2008年12月、陳金玉アポが
日本政府に謝罪と賠償を求める裁判で自らの被害体験を証言するため
暖かい海南島から寒い日本へやってきた。
2008年12月,陳金玉阿婆从温暖的海南岛来到寒冷的日本,
为了要求日本政府道歉和赔偿就自己的受害经历出庭作证。
---東京で日本の弁護団と法廷で証言するための準備インタビュー---
---她在东京与日本律师准备出庭作证---
母が採ってきた畑の野菜を煮て家族でご飯を食べようとしていた時
3人の日本兵が家に押し入り両親の目の前で私を強かんした
当时我妈妈从田地里找野菜回来煮吃饭
就3个日本士兵过来当着我父母面前强奸我
両親は私を助けることもできず泣き叫んでいた
私はたった14歳だった
父母也无能为力 跑到外面大声哭叫
当时我才14岁
私は日本兵が怖くて山に逃げしばらく隠れていた
之后我怕日军跑到山里面躲藏
それで日本兵は「塩を配る」と嘘を言い村人を集めた
誰も私の行方を言わないと村人や父に電気ショックで拷問をし
私の行方を聞き出そうとした
日军找不到我就骗村民说分给盐到军部里面
结果日军要村民说出来陈金玉去哪里跑了
大家不说就日军用电击折磨村民和我父亲
村人から「娘を隠すせいで私たちが酷い目に遭う」
「娘を日本兵に渡してくれ」と抗議された両親は
やむなく私を山から降ろし日本軍の拠点に行かせた
村民对我父母抗议说因为父母不让我出来
所以村民被日军折磨
所以父母不得不去让我从山间下来去军部
父は私に言った
「ウーイー(幼名)お前だけが私たちを救えるんだ」
「お前が行かなければ皆日本軍に殺されてしまう」
「もし親まで死んだらお前もどうせ一人では生き延びられない」
我父亲跟我说
「WuYi(她的小名)只有你一个人能救我们和全村民」
「不然的话大家都被日军打死」
「要是你父母都被打死了你也自己活不了」
..........................
アポはここまで話すと涙が止まらず、話せなくなったので通訳者が説明した:
駐屯地に連れていかれまず隊長に強かんされた
その時必死で抵抗したため
こん棒で殴られた上、銃剣の先で頬を突き刺され
全身血まみれになった
因为阿婆哭着不能说话,翻译人帮她解释:
送到兵营里她被队长强奸
因为阿婆拼命反抗所以用棍子被打了
再用刀挑她的脸她的血全部放在身上
(1人で閉じ込められた)部屋は二畳ぐらい(身振りで)
窓は無く、木でできたベッドだけがあった
そこに3か月閉じ込められた
(一个人被关的房间)这么小大概三平米(打着手势)
没有窗户只有一张木板的床,被关三个月
水浴びもさせてもらえなかった
血の付いた服を脱いで
その服で傷口や汚れた部分を拭くだけだった
今着ているこの服みたいな
自分で織った服を当時も着ていた
日军没有给我洗澡
当时我血衣脱下来 然后用那个血衣来擦干而已
就像我现在穿的这一件 自己织布的衣服
毎日孤独で耐えきれない程酷い目に遭って泣くしかできず
早く父母が救いに来てくれと願っていた
被关在里面非常寂寞难熬 我只能哭
哭的时候想我父母快点过来救我带回去
家に帰り着いた時、父母は
骨と皮だけになった私を見て抱きかかえ泣き崩れた
回到家父母看到我骨瘦如柴就抱我大哭起来
いっそ殴られ死んだがマシだと思った
不如一棍把我打死算了
一番辛かったのは両親の目の前で強かんされた事
父母の叫び声が今でも耳からはなれない
そして日本軍の隊長から強かんされた時に殴られ
銃剣で顔を突き刺され 血だらけになった事
最难忘的就是当父母面前强奸
父母的哭声仍萦绕在我耳边
还有抓到军部被队长强奸殴打然后用刀挑我的脸
帰ってからも村人に
「お前のせいで皆酷い目に遭った」と言われ
父母も村人から見下されて過ごした
回来后村民见到我就说
「你这个坏女人让大家被日军折磨」
他们也看不起我父母
今だに陰口をたたく村人がいる
「日本娘」とか言って
一直到现在还有些村里人
在我们后面骂我们
他们说「日本娘」什么的
同じ村に住む息子は
「お前の母親は日本人の女だった」と村人から罵られた
村子里的我儿子经常被人家骂
你就是日本娘的孩子
今でも日本兵が夢に出てきて
被害の場面が繰り返される
直到现在在梦里被日本兵强暴殴打
四つ足の牛の拷問を夢の中でもやらされて苦しみもがく
起きている時にも強かんされている場面を
突然思い出し心臓がバクバクする
在梦中进行四脚牛惩罚
醒来还害怕心突突地跳得很厉害
心臓がバクバクし涙が止まらなくなる
なんて不運な人生だろうと思い込む
心脏剧烈的跳动流泪不停
感觉自己命运不好
被害の後は気性が荒くなった
いつもののしり言葉を言いたくなる
日本兵を罵る言葉が独り言のように出てくる
