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はじめての哲学

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「天空に舞う」三 掩体壕

2017年09月28日 | 説話


 汽車で通うこと自体がその当時の私にとっては心弾むことだった。又、それが隣町までの一駅間であっても。又、それが算盤を習いにやらされるという商人見習いのためであっても。当時、私は十歳を過ぎたばかり、昭和の二十六、七年のことだろう。その頃、父も他の親たち同様に喰うために悪戦苦闘していて、その貧乏生活は酷いものだった。弁当は梅干しが鎮座しているだけであったり、米が無くて芋であったり、麦だけだったり……時には弁当にするものが何も無い時もあった。そんな日に昼飯の触れの音が鳴った時、私は便所へでも行くような風を装って級友達の目から逃れ、暫く校舎の陰に隠れて級友達の昼食時間をやり過ごし、みんなが食べ終わって校庭へ出た頃を見計らった上で執拗に口を拭いながら遊びの仲間に入るのだった。私は今でも校舎北側の陽の当たったことのない裏庭の苔のことを憶えている。その裏庭で、私は昼食を、級友を、空腹を、貧乏を、自尊心を文字通り抱え込んで、物陰に潜み、じっと一面に拡がる苔を見詰めていたのだ。苔の生える辺り一帯には人声も届かず、ひんやりとした空間までも湿気を帯び苔に侵され始めていた。明治の初めに立てられたこの校舎の陰になって、砂はすっかりそのまま動けもせず苔に被われたままであった。砂は俺には生の印であったのだが……太陽の熱によって湿気は追い払われ、原生植物は淘汰し、全ての動植物は追放され、そこに大地が残され、砂と変わり、生の息吹に狂乱の舞いを始めるのだ。空一面に砂を舞いあげ、虚無の蒼空を、木々を、家々を、満面の笑みを持って黄金色一色に塗りつぶしてしまうのだ。ざらざらの手触りはシャツの中にも、廊下にも、畳にも、茶碗にも侵入してくる。毎年春先の風の強い日に発生するこの現象は黄砂というらしい。一説では、中国から降ってくるとも言うが……しかし、この校舎の苔の一体には過去の栄光の残影がこだましているだけで、それさえ湿気を帯びている……私はこの湿気の中にいて弁当の無いことをまるで道を踏み外しているかのように恐れた。と言うのも貧乏は死を意味していたからであり、死は世間にとって被われているべきものであったから。そのためにこそ世間は金へ突進するのだと思われたから。それが幸福に至る橋であるとされていたし、それが世間の正道だったし、正義だった。弁当の無いのは、彼らにすれば背信の行為であったのだ。露と消えるのをいちばん恐れるのだから……。父が息子に、商人の基本を学ばせようと酷い貧乏の中から汽車賃まで出して算盤を習いにやらせていたについては、私の方では何の考えもなかった。私にとっては、唯、汽車に乗れるだけで十分であった。塾へ入る街角に小さな駄菓子屋があり、その店内の一角に炉があり、その上に鉄板を乗せて「どんどん焼き」を食べさせていた。小麦粉を水に溶かして、鉄板の上へ拡げ、その上に青海苔だけは見事に振り掛けたこのどんどん焼きは塾生中に人気があり、この店へみんな屯して時間を潰すのが常であった。……ある日、ここの親父が鉄板の前に集まった少年達を捕まえて「手相を見てやっぺぇ!」と、どんどん焼きが焼き上がる間に発育途中の手を拡げさせて、少年達の未来を宣告し始めた……薄汚れた古いガタガタの建物、鉄板周りの不潔さ、薄暗い店内、小麦粉の撥ね、汚れの染みついた前掛けをした親父の小麦粉だらけの手、少年達の手も白くなった。その白さの所為だろうか、なにやら儀式染みてその親父の宣告も何か動かしがたい重みを持っていた。でも、少年達は一様に不満げに口を閉じていた。それはまるで奔放な血が出口を見いだせずに、そう、鬱々としている青年の生理の反応みたい。私の手を白くしながら、慎重に見ていた親父は唯一言、「お前は博士になるなぁ!」と、言った。奇妙な宣告だ。当時、私は野球選手になりたいという夢を持っていたのだが、博士なんていうのは何が何だか分からないものだった。そんな文化的環境は一切無かったので。後年、東方の三博士というのを知って慰みとしたが、この時は抽象的過ぎて、思い当たるものがなくて戸惑うばかりであった。父や母の、そして当時の日本で親が子に託したのは総理大臣。今でこそ、この株も下落したが、当時としては錦の御旗として流星を極めていた。そんな所に、突然の「博士」は海に芋を掘るようなもの。だからだろう、海のような記憶の中で、その奇妙さが忘却から救っていたのだろう……

