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はじめての哲学

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抜粋 J・L・ボルヘス『語るボルヘス―書物・不死性・時間ほか』 木村栄一訳 岩波文庫 2017

2018年01月18日 | 読書
 

 書物は人に努力を求めるべきではない、幸せは人に努力を求めてはならない。
                      モンテーニュ


 注解や批評はできるだけ読まないことである。
           エマソン


 人が幸せだと感じる可能性はいろいろありますが、書物というのはそのひとつだと私は考えています。


 内容は天国に召された人が、天上にいても地上のことを懐かしく思い出すといったもので


 われわれは七十年の間に(私は不幸にしてその年を超えて、七十八歳になっていますが)、人生において意味のないものがあることに気がつきます。


 スペインの民謡では「死の喜びはあまりにも大きい。どうか死よ、ふたたび私に生がもたらされることがないよう、音もなくそっと忍び寄ってきてくれ」と歌われ、


 タキトゥスは、個人の不死性は少数者のみが受けるに値する天恵だと考えていました。


 私の考えでは、時間がもし無限なら、その無限にはすべての現在が含まれていなければなりません。


 仏教徒は、われわれがこれまで無限の生を生きてきたと信じています。つまり、語の厳密な意味での無制限の数、始まりも終りもない数、言ってみれば近代数学のカントールの考えた超限数のようなものだと思えばいいでしょう。


 転生というのは、ひとつの魂が実体から実体へ、つまり人間や植物へと転生していく可能性を示唆します。


 お前はすでに無限の過去を失っている。だとすれば無限の未来を失ったところで、何も悲しむことはない。
                       ルクレティウス


 ひとことで言えば、不死性は他人の記憶の中、あるいはわれわれの残した作品の中に生き続けることなのです。


 大切なのは不死であることです。不死になるというのは、成し遂げた仕事の中で、他者の記憶に残された思い出の中で達成されるものです。


 他界と言うと、漠然としてとらえがたい世界のように思いますが、スヴェーデンボリによれば実際はまったく逆で、他界では五感が地上にいる時よりもはるかに生き生きと活動しているそうです。


 そして、《じぶんはこれまでずっと影の中で生きてきたが、今は光に包まれている》と感じるようになり、短い間ですがそのことを喜ばしく思うようになります。





*平成三十年一月十八日抜粋終了。