战后性格变了爆燥
经常想骂人 自言自语
想骂的就是日本人
人生が苦しすぎて
毒を飲んで死にたいとまで思う
でも日本兵から受けた被害を思い出すと
このまま黙って死ねない
有时想吃毒药死了算了
人生太难受
但又恨日本人
不想默默死去
2009年3月
東京高裁の判決のため
アポは体調が悪い中再度日本へとやって来た
2009年3月
阿婆不顾身体状况,再次来到日本,听取东京高等法院的判决
(香港紙アップルデイリーの記者の質問に答えて)
午後法廷に判決を聞きに行くのは恐い
また昔みたいに日本人が
睨みながら銃を突きつけ脅してくるかもしれない
(阿婆回答《苹果日报》记者提问)
下午去法庭害怕 等下去了看到都拿着枪
又瞪着眼 像以前那样(受害时候)
東京高裁判決「被害の継続性を認めるも 原告の請求は棄却」
东京高等法院的裁决 “承认损害的持续性,但驳回了原告的索赔要求”
日本の弁護団:
今日高裁判決が出た。
「原告らの被害はPTSD(心的外傷後ストレス障害)
しかも今もその被害は継続していて癒されることはない」と
地裁判決から進んだ事実認定がされた。
原告被害女性達は現在もPTSDに罹患し今もなお被害は継続している
その重篤さについて裁判所は認定した。
「加害行為については兵士らの逸脱行為であって国家の行為とは言えない」
民法第709条では不法行為だが「兵士の逸脱行為である」と
「しかしながら使用者責任として(兵士が)国家の被用者という
外形をとっていたことから民法第715条(使用者責任)国の責任はある」
という判断がされた。
最終的には(日中共同声明による)「請求権放棄によって
日本国に対して有していた請求権が放棄された それゆえに請求棄却」
という結論になった。
北京の弁護士より:
北京的律师:
今日の判決は非常に不当な判決だ
今天这个判决是无理的
裁判所は原告のアポたちが重度のPTSDに罹患している
という事実認定をした
しかもその被害は今も続いている事さえ認めたのに(原告の請求を退けた)
这个法官认定了原告就是阿婆她们
遭到了严重的创伤就是PTSD的受害已经认定了
法官把这个伤害也认定了
这个伤害一直出现到现在
この判決は日本政府の加害責任逃れのためであって
人権擁護のためではない
所以今天的判决完全是为了帮助
日本政府推卸责任而不是维护人权
日本の弁護団:
今回は国家無答責の壁を乗り越えた。
除斥について「言うまでもない」として裁判所は判断していない
民法第709条の兵士の責任、民法第715条の国の責任を認めながら
最後に国家間の行為によって本来あった請求権を放棄した
請求が認められないという結論だった。
この被害の実態が今も続いているという事を裁判所は認めた
「ここまで大変な状況にあるという事を裁判所は知ってるわかった」
という所まで来た。
あと一歩これを乗り越えるために
私たちは裁判で司法を通しても
闘っていかなければならないし
司法が出す判断の後押しをするためには
社会の皆さん世論がその後押しに必要です。
明日もおばあちゃんは国会議員に要請に行きます。
皆さんと一緒にこの不当な人道に反する
国の恥になるようなこの結論
なんとか変えていきたいと思う
どうか皆さん協力を。
今日は(傍聴)ありがとうございました。
【高裁判決抜粋】
占領地である海南島において, 駐屯部隊の軍人が
本件被害女性らを繰り返し強姦した本件加害行為は,
いずれも刑法又は陸軍刑法及び海軍刑法所定の強姦罪等により
処断される重大な犯罪行為であったというべきである。
そして,本件被害女性らは,本件加害行為を受けた当時,
14歳から19歳までの女性であったのであり,このような本件被害女性らに対し,
軍の力により威圧しあるいは脅迫して自己の性欲を満足させるために
凌辱の限りを尽くした軍人らの本件加害行為は,
極めて卑劣な行為であって,厳しい非難を受けるべきである。
このような本件加害行為により
本件被害女性らが受けた被害は誠に深刻であって,
これが既に癒されたとか,償われたとかいうことができないことは
本件の経緯から明らかである。
---弁護団から判決内容をアポに説明する---
---日本律师团向阿婆解释高等法院的裁决---
弁護士:
重篤な被害がすべて事実と裁判所に認定された
その被害は今も続いているということも事実だと認定された
律师:
非常严重的受害事实被法院认定了
你们所遭受的伤害仍在继续,这也被法院认定了
アポ:
もし私が証言しにここまで来なければ
事実だと認められることは、なかっただろう
もし私が黙ったまま死んでいたら