 夕方、父は私を後ろ手に縛って、その綱を、山羊をつないでおく金棒に結んでから、その金棒を鞭にして尻を叩いて追い立てる。前の川の橋を渡って、中の川の土管を伝ってなおも行くと、前方に周囲一里くらいの今では飛来出来ない香取飛行場が開ける。目に耳にカラスが五月蠅いほどやってきてねぐらに帰って行く。農夫も既に牛に引かした荷車で引き上げた後で、飛来出来ない草茫々の飛行場には人子一人見えない。電灯ははるか遠くに微かに瞬いている。陽は既に丘の向こうに行ってしまい、今さっきまでのどぎつい夕焼けがどす黒くなっている。すぐ真っ暗闇になるだろう……。大きな蛤を被せたような飛行機の格納庫、掩体壕の姿が不気味だ。その黒々とした小山が飛行場一帯に散在している。物音がこだまするので振り仰げば天上は十メータ位あろうか……戦闘機は写真と記憶だけになっていて、米軍上陸に怯えた戦争末期の兵士や農夫のざわざわと喋るのが聞こえてきそうだ。竹槍の触れたような籠もる音がひときわ不安をかき立てる。父は私の我が儘の仕置きに、掩体壕の中程へ金棒を深く打ち込み、さっさと帰ってしまう。許しを請うても無駄だ。早、父の姿は闇に没した。少年は、忘れられて野原にほおって置かれている。小山羊のように情けなく幾ら哀れげに鳴いても迎えはやってこない。見離され、しかもそこへ繋ぎ止められたままだ。ここに。一晩は一生ほど長い。母の救いの手は父に禁じられている。まして弟たちには期待出来ない。隣人は尚更だ……救いは無いのだ。元々あり得ないのだ。それがいかにもあり得るかのように思うのは人々の悪しき企てだ、はかりごとだ。生命体故の幻影だ、本能だ。放り出されてあるままなのだ、裸で。……今しも闇は厚さを持ち始め、光はもう何処にも無い。すっかり闇は私の周りで固まり、なにやらプヨプヨした、そう、巨大な黒いゼリーの塊の中に居るようだ。押せども引けども力は断ち消えになってしまう。ゼリーの外に人々が居るだろうことは推察出来ても、人々は私の処まではやって来ないだろう。道は迷路だし、力を受け付けない壁が聳え立っているのだから。後ろ手にがんじがらめに縛られて、金棒は抜けやしない。掩体壕に、私の身動きの発するガサゴソという音がこだまするだけだ。見離され、放り出されてしまった。父達はもう寝ただろうから、これは覆せないだろう。幾ら泣きわめいたって、引き上げた父に聞こえる距離じゃない。封印されているのだ。それとも何か動かしようがあるのだろうか……泣き続けるしかないのだろう、夜は一生ほど長い。

