どこまでもまじめな人がいたとして、
その人が幸せになれる可能性は、どれだけあると思う?
今、幸せじゃない・・・はず、ていう前提があるのね。その質問。
正直者は、馬鹿を見るって、いいたいんでしょ。
“正直者”って、価値観が固定していることを期待して、頑なにがんばってる人のことだよね。
確かに、みんなが同じ価値観を持っていれば、同じ規範で利害が一致するよね。
狂信的な宗教家や、政治家なんかは、それを目指してるわけだ。
単純で解り易いし、
完璧な結果を望むのなら、そうするしかないんだけど。
もし、今わたしたちが感じてるこの世界が・・・否、
自分を・世界を、認識しているこの感覚が、信頼に足るものと・・・仮定しても、
細かいところは、てんでばらばら。
一致しない利害で、絶えずカンカンガクガクなのよね。
つまりね、固定してない価値観引きずってる限り、“正直”かどうかなんて、独断に過ぎないわけ。
そりゃまあ、将来的にひとつに定まる可能性がない、とは言い切れないけど、
少なくとも今は、現われては消えていく主義、やら教義やらがいつ果てるともなくせめぎあってる。
それに、
毎日飽きもせず、へーきで忘れたり、都合よく勘違いしたりするやつらが、
・・・もちろんわたしたちも含むけど、
いつかそんな“真理”にたどり着けると、本気で思ってる?
凝り固まったむかしの価値に、以前は通用したとかいう理由でしがみついてるのは、
要するに、臨機応変についてけない落伍者のイイワケなのよ。
みんなの方が立ち返ればいい、それで万事うまくいく、なんて考えは、思い違いも甚だしい。
だって一致しないんだから。現実に。どんどん多様化してるんだから。かえって。
だから、答えはNO。そんな人は幸せにはなれない。
パーセントで答えろって?
だから正確には0よ。でも“おれはどこまでもまじめだっ”って勘違いしてるのも多そうだから、
まあ、ざっと70%くらいじゃない?あ、不幸になる率ね。
あんたまさか、自分がまじめな奴だとか、思ってないわよね?
その人が幸せになれる可能性は、どれだけあると思う?
今、幸せじゃない・・・はず、ていう前提があるのね。その質問。
正直者は、馬鹿を見るって、いいたいんでしょ。
“正直者”って、価値観が固定していることを期待して、頑なにがんばってる人のことだよね。
確かに、みんなが同じ価値観を持っていれば、同じ規範で利害が一致するよね。
狂信的な宗教家や、政治家なんかは、それを目指してるわけだ。
単純で解り易いし、
完璧な結果を望むのなら、そうするしかないんだけど。
もし、今わたしたちが感じてるこの世界が・・・否、
自分を・世界を、認識しているこの感覚が、信頼に足るものと・・・仮定しても、
細かいところは、てんでばらばら。
一致しない利害で、絶えずカンカンガクガクなのよね。
つまりね、固定してない価値観引きずってる限り、“正直”かどうかなんて、独断に過ぎないわけ。
そりゃまあ、将来的にひとつに定まる可能性がない、とは言い切れないけど、
少なくとも今は、現われては消えていく主義、やら教義やらがいつ果てるともなくせめぎあってる。
それに、
毎日飽きもせず、へーきで忘れたり、都合よく勘違いしたりするやつらが、
・・・もちろんわたしたちも含むけど、
いつかそんな“真理”にたどり着けると、本気で思ってる?
凝り固まったむかしの価値に、以前は通用したとかいう理由でしがみついてるのは、
要するに、臨機応変についてけない落伍者のイイワケなのよ。
みんなの方が立ち返ればいい、それで万事うまくいく、なんて考えは、思い違いも甚だしい。
だって一致しないんだから。現実に。どんどん多様化してるんだから。かえって。
だから、答えはNO。そんな人は幸せにはなれない。
パーセントで答えろって?
だから正確には0よ。でも“おれはどこまでもまじめだっ”って勘違いしてるのも多そうだから、
まあ、ざっと70%くらいじゃない?あ、不幸になる率ね。
あんたまさか、自分がまじめな奴だとか、思ってないわよね?