ハイナンNETの日常

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苗族アポのお葬式

2014-06-26 17:34:21 | 海南島から
6/19、木曜の夕方、海南島保亭県の少数民族、苗(ミャオ)族の玉民アポが亡くなった。
いつも家の前の木の椅子に座り、ひ孫達が遊ぶのを静かに眺めていた、よく笑うアポだった。
一ヶ月ほど前に転んで歩けなくなり、入院していたが高齢のため治療の甲斐なく、帰宅して数日後、家で家族に見守られながら亡くなった。
木曜日、孫娘のアメイから電話で「さっきアポが亡くなった」との知らせ。私は土曜日に会いに行こうと思っていたのに、間に合わなかった。
アメイは、「明日の午前中に来れば最後にアポに会えるよ」と言ってくれたが、お葬式には間に合っても、アポにもう一度会うことはもう叶わない。

翌日、朝7時過ぎの高速鉄道で、海口市から陵水県へ。そこからバスで、隣の保亭県の街へ。街からは小さい乗り合いバスで金江という小さな町へ。町の市場までアメイの旦那のアミンがバイクで迎えに来てくれた。市場から、山の上のアポの村までバイクで登り、11時頃にアポの家に到着。
着くとすぐ、アメイのママ(アポの末娘)から、アポの部屋に呼ばれる。ママは「カメラ持ってきた?アポの写真を撮ってほしい。」と言う。
アポは床に布団をかぶって寝かされていた。上には、棒から垂れ下がった黒い長い布が、アポのお腹のあたりに掛けられている。何かの儀式なのだろう。
私はアポにあいさつをした。アポはそんなに冷たくなく、なんだか、温度がない感じだった。アメイの妹が、アポの顔を見ると静かに泣き出した。
ママが言う角度から、アポの写真を撮った。次来る時に印刷してくると約束。
(後で、アメイから幽霊が出るから印刷しないでと言われるが、その隣でママが印刷してきてと言い、する、しない、でちょっともめたので、私は「じゃあママにだけ写真見せて、アメイには見せないから。」と言って一応まとまった。)

アメイの家で、アメイ弟の嫁の家族と一緒にお昼ごはんを食べる。
外ではママ達が何十人もの親族や村人達にご飯を出している。普段は野草などをおかずにすることが多いが、この日は豚肉や鶏肉の料理が多い。
家の中では、アポの孫たちが、ハイナンnetメンバーがアポに贈った写真アルバムを見てなつかしんでいる。
アポの孫の何人かは、黎(リー)族と結婚している。ミャオ族のアポ家族達は、リー語も話せる。リー族の家族がいる場では、会話はリー語なのだそうだ。
アポの妹が、ミャオ族の伝統帽子を被って座っている。笑った顔がアポにちょっと似ている。


午後からお葬式が始まった。
テレビ局のスタッフ三人と、慰安婦研究所の人が来て大きなカメラで撮影を始めた。
アポにとりすがり、歌うように泣くアポの娘たちと孫娘たち。
家族の男衆がアポをお棺に入れ、お棺の蓋に接着剤をつけて蓋を閉める。
お棺が家から出てくる。

無遠慮にカメラを向ける人達を見て、自分の持ってきた小さなカメラを出す気も失せた。
でもアメイが、お葬式を映像で撮ってほしいと言う。
「不要给别人看,只要给我们家人看哦(他人には見せないで、うちら家族にだけ見せてね)」
外から来てカメラを向ける、無神経な人たちを追い払うこともできないアポの家族たち(外の人達は、村の共産党書記が案内して連れてきた)。
アメイは「お葬式は見世物じゃない」とは直接言わなかった。でも心の中ではきっとそう思っているんだろう。

アポが日本軍戦時性暴力の被害に遭った事は、記録されなければ忘れ去られてしまう。だから彼女の存在を記録しなければならないことはわかる。
でも性暴力の被害に遭った出来事だけでアポの人生を語ることはできない。
3台ものカメラが葬式を撮る。死ぬ時まで、いや死んでからも「被害者」の肩書きを背負わされてるような気がした。

お棺のまわりを30人以上の親族が、年齢や序列順に一列に並んで囲み、祈祷師のおじさんがミャオ語でお経のような呪文を唱える。
みんな白い紙をこめかみにあて、歌うように泣きながら、一人ひとり順番にお焼香をしてみんながアポのまわりをぐるぐる回る。
「あんたも並んでお焼香しな。お線香は三本だよ」とアメイに言われた。カメラを置き、私もお線香をもらって、列の最後尾に並ぶ。アポのひ孫(14歳)の次は私の番だ。まずお線香を立てるが、すでに線香立てにはみんなの立てた線香(中国の線香はでかくて長い)が満杯で、スキマから挿したが、他の線香に手が触れてアチチッ。続いて炊かれたご飯を黄色い紙でつかみ、燃えてる桶の中に入れる。そして Bank of Hell (地獄銀行)の100元札を何枚か、同じたるの中に入れて燃やす。そして列が一周する。

ママとその長女のアメイが、白い糸に五円玉のような古銭の硬貨を通し、結んでいる。
後ろでは、赤い布がお棺にかけられ、竹の棒に竹ひごを編んでお棺を担げるように固定している。
竹が完成すると、硬貨のついた白い糸をお棺の上にたらし、祈祷師がその糸をマチェテのような大きな刀で切る。すると一列に並んだ家族がその糸をリレーのように後ろにもっていく。それを三回。

そして、8人ほどの男家族が、威勢よく声を上げながらお棺を担ぎ上げる。そして掛け声を上げながら墓へと走り出す。
周りでは爆竹が絶え間なく鳴り響いている。
他の家族達は泣きながら、お棺の前に走りでて、振り返ってお棺に向かって跪く。家族は立ち上がってまた走り、また振り返り、跪く。それを繰り返しながら全員で爆竹と共に墓へと走る。
墓に着くと、すでに掘ってある大きい深い穴にお棺を納める作業が始まる。

アポ家族達の二倍はある体格の、眼鏡をかけたでっかいオジサン―腹が豚よりも出っぱった村の共産党書記が、葬式を仕切ろうと躍起になり、お棺の位置や、日本政府の罪状やらをわざとテレビカメラを意識して普通語でわめいている。
家族がひたすら別れを惜しみ、アポの安らかな旅立ちを祈っている場にはふさわしくないと感じた。
書記は、アポの孫娘の舅でもあるらしい。アポの家族は誰も何も文句は言えないのだろう。

アポの男家族たちがみんなで苦労してお棺をどうにか墓穴の底に安全に下げ入れた。(書記オジサンは地上で騒いでいるだけで手出しもしなかった。)
そしてまた親族全員一列の輪になり墓穴をかこみ、ぐるぐる回り、それぞれが一握りの土をお棺の上にかけていく。泣きながらぐるぐる回る。爆竹が鳴り響く。
これで本当にアポとは最後のお別れだ。
土をかけ終わり、列をつくったまま家族は家に帰っていく。
残った男衆が、スコップで土をかけ始めるのを見て、私も家族の列の最後尾について村に戻った。
(続く)

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