ナンバー1にならなくてもいい もっともっと特別なオンリー1
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
人それぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争うこともしないで
バケツの中誇らしげに ちゃんと胸を張っている
それなのにぼくら人間は どうしてこうも比べたがる
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる
そうさぼくらは
世界にひとつだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね
やっと店から出てきた その人が抱えていた
色とりどりの花束と 嬉しそうな横顔
名前も知らなかったけれど あの日ぼくに笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように
そうさぼくらは
世界にひとつだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
小さな花や大きな花 一つとして同じものはないから
ナンバー1にならなくてもいい もっともっと特別なオンリー1
(注・外人が歌ってるのを耳で移したので、どっか間違ってるかも)
こないだ古本屋で、外人が合唱してる中古CDを250円で買ってみたら、
ケースがぱかんと開いて、もう一枚出てきた。
「ボーナスCD」。その中身が、これ。
かつてどこかで初めて耳にしたとき、
その うさんくささ にびっくりして、
まあ歌ってる人が人だし、
あえてダマサれる快感なんだろうと、
タカくくって見ないようにしてきたが、
「いい歌」として大人気を博するに至って、
ぬぐえない不安が、こう、べったりと。
それが、今更ながら、この眼前に。
あらためて直視するにあたって、抑え切れないぎ、疑問が。
「 ナンバー1にならなくてもいい もっともっと特別なオンリー1 」
ってのはつまり、
(頑張らないとなれない)ナンバー1じゃなくても、
(全員が生まれつき達成済みな)オンリー1なんだから、
「あなたもそのままでだいじょぶっス!オッケエっすよ!」
っていう意味で、それが主題なんでしょうな。
なのに、
殺伐とした生存競争で研かれ抜いた武器 であるところの 花 を、
しかもそれを、
カワイイだのキレイだのと評して愛でたり飾ったり値をつけて売り買いしたりするヒトの傲慢さ・シタタカさの象徴 たる 商品としての花 を、
モチーフとして選択する意図が読めない。
「まさに最適!」なんて膝打って一晩で書き上げたりした詞だったりしたら、
あまりにあんいでかってでごういんすぎない・・・?
きっと、眠かったんだと思う。〆切が迫っていたのだと思う。
作品とは、打算と妥協の産物である。でなければ何一つ完成などみることはないであろう。仕方ないのである。(疑問に思ったときはいつもそう割り切ることにしている。)
それはそれでいいとして。
問題なのは、それがなんの疑問もなく受け入れられている(ように見える)ことの方で。
端的に言って、この「いい歌」が世にハビコルことで、
悪人が増える
と思うのだ。つまり、なにか深刻な問題があっても、
「あーあーわかったわかった!でもな、俺たちってばオンリー1だから。気にするなって。」
「でも、」
「ノープロブレーム!くよくよすんなって!」
「だって、」
「大丈夫だっての。しつこいよ?おまえ。」
とかいう状況が、そこここに現出しやしないかと。
こういう強引な人は、あなたにとって、常に「いい人」?
ぼくは、無神経な悪人と呼ぶ。
つまり、現状の無条件な肯定ってのは、諸刃の剣でありまして。
直視してみれば大したことなかったような些細な問題事をすっきり解消できるかわりに、
見落としちゃいけなかったかも?というようなのも、いっしょにばっさりいってしまうわけよ。
まあ大抵はそれでうまくいくのだろうけれども。みんな心配性だしね。
ただ、一部の人にとっては死活的に対処せねばならないようなのが、含まれることは確かで。
スーパーで、七夕の短冊をながめてみると、
「おはなやさんになれますように」
ってのが、けっこうあるけど、(一番多いのは、「ぷりきゅあふぁいぶになれますように」だが)
そんな澄んだ目で無邪気に書くようなことではないのだ。本来。
もっと辛酸を舐めた上で、しぼりだすように、
「オレ、花屋になります・・・」
って感じで口にするべき決意なのだよ。たぶん。