強い香りにむせそうになりながら、おざなりに洗顔。
本当は風呂にでも飛び込んで目を覚ましたいところだが、
この時期水はわりと貴重品だ。王室のお荷物であるところの第18王子としては、贅沢も言えまい。
‘中世ヨーロッパ的’世界に、雨季と乾季があるかは知らないが、
ふと思いついた面白げな設定は何も考えずに盛り込んで、後でツジツマ合わせる方針で。
でないと全然進まなくなるから。経験済み。
いよいよの時は戻れ。禁じ手もナンノソノ。
うやうやしく差し出された大きな白い布を受け取って、顔を拭く。木綿なので肌触りはイマイチ。
ほれ、と返そうとして、メイド服のくすんだ色合いと比べてしまう。
うーむ、この白さにも、国民の血税が。
もっともらしく難しい顔。ふと気づくと、所在ない手をもてあました、不安げな顔が、上目遣いでこちらを伺っている。
そういえば昨日も見た顔。一昨日もだったか。
今朝も、かわいいね。
なんて笑顔で囁きかけたら、どうなるだろう?
真っ赤な顔して、
きゃー、どうしよう???
とか思ってくれるんだろうか。仲間内で自慢話のタネになったり。
イヤむしろ、ヘンな噂が立ってイジメられるかもしれないな。
権力の周辺は、色々複雑だから。こんな辺境でも。
次の間で、流れるようにお召し替え。そこらへんはさすがの熟練度だ。あっという間に帯を解かれて袖を通される。出された椅子に腰掛けて、髪を梳かれて帽子が乗る。同時に足元では靴紐が編み上がる。どちらも身分を示す印でもある。あんまり好かないが、これも定めか。
すべて抜かりなく終えて、道具を揃え、壁際に整列する。
次はお決まりの‘本日のご予定’だ。
大した人望も能力も権力も無い者に、要求されるスケジュールがそうあるわけはなく、
毎度聞き飽きた形ばかりの公務が並ぶだけ。
知らず不機嫌な顔つきになる。眉間にシワ。
だが今朝に限って、いつまでも扉が開かない。
たぶん、こっちの世界だと、こんなにシステマティックな日常送ってるのは、ずっと下った時代の、それもかなり権力の中枢に居た人たちだけだと思うのね。でもまあ、この方がギャップが分かり易いかと。
目配せするが、皆空中の一点を見つめて緊張するばかり。
仕方ないので、一番年長そうな手前のお召し替え役に声をかける。
「おい。」
「はいっ。」
直立不動だ。こちらを見るどころか、更に真っ直ぐに伸び上がる。
ダメ王子でも、身分の差は硬直に値するらしい。影では散々馬鹿にしてるくせに。
「えーと、あれはどうした?」
「あれと申しますと?」
(そういえばまだ名前を決めてなかった・・・。)
勝手に決めても怒らないだろうか。怒るだろうな。やっぱり。
「ほら、毎朝そこから出てくる。」
妙な空気が流れる。姿勢を崩すまいと、必死に耐えている気配。
つまり、笑いをこらえてるんだろう。またネタを提供してしまったかもしれない。
「導師さまは、今朝はまだお見えになってらっしゃいません。」
「お、おそれながらっ!」
割ってはいる、端から二番目。まだ少女だ。
「さ、昨晩のご公務が深夜にまで及んだご様子、まだ・・・まだお休みなのではと!」
上役に睨まれつつも、必死の弁護。やつは城の下働きに妙に人気がある。これも落ち度に対する、気まぐれな懲罰を恐れてのおせっかいだろう。
「心配するな。咎めるつもりはない。」
ほっと安堵のため息。一つではない。
それをうろん気に見やって、しばし思案のフリ。
「でもまあ予定がないんじゃ仕方ないな。
じゃ、今日は自由行動ってことで。」
悲鳴の中、引き止めようとする十数本の腕をかいくぐって、廊下へ走り出る。
誰か!とかいう緊迫した声が上がるが、毎度のことなので、衛兵の動きも鈍い。
なにがあったかしらないが、寝坊はよくない。職場放棄に等しい。
責任転嫁には、もってこいだ!
今日こそ大義名分をもって、思う存分逃げ、もとい、見て回ってやろう。
ほら、舞台を整える上でも、周辺情報は必要だしね?