惚けた遊び! 

タタタッ

はじめての哲学

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「天空に舞う」二 太平洋に雪込む丘陵崩

2017年09月27日 | 説話

 



 四、五歳の頃だったろうか、疎開先の父の生まれ育った農家の村はずれ。なだらかな傾斜というより起伏のある開墾地の右端に、こんもりとした林、関東ローム層の赤土の畑、大きな三本杉の整列! すっかり忘れていた風景……しかも似たような風景に出会った時、いつも非常に引きつけられ、得心のいかないまま何処かで見たような不思議な気分にさせられ、そのまま放心が続く……。定かでない記憶の分散した一片が思い出されて、その一片を頼りに対面している風景との挨拶が始まる……いつだったか、父とその寒村に出掛けた時、寒村と言っても、それまでは地図上の一点にしか過ぎなかったという意味であるが、父にとっては生まれ育った所、父母の地であった……視界を遮る松林を抜け、牛車が火山灰の砂を吹き上げて角を曲がると、そこは三方を広々と開墾した畑であった。麦畑の中を農道が一本、丘の起伏につれて見え隠れしていた。その開墾地の真ん中辺りに三本の天をつく杉の巨木が伐採の手を拒み通して立っていた。四囲を取り囲む松の青が低く遠くに畏まっていた。二十年という歳月の重量は、その時一気呵成に解き放たれて、分散していた記憶の一片一片が磁石に吸い寄せられる砂粒のように、方向感覚の戻る時の世界の四分の一ずつが砂塵をあげて移動するように、農道が横手から空中をひとっ飛びしてどかっと据えられ、麦畑の起伏を風の一吹きが修正し、巨大な杉が三本、天空を馳せ参じ、四囲の松が無数に天より投げ落とされた。忽ちそれまで記憶の断片として各々勝手に彷徨っていた所から目の前の開墾地の符合する所へ急ぎ飛んできた。……この風景には、点景人物が居ない、見ている私だけ、その私は風景の中には居ない、風景の手前だ……この風景には風も音も匂いも無い……唯、ハタと、そうハタであってハタッではない、ハタッになると、何かそれ以前の運動、生成が付随する、というよりその時間の推移、歴史が成立してしまうが、ここではそういう史観は関係ない。それらを超越した純粋な本質だけで成り立っているような……プラトンのイデアのような抽象されたものものでもなく、更にロマン主義者の招待客「精神」のごときものでもなく、それはただそこに事実あるのだ。……それはともかく、何故この風景にこんなに惹かれるのか、単に記憶の再生に記憶の構造美に心動かされているだけのことか、それともここに何かあるのだろうか……開墾地、食糧増産の戦時号令、こんもりとした林、起伏のある麦畑、無人地帯……これが幼児期の私の内面風景か……他に記憶はないのだから……賑やかな街から疎開した者故の記憶だったのか。

 千葉の栄町が米軍に空襲されたのは何時だろう……何歳だったのだろう、まもなく四歳か。二つ年下の弟を異母兄が背中におんぶして逃げたというから……。火炎が栄町一帯に拡がる前、異母兄は庭に穴を掘って本を埋めたという。「もう、止めろ、止めろ!」と、父が幾ら言っても止めなかったそうだ、全部埋めるまでは。既に火は隣近所まで延びてきていて、大急ぎで父が私を、兄が弟をそれぞれ背中に括り付け、母が手に持てるだけの、身の回りの品々を抱えて、家を捨てて戦火の中を逃げたそうだ。どっちの方へ逃げたのか、火の勢いはどんなだったのか、空は晴れていたのか、曇っていたのか、夜だったのか、昼だったのか、逃げ惑っていたのであろう人々の姿恰好はどうであったのか、家族のその時の顔つきはどうだったのか……一切記憶にないのだ。兄が本を埋めたというのも、私の記憶ではない、父から聞いた話だ。通りで暖簾の掛かった店を見つけると、どんな暖簾でも母の袖を引いて、入ろう、入ろうとせがんだそうだ。質屋でも銭湯でもかまわずに。暖簾の掛かっている所は全部食い物屋だと思っていたらしい。三歳頃までの私は。……母がそう話してくれたことがあった。



出所―昭和五十六年 小説「述語は永遠に・・・・・・」四百字詰め原稿用紙六三六枚脱稿