るなという。何を政府は考えているんだ、という思いだったように記憶している。それが何十年も続いている。これまで何とか従順に従って来た我が地域であったが、今年とうとう部農会を解散するということになった。とうとう在来農家をすっかり嫌農にさせた。高齢化と後継者不在、耕作放棄地の増大、棄農。農政のプラス作用は何も現場には見えない。
新憲法のもとでは職業や住所の選択は自由であり、結婚も両性のみの合意であり、ましてや家などという制度はどうひっくり返してもあり得ない事柄である筈である。
しかし、こと農業ということになるとそうした前提は全てご破算になってしまう。
農地解放以外はほぼ戦前からのしきたり風習がそっくり生きている。
農村とはそういう世界なのである、と愚考する。
だから、いくら農家が儲かろうが、農家を嫌がって大多数の農家は後を継がせないし、継がない。
意識の問題ではない。そうした構造を根本的に変えない限り、日本の農業はもはや風前の灯火なのだ、と考える。