サンノゼ徒然草

米国はカリフォルニア在住の主婦の覚え書き。子育て、趣味、サンノゼでの暮らしのことなど。

父 5(葬儀を終えて)

2008-10-25 08:08:27 | 育児日記
とりあえず、父を無事見送る事ができました。
二日間の涙雨の中、家族や親しい人々に見守られて、父らしい落ち着いた旅立ちになったと思います。

父の一生に満足をしつつも、やはり、なかなか涙は止められませんね。父の訃報に接してから、動転と哀しみで眠る事すら忘れた毎日でしたが、体は正直で、昨日の法要の後、久方ぶりにぐっすりと眠りに落ちました。

父は自分の葬儀は親しい身内だけでこじんまりとすればいい、と言っていました。家族と親しかった親戚、親しかった友人達に囲まれた葬儀、となりました。父が別れを言いたかったであろう方は全て来てくださったと思います。

父の学生時代の親しい仲間の最期の一人となってしまった方は、大雨の中のお通夜にも告別式にも両日来てくださり、最初から最後まで父を見送ってくれました。父の棺に父に持たせる愛用品の数々とお花を入れたとき、その方が「この間迄元気だったじゃないか、なんで先に逝くんだよ。」というような表情で、悔しさを投げつけるように白い菊花を父の顔に配していたのが忘れられません。

父が、自分が死んだときにはその方にだけは連絡してほしい、と言っていた方です。

弟は父が今年の4月の友人の葬儀に出たときのショックの度合いや寂しさの様相から、その方が受けるショックを考えて連絡を入れるのをためらっていました。そういう優しい弟です。ですが、私は先方のショックはあったとしても父の願いは叶えてあげるべきだと思いましたし、弟は結局父の亡くなっている親しい友人の奥様に訃報連絡を入れたときにそのことを相談し、彼女に「お父様がそういっていらしたのなら」と言われたことで、連絡をしました。正確には私が電話を入れ、その方の奥様が電話に出られたので、一番よい形で伝わったのでは、と思います。

父の遺影には、私が昔に撮った写真が使われていました。

用意周到な父は、この5月に「そろそろ遺影用の写真を準備しなきゃなぁ。写真館にでもいって撮るか」と言っており、丁度友人からプロ用カメラを譲り受けていた私は、そのカメラを使って数枚撮影しました。
今回、その写真を使う予定でいたのですが、実家リフォームの荷物の片付け時に、義妹のお母様が満開の桜を背景に父と母がよい雰囲気で写っている写真を見つけて複製を数枚作ってくださってあった写真の顔のほうが多少若くて格好よかった(笑)ので、私が日本についたときには、それを使う事になっていました。

実は、私も気に入っていたいい写真でした。

父の棺には、私からは、私が学生時代に奈良を訪問したときから始めて今は8冊か9冊目を迎えている御朱印帳から完結している7冊(父が好きだった金比羅大権現の御朱印もある。母のときには1冊しか入れませんでしたが。)、石鹸ビジネスのパンフレットや自分が作って気に入っている石鹸数個、時代劇小説に時刻表(旅行好きだったので)、それらの間にこっそり挟んで電卓(溶けにくいだろうから入れない方がいい、と弟夫婦が判断していた生前の父の必需品)、私の結婚式からアメリカでの生活、家族写真や日本滞在時の父と息子(孫)の写真を入れたアルバム、SF空港で買ったギラデリチョコレート(晩年はチョコレートが好きだったので)などを入れました。

弟夫婦にはお願いして晩年の母が病床で裾を繕って父が大事に履いていたスラックスを用意しておいてもらい、後は弟夫婦が思い付くものを。偶然にも、遺影の父が来ていたシャツも、弟夫婦が棺にと準備したシャツとセーターも、すべて私が以前買って父が着ていてくれたものでした。

父に対してさせてもらいたかった事は決してつきることはありませんが、いつも父が見たがっていた息子の写真のごく最近のものは先週弟から父に見せてもらえていましたし、結婚してアメリカに引っ越した後も自分がいかに父とたくさん過ごせたか、母に娘としてできなかった分も母が父にしてあげたかったことの分も併せて何ができたか、を考えると、やれる事はすべてやらせてもらえた気がします。

上司であった先生がお悔やみのメールで「友達が、私の父が死んだとき「いくつになっても、親の死ぬのは悲しいものだよね」と言ってくれましたが、本当にそうでした。(私の名前)のお父様も、大往生とはいえ、残された(私の名前)や弟様はやはり痛切に悲しんでおられることと拝察します。泣く時は泣き、ゆっくり立ち上がってまた元気に進まれますように。」と書いてくださいました。

本当にそうですね。
やるべきときにやるべきことをちゃんとやっていかないと、父は喜ばないと思います。

今回、実は、父は母の命日である7月6日までは自宅で頑張り、7日に病院に運ばれました。2ヶ月毎、偶数月の15日に2ヶ月分の年金を受給していたのですが、15日にそれをちゃんと受領し、19日に亡くなりました。
今回、私が滞在しているウィークリーマンションの代金は、その年金の一部で弟が支払ったそうです。知らないこととはいえ、死後も娘の滞在を助けてくれました。本当にきちんとした父です。

今回、主人は一緒に来日して私を労りながら明日まで滞在してくれています。
主人の存在は本当に心強く、私が法事に集中できるよう息子を全面的に見てくれていただけでなく、家族として不慣れな日本のしきたり全てを(おそらくその場にいた誰よりも)真摯に、誠意を以て臨んでくれました。
父は、私のおつきあい候補としての主人に面会したとき、その人間性と態度に「この男なら」と結婚話をまとめてくれた経緯があるのですが、父の眼は本当に確かだったと思います。

今後は、今のWマンションに28日まで滞在し(弟一家と父同居を前提として、実家はこの夏よりリフォームを進めており、今日完成、30日に弟一家と父は引っ越し予定でした)、おそらくその後は引っ越しの片付けが落ち着く迄、三重の母の実家に滞在すると思います。(三重ではネット環境がないのですが。)
心を慰めるのに、大好きな奈良の神社・仏閣も訪問するかもしれません。(苦笑)

お悔やみコメントのなつきさん、らんちゃん、ありがとうございました。
個別にメールを差し上げたかったのですが、メールアドレスがわからないため、この場を借りてお礼申し上げます。らんちゃん、またメールアドレスを教えてくださいね。

父の件では、まだ相続や確定申告といった煩雑な作業が待っています。ただ、父の置き土産か、日米に分かれていると色々難しい作業も、今回、私が長期滞在故にスムーズにすべて処理できると思います。

肝心の父はいなくなってしまいましたが、数ヶ月の日本長期滞在になりました。
父が報告話を喜んでくれるよう、日本に長期滞在させてくれる主人に感謝をしながら、嘆きすぎず、大好きな日本の風物と友人達との交流、息子への体験を大事に持たせながら、しっかりと過ごして行こうと思います。