野狐禅を辞めたとき、その後のことは僕は本当に何一つ考えていなくって、最後の解散ツアーのときも、どうやって野狐禅を最後まで野狐禅らしくしてあげられるか、そればかりを考えてました。
で、解散発表した途端、ピストルが堰を切ったようにライブを打ち出して、このままじゃ俺、無かったことにされるなと思って、もう、ホントはソロなんかやるつもり無かったのに、無理やりライブをやり始めたのが、なんだかんだでもう5年前。
あの頃、ボーカルのボの字もわかんなかったし、自分でも嫌でしょうがなかったけど、でも、消えてたまるか、という気持ちだけで、どんなにステージで大恥をかいても、人前に出続けることを選んでた。
ボーカルを探したり、ピアノだけでライブをやったり、バンドに頼ったり、いろんな道を模索して、ほとんどのことは、まあ、結果、うまくいかなかった、ような気がする。笑
まあ、それでも、繋がっていった縁は、未だに僕の音楽人生の大きな礎になってくれている。
今もまあヘタクソだけど、それでも、5年前のことを考えると、よくもまぁ、ドヘタクソの状態で、いっぱい恥をかいて、ステージにしがみついていたなぁと思う。
あの頃は、まだ野狐禅のネームバリューもあって、ハマノのライブはどんなもんなのか、ってことだったんだろう、ライブにも野狐禅のお客さんがよく観に来てくださっていた。ガッカリした人も多かっただろうか。
もう叶わないことかもしれないけれども、最近、僕はようやく、スタートラインにしっかり自分の足で立つことができているような気がして、あの頃興味を持ってくれた人たちに、今のライブを観て欲しいという気持ちが、妙に湧いてきている。
言い換えれば、僕は、自分の「個」だったり「根」だったり、そういう部分を、ようやくだけれども、自分の足元にしっかり見据えることができ始めてきたんじゃないかな、という気がしている。
もしあのまま、ピストルの築き上げていたものにべったりしながら、野狐禅を続けていたらと思うと、ゾッとする。
5月2日、新宿Cat's Holeで、塚本晃さんと、楽屋でそんな話をチラッとした。
写真は、5月3日、仙台enn 3rdでの、仙台ハマノヒロチカバンドでのライブの一枚。
もうちょっと詳しく書きたいけど、眠気に勝てそうにないや。おやすみなさい。