惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 森山徹『ダンゴムシに心はあるのか』新しい心の科学  PHPサイエンス・ワールド新書 2011

2018年12月12日 | 生物学

 「心寂しい(うらさびしい)」「心悲しい(うらがなしい)」という使い方が現在でも見られます。この「うら」は、何とはわからず、自ずから、といった意味です。これはまさに、私たちの心の概念である「内なるわたくし」が「もう一人の私」であることと合致します。


 このとき、私の意識は、「この寂しさはどこから湧いてきたのだろう」と思うしかありません。それは、隠れた活動部位、「内なるわたくし」から湧いて出るのです。


 観察者は、観察対象を未知の状況に遭遇させ、予想外の行動を観察することで、その心の存在を確かめることが出来ます。


 観察者によっては、心は石やジェラルミンの板にも備わっていて、見出すことが出来るのです。ただし、観察対象の心を見出すには、ある前提が必要です。観察者が、さまざまな状況に応じた観察対象の特定行動を見出せるよう、対象ととことん付き合うということが、まず必要なのです。


 さて、過去の研究を調べてみると、このジグザグ歩行は「交替性転向(Turn Alternation)」という行動の連続で生じることがわかりました。交替性転向とは、「ある時点の転向方向が、その直前の転向方向の反対になる」という行動です。


 そして、気が付いたのが、このように観察者である私に「おかしいな」と思わせる、「意味不明な」出現の仕方をする変則転向、それはまさしく、心によって発現させられた「予想外の行動」なのではないだろうか、ということでした。すなわち、この変則転向は、ダンゴムシの心が未知の状況を察知し、自発的に発現させたのではないだろうか、と思ったのです。地味な結果ではあるけれど、きっとダンゴムシの心の現われの一端を掴んだに違いない、そう思いました。


 未知の状況では、それが状況の打破につながるか否か定かでなくとも、新たな行動を迅速に発現させ、「あがいてみる」ことこそ得策です。


 多様な場所で生きる仲間を持ち、その中で特に陸上生活を選んだアリとダンゴムシには、泳ぎという、進化の過程で潜在させられた、眠っている行動を呼び起こす力があるようです。


 一般に、進化における自然選択とは、適応的でない行動の「切り捨て」と考えられています。しかし、それだけではなく、適応的でない行動の温存、捨てずに「潜在させておく」という柔らかい側面もあるのでしょう。現在に生きる生物の心は、このように、温存され、潜在させられた行動を呼び出す力を持っているのです。


 以上のように、水境界群は、通常抑制されている乗り上がり行動を、未知の状況を察知することで発現させたと考えられます。


 おのおののダンゴムシが球形化解除の頃合いを自ら、そのつど決定したのです。このように、自らの判断に基づいて行動を発現できるダンゴムシに、「自律性」を認めないわけにはいかないでしょう。


 これ等の行動に接したとき、私は、ダンゴムシにおいてその行動を自立的に選択する何者か、「内なるそれ」を実感しました。この「内なるそれ」が、「ダンゴムシの心」なのです。


 行動を動機づけるための欲求の発現には、余計な欲求の発現を自律的に抑制する心の働きが不可欠です。その働きは、未知の状況における予想外の行動を発現させる原動力として、実験を通して確認されます。すなわち、それは「心の科学」です。


 「ある行動を発現させるとき、余計な行動の発現を自律的に抑制=潜在させる、隠れた活動部位」


 心の科学とは、この心の働きを実験的に確認する実践的学問です。


 研究者が「待って、相手の出方を促す」、すなわち「相手の自由な出方を認める」ことを否定し、人間関係を世知辛くすることによって、自由に振る舞える社会を自滅させるのは、恥ずかしいことではないでしょうか。
 相手に働きかけ、待ってみる。そのような当たり前の態度は、相手の不可解な行動も、そして音信不通も、心の働きだと思わせてくれます。





*二〇一八年十二月十二日抜粋終了。

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