惚けた遊び! 

タタタッ

抜粋 中村桂子『生命誌とは何か』 講談社学術文庫 2014

2018年07月19日 | 生物学


 〈科学〉から〈誌〉への移行にどんな意味があるのか、生命誌から生きものやヒトについてどんなことがわかるのかについてまず考えます。


 すべてはわかる、あらゆるものには答えがある、とくに科学はすべてをわからせるものだという誤解です。


 生物ももちろん止まっていません。常に動いている。そのダイナミズムたるやみごとなものです。ただ。それが一方向へ向かって進んでいくことはありません。さまざまな試みをして多様化していくのです。そのあり様を「展開」または「発展」と呼ぶことにします。


どうも進化というと進歩とまぎらわしく、一定方向に進んでいくというイメージを与えるのではないかと思い、展開と訳してくれたらよかったのにと思います。


 くどいようですが、DNAは物質です。


 ですから、基本はDNAの変化に置き、当面ゲノムに残った歴史を追い、形態や化石とも関連を付けて進化の後を追おう、というのが生命誌の方法です。


 ゲノムを単位にすると科学ではなく、〈誌〉になるのは、このような無性生殖では事柄を記述すると数字や専門用語では語り切れず、歴史物語になるからです。


 生物を語るときに最も重要とされている進化と遺伝は、「細胞内にあるゲノムのはたらきで個体を作っていく、つまり発生する」という現象の中に組み込まれているのです。生きものの基本は個体であり、個体を作るからこそ遺伝も進化もあるというわけです。ここでもう一つ大事なことは、個体の出発点となる細胞、つまり受精卵の中にゲノムは、いつも必ず新しい生殖細胞二つの組み合わせで生み出されるものであり、これまでそれと同じものがこの世に存在したことは決してないということです。


 これるまでの生物研究では、眼に見える生物に注目することが多かったので単細胞しかいない、三十八億年前から十五億年前までの二十億年以上という長い期間を無視してきました。


 ところで、一倍体の真核細胞は「接合」して一体化する能力をもっています。(前章で述べたように、生殖細胞である精子と卵は一倍体で、これが接合し受精卵になります)。こうしてできるのが二倍体細胞、つまり、一つの細胞の中にゲノムを二セットもつ細胞です。私たちの体は、二倍体細胞で出来ています。二倍体細胞になると、細胞間に連結構造ができ、お互いに物質や情報のやりとりをするようになり、その間に、それぞれの細胞が少しづつ役割分担をしていくようになっていきました。


 その後二つの細胞が接合してできた二倍体細胞が細胞間の対話をみごとにやってのける存在となり、多細胞化をしたのです。こうして生じた二倍体細胞は、それぞれが個性をもちながら、決して勝手なことを必ず話し合いをします。
 ちなみに、この種の話し合いがうまくできなくなった二倍体細胞としてがん細胞があり、このような細胞は自分の生命を失うのでなく、個体、つまり多細胞として存在する他の細胞たちの集合体を死に到らしめる恐ろしい存在となります。本質的には死がないのに、多細胞が生まれたことによって死という概念が登場するのです。


 本来、生には死は伴っていなかった。性との組み合わせで登場したのが死なのです。逆の言い方をするなら死をもつ二倍体細胞がなんとかして命をつないでいこうとして工夫したのが性だといってもよいのかもしれません。


 私たち人間を含めて、地球上の生物の多くは、二倍体細胞の多細胞生物として存在し、有性生殖をし、その結果、細胞の死だけでなく個体の死を存在させるような生き方をしているという事実です。


 無性生殖では同じ細胞がふえていくだけですから本質的には多様化は望めません。時々変異が起き、しかもそれが環境にうまく適合して新しい性質として残るという稀な現象でしか変化は起こらないので、多様化しようとすれば有性生殖が不可欠です。


 個体が生きるための細胞の積極的な死とでも呼ぶべき興味深い現象があります。アポトーシスと呼ばれるこの現象は、細胞のゲノムに死ぬべき時が予め書き込まれており、それに従って細胞が整然と死ぬという現象です。


 これまで進化というと小さな変異が積み重なって連続的に変化すると考えられてきました。……。しかし、オサムシという小さなムシの全体像を見てみると、そうではないらしいのです。おそらくこれはこのムシに限ったことではなく、生物に見られる進化の基本的な姿だろうと思います。


 不連続の変化→進化は徐々には起こらない


 細胞をくっつけるものはなにか。発見されたいくつかの分子の中でもっともよく知られているのがカドヘリンです。さまざまな生物で、この物質が接着の役割をしており、しかもそれは他人物理的につけるだけでなく、情報伝達の役割もしていることがわかってきました。


 生物が面白いのは、構造とはたらきとが常に関連していることです。接着剤は接着剤、情報伝達は情報伝達となっていない。その結果、細胞が構造の単位でありながら機能の単位であるというみごとさを示すのです。私たちが作る機械はこうなっていません。


 ところで、これを考えるにあたり、ゲノムには必ず変異が起きるということをはっきりさせておきたいのです。この変異が個体を作れないようなものでしたら子どもは生まれることができません。受精卵のうちの五%ほどは生まれてこないとされています。


 発生の時期のホルモン作用の微妙さを示す例(エストロゲン)であり、体の一部の構造やはたらきがわかったからといって、局所的な有効性に惹かれて体内での物質の動きを人為的に変えると、結局全体としてはマイナスになる場合が少なくないことを教えてくれる例です。


 さまざまな生きものの眼の水晶体を調べると、その素材はさまざまです。とにかく結晶化して透明になるタンパク質であればなんでもよいというわけです。


 矛盾に満ちたダイナミズムこそ生きものを生きものらしくしているのです。


 合理性だけを求めて進めてきた人口社会が、生命誌で追ってきた三八億年を越える生きもののつくる世界と合わないことがはっきりしてきたのです。





*平成三〇年七月十九日抜粋終了。
*読み替える、新たに構築する、別の世界の育成が求められているということ。





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