 ……遠くなった少年時代のあの砂山、……五、六メーター位の長さの地下壕をカモフラージュするために盛り上げられた砂山……、周囲一里くらいのその飛行場には十幾つかのそんな砂山があっちこっちにあり、その他にも、大きな蛤の、貝の片割れを伏せたような鉄筋で組まれコンクリートで固めた戦闘機の掩体壕が同じくらいあっただろうか…、その掩体壕にも同じように、敵機に備えて砂が被せてあったがぺんぺん草やススキや蓬が蔓延っていた。周囲は戦争に用意されたまま投げ出されっぱなしで、鍬を入れてない草茫々の野原で、戦争に備えて造られた千メーター位の五十メーター幅の滑走路が二本交差して十字に走っていた。そのコンクリートのつなぎ目にも雑草が割り込んで、一メーターほどの高さの垣根が三十坪位の無数の枡を造っている。見渡す限りそんな垣根で滑走路面は見えもしない。側溝には、紙のまま投げ出されたのだろう、降伏と共に、……固まってしまったセメントの塊が雨水の中に首を突っ込んでいる。こっちには側溝の上へ覆い被さって袋のシャツが破けて丸々とした肩を出しているのがあり、膝を屈したままススキの群れの中に立ち尽くしているのが覗ける。……まるで、思い思いの姿で爆撃地点に散在する死体のよう。あるいは又、突然の降伏にハタと戦役をほっぽり出して、急遽、その場からそれぞれの出身地へ帰還した兵の群れの、歓びの仕種の動かぬ証拠みたいに放り出されていた。後片付けもしないままほったらかしてあるからにはさぞかし無頼の輩の集団であったのだろうか……末期軍隊は。それとも徴用解除になった兵隊達の上層部に対するささやかな抵抗の名残なのか。紙が飛んでしまって、写し絵の兵番号のようなものが読めるセメント塊の、むき出しの肌が人気の去った飛行場の風雨に晒され繁茂するススキの葉に嬲られている。肌は永遠のいたぶりにあっている。……今となっては、無意味な砂山が置き忘れられたまま、そう、まるで全てが無かったことにしてあるみたいだ。全てが否定されたのだ。飛行場には、今では誰も寄りつかない、墓場だ。……その無人の飛行場の砂山で、私は一人で遊ぶ。砂山の上から渠を走らせ橋を造りトンネルを掘り、支流を出し、谷を刻み……途上のあらゆる場所を名付け、いちばん下は洋々とした海原で……。天地創造が済むと、頂上まで駆け上り、ポケット一杯のビー玉を、そう赤や緑や黄の、渦巻き状の模様の入った透明なガラス玉、夕日にかざして見ると見飽きない美しさがある、あのビー玉を渠に次々に手離してやると、……駆け下りるビー玉は様々な障害を越え、飛びはね、転げ走っていく……。夕闇迫る頃、カラスのねぐらに帰る喧噪も気付かず、夢中になって駆け下り駆け上り、ビー玉をその運命に委ね、その波風を見守り、その一喜一憂に一喜一憂し……時を忘れ、晩飯を忘れ、自分を忘れ世界を忘れ一切を忘れ、あるのは只このビー玉転がしだけ、と言うよりビー玉だけ。そのビー玉に夢を見……そこに不可能に立ち向かう者の、裸の運動を、満たされぬ者の充足を、物語を、抑圧された者の解放を、そして何よりも、そこには自由の飛翔があった。誰も咎めず、人々の目はここまではやって来ず、絡繰りの必要ない別天地だった。夢の論理のように全てが許されていた。何もこうして……と言っても、この椅子、ちょっと窮屈だなぁ……足も思うように伸ばせないのだから、短足のこの足でさえ、畜生! 何だったっけ? ……ともかくあのビー玉転がしのようなあんな没頭は……あれ以来無いのか、無いなぁ……ああ、そうだ、バックネットの前と……尾根の一人歩きか……ともかく、「渦中に在る者は渦中に在るを知らず!」で、自分が何をやっているかなんて考えず、唯、行為の次から次からの連続だけがあって、行為のアミーバー状の増殖、と言うのもアミーバーに「俺は何をしているのだ?」なんて疑問が起きたら乾燥してしまうだろうし、干からびて粉になって一吹きで消えてしまうだろう……「渦中に在る者は渦中に在るを知らず!」だ! なんか歯って言うか喉、口の中が乾いてきてガサゴソする、空調か……対象についての過度の想像は、つまり節度・中庸という現世利益な基準以上のそういうものは遂に行為の清々しさを奪い、ジッと佇ませ、モグモグ口籠もらせ、陰険な非日常性をもたらすのだ。とは言え、それに捕らわれた者、そこにこそ突破口が有るのじゃ無いのかと信じ込み始めた私にはそこへ落ち込んで自分で自分にドブドロをかけなければ他に術がないのだろう。むしろ陰険さを、非日常性を方法としている者にとって明朗さや日常性の概念に救いは、いやその可能性さえも見当たらない。……か、と言って、その世界への憧れがないというのではない。その世界にいる者の無意識で享受する安易さに比して憧れは巨大である。「バラの花に何故は無い、バラの花は咲くから咲く」、おお、窓を閉めてくれ! 余りにも外は麗しい……



出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