今回は有史会11月例会の第2回です。
まずは、達磨寺です。これは禅宗の寺院ですが、遅くとも鎌倉時代まで建立が遡ります。
後記古墳の上に建てられたお寺です。
このお寺の境内には、他にも後期古墳があり、小さな古墳群を形成しているとのこと。
僅かな隙間から横穴式石室がのぞけます。
このお寺の周囲もいろいろとあります。
これは九重石塔というものです。
そしてこれが問答石です。
伝説によると、達磨大師が変身した飢えた人と聖徳太子がここで出会い、歌を詠みあったとのこと。
最初に達磨寺は後期古墳の上に建っているといいましたが、お寺の下には2002年の発掘で石塔が納められた石室が発見され、そこから石塔、その石塔の中にはハート形の舎利が納められていたそうな。(冒頭の写真参照。)
次に芦田池です。
これは、日本書紀で聖徳太子が築いた肩岡池ではないかといわれています。
まあ、池の様子は今も昔も変わりません。
そして、最後の見学地、尼寺廃寺(にんじはいじ)跡です。
これは基壇を復元したものだと思います。
ここからは、地下約1.2メートルから、約3.8メートル四方の心礎が発見されています。これは、日本最大級のものです。
心礎の柱穴から耳環12点、水晶丸玉2点、水晶切子玉2点、ガラス丸玉1点、ガラストンボ玉1点などが出土しています。
礎石の近影です。
まずは、達磨寺です。これは禅宗の寺院ですが、遅くとも鎌倉時代まで建立が遡ります。
後記古墳の上に建てられたお寺です。
このお寺の境内には、他にも後期古墳があり、小さな古墳群を形成しているとのこと。
僅かな隙間から横穴式石室がのぞけます。
このお寺の周囲もいろいろとあります。
これは九重石塔というものです。
そしてこれが問答石です。
伝説によると、達磨大師が変身した飢えた人と聖徳太子がここで出会い、歌を詠みあったとのこと。
最初に達磨寺は後期古墳の上に建っているといいましたが、お寺の下には2002年の発掘で石塔が納められた石室が発見され、そこから石塔、その石塔の中にはハート形の舎利が納められていたそうな。(冒頭の写真参照。)
次に芦田池です。
これは、日本書紀で聖徳太子が築いた肩岡池ではないかといわれています。
まあ、池の様子は今も昔も変わりません。
そして、最後の見学地、尼寺廃寺(にんじはいじ)跡です。
これは基壇を復元したものだと思います。
ここからは、地下約1.2メートルから、約3.8メートル四方の心礎が発見されています。これは、日本最大級のものです。
心礎の柱穴から耳環12点、水晶丸玉2点、水晶切子玉2点、ガラス丸玉1点、ガラストンボ玉1点などが出土しています。
礎石の近影です。
コメントに気付くのに大変遅くなりまして申し訳ありません。
いえいえ私なんてまだまだです。
吉備路に魅せられていらっしゃるとこと、昔吉備路サイクリングロードを何度も走った記憶が蘇ります。
角力山、造山、国分寺、コウモリ塚、作山などなどなど、懐かしいです。そのころは写真を撮っていなかったのが悔やまれます。
そのうち吉備特集をやりたいですね。
わたしは中国地方在住でして、小学生の時に吉備路に魅せられ、高校で遺跡に魅せられ早●年の自称コフィーです。
一さんはかなり巡られていらっしゃるので、向学のためにもブログにおじゃまさせて下さい。