惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 無門慧開『無門関』 西村恵信訳注 岩波文庫

2016年12月15日 | 宗教
 
大道無門、千差路有り。
此の関を透得せば、乾坤に独歩せん。


 しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇するならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きのあいだに真実はすれ違い去ってしまうであろう。


 無門曰く、「参禅は須らく祖師の関を透るべし。」


 平生の気力を尽くして箇の無の字を挙せよ。


 趙州が狗の仏性に対して有と無を同等に示したことが、宋代の看話禅によって、有無の二元を超えた「無」とされ、学人を論理以前の体験の世界に導くために有効な公案となったもの。


 無門は言う、「禅に参じようと思うなら、何としても禅を伝えた祖師たちが設けた関門を透過しなければなるまい。素晴らしい悟りは、一度徹底的に意識を無くすることが必要である。」


 ここに提示された一箇の「無」の字こそ、まさに宗門に於いて最も大切な関門の一つにほかならない。そこでズバリこれを禅宗無門関と名付けるのである。


驀然打発、驚天動地。


驀然(まくねん)として打発(だはつ)せば、天を驚かし地を動ぜん。


驀の意味 のりこ(える)・の(る)・まっしぐら



禅の世界には、驀然打発(まくねんたはつ)といって、突如として爆発し突き抜けることを意味する言葉があります。


 ひとたびそういう状態が驀然として打ち破られると、驚天動地のハタラキが現われ、……


例えば、次のような問答となります。

(隠山派の場合)
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「その「無」の証拠をここに出してみよ」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「お前はどうやって仏になるか?」
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「趙州は別の機会には「ある」と答えた。これをどう思うか?」
答:「たとえ趙州があると言ったとしても、私はただ、「無ー!」と叫ぶのみです」
問:「「無」の本質(体)とはどのようなものか?」
答:何も言わず、両手を胸に当てて(叉手当胸)立ち上がる。
問:「「無」の働き(用)とはどのようなものか?」
答:立ち上がり両腕を前後に振りながら、5、6歩歩き「行くべき時には行きます」。もう一度座って「座るべき時には座ります」
問:「無字の根源、それはどのようであるか?」
答:「広大な大地で極小の砂粒を動かす風がそよとこ吹かないところから、空や地や山や川、すべてが現れます」


(卓洲派の場合)
答:「無ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と言わないとすれば何と言うか?」
答:「有(ウ)ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」を区別してみよ」
答:「無ー!」「有ー!」と力いっぱい叫ぶ
問:「「無」と「有」はどれくらい離れているか?」
答:部屋の敷居や戸などを指差して「ここから敷居まではこれこれの距離、あそこの戸まではこれこれの距離です」
問:「「無」を私に手渡してみよ」
答:何でもよいから自分の手にあるものを師に手渡す」
問:「「無」を手軽に使っているところを見せてみよ」
答:「ジャン・ケン・ポン」と言いながらジャンケンをする
問:「「無」の根源はどうだ?」
答:「馬鹿なことを! そんなものがあってたまるものか。顔でも洗ってこい! アッカンベー」と言って立ち去り、ふすまを閉める。

出所: http://morfov.blog79.fc2.com/blog-date-201108.html


 鬼眼=人が大事を前にして光らせる凄まじい眼ともいう。


 もしこういう場面に直面してたじろがず、きちんとした対応ができたならば、


 無門曰く、「若し也た直下に明らめ得ば、眼、流星に似、機、掣電の如くならん」


趙州「如何なるか是れ道」
南泉「平常心是れ道」
趙州「還って趣向すべきや」
南泉「向かわんと擬すれば即ち乖く」
趙州「擬せずんば、爭でか是れ道なることを知らん」
南泉「道は知にも属せず、不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不議の
道に達せば、猶お太虚の廓燃として洞豁なるが如し。豈に強いて是非す可けんや」
趙州、言下に頓悟す。


 無門は言う、「南泉和尚は趙州に問い詰められて、ガラガラ音を立てて崩れたな。もう何の言い訳も出来ないだろう。趙州の方だって、たとえここで悟ったといっても、本当にそれが身に付くためには、まだあと三十年は参禅しなくてはなるまい」。


 聞名不如見面 見面不如聞名  (百聞よりは一見だ、一見よりは百聞よ。)


百聞は一見に如かず

 言、事を展ぶること無く、語、機に投ぜず。
 言を承くるものは喪し、句に滞るものは迷う。


 『法華経』に、「止めよ、止めよ、説いてはならぬ。我が法は微妙であって思惟を超えている」


解説

『無門関』中国宋代禅宗の公案集 南宋の無門慧開(1183~1260)
日本にもたらしたのは法灯円名国師 心地房無本覚心(1207~1298)


「青天白日一声の雷。大地郡生、眼、豁開。万象森羅、斉しく稽首す。須弥ぼつ跳して三台に舞う」 無門慧開



*平成二十八年十二月十五日抜粋終了。




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