誰もこの被害の事実を知ることはなかった
阿婆:
要是我没来到这里要是我死得早
都没人知道这件事的事实
弁護士:
裁判所は被害事実を認めたが、
「加害行為は兵士の逸脱行為だったから国の行為とは言えない」
と言ってる
律师:
日本法官认为当时是士兵他们做的事 不是政府叫士兵去做的
アポ:
兵士がやった事と言うなら兵士に命令した者がいただろう
兵士が自力で私の家まで来たというのか
日本政府が兵士を来させたんだろう
それなのに日本政府は責任も認めず謝罪も賠償もしない
被害は事実だというのになぜ加害者を捕まえられないのか
阿婆:
士兵做的事 都是有头(军队)叫的
难道日本兵自己来到我家吗
就是日本政府派士兵来的
你们日本对当时事件多方面不承认
为什么不能据加害者
---
高裁判決をうけ陳金玉アポは
原告を代表して最高裁まで上告し
最後まで闘うと決めた
在高等法院做出裁决后
陈金玉阿婆决定代表原告向最高法院提出上诉
并将斗争进行到底
---
アポ:
病気だらけの体で
老い先短い私が日本まで来て
自分の被害の事実を話すことで
求めているのはお金ではない
求めているのは
私たちと、死んでいった姉妹たちの
名誉を取り戻すこと
我要的不是钱
看我这么老身体生病
现在我也活不了多久了
找我要知道
我过去的受害事实
我所求的就是还我們公道
14歳で被害に遭ってから今はもう80を越えた
もし私があの時他の被害者のように殺されていたら
あなた達は誰も私たちの被害も、苦しみも知ることなく
全てが無かったことにされてしまうだろう
我14岁遭遇性暴力 已经老了80多岁
我要是像別的受害者早死了
你们谁都不知道我们的苦,我的遭遇
就像这一切从未发生过
未来の世代にもこの事実を教えなければ
きっと同じ事が繰り返されるだろう
生き延びた私が日本まで来て生き証人になることで
私たちが受けた被害の事実を知ってほしい
连后代都不知道所以会发生同样事情
因为我比別人活的久80多岁
来到日本作证
世人才知道我跟做牛做马一样受害事实
日本政府に謝罪と賠償を求める裁判で自らの被害体験を証言するため
暖かい海南島から寒い日本へやってきた。
2008年12月,陳金玉阿婆从温暖的海南岛来到寒冷的日本,
为了要求日本政府道歉和赔偿就自己的受害经历出庭作证。
---東京で日本の弁護団と法廷で証言するための準備インタビュー---
---她在东京与日本律师准备出庭作证---
母が採ってきた畑の野菜を煮て家族でご飯を食べようとしていた時
3人の日本兵が家に押し入り両親の目の前で私を強かんした
当时我妈妈从田地里找野菜回来煮吃饭
就3个日本士兵过来当着我父母面前强奸我
両親は私を助けることもできず泣き叫んでいた
私はたった14歳だった
父母也无能为力 跑到外面大声哭叫
当时我才14岁
私は日本兵が怖くて山に逃げしばらく隠れていた
之后我怕日军跑到山里面躲藏
それで日本兵は「塩を配る」と嘘を言い村人を集めた
誰も私の行方を言わないと村人や父に電気ショックで拷問をし
私の行方を聞き出そうとした
日军找不到我就骗村民说分给盐到军部里面
结果日军要村民说出来陈金玉去哪里跑了
大家不说就日军用电击折磨村民和我父亲
村人から「娘を隠すせいで私たちが酷い目に遭う」
「娘を日本兵に渡してくれ」と抗議された両親は
やむなく私を山から降ろし日本軍の拠点に行かせた
村民对我父母抗议说因为父母不让我出来
所以村民被日军折磨
所以父母不得不去让我从山间下来去军部
父は私に言った
「ウーイー(幼名)お前だけが私たちを救えるんだ」
「お前が行かなければ皆日本軍に殺されてしまう」
「もし親まで死んだらお前もどうせ一人では生き延びられない」
我父亲跟我说
「WuYi(她的小名)只有你一个人能救我们和全村民」
「不然的话大家都被日军打死」
「要是你父母都被打死了你也自己活不了」
..........................
アポはここまで話すと涙が止まらず、話せなくなったので通訳者が説明した:
駐屯地に連れていかれまず隊長に強かんされた
その時必死で抵抗したため
こん棒で殴られた上、銃剣の先で頬を突き刺され
全身血まみれになった
因为阿婆哭着不能说话,翻译人帮她解释:
送到兵营里她被队长强奸
因为阿婆拼命反抗所以用棍子被打了
再用刀挑她的脸她的血全部放在身上
(1人で閉じ込められた)部屋は二畳ぐらい(身振りで)
窓は無く、木でできたベッドだけがあった
そこに3か月閉じ込められた
(一个人被关的房间)这么小大概三平米(打着手势)
没有窗户只有一张木板的床,被关三个月
水浴びもさせてもらえなかった
血の付いた服を脱いで
その服で傷口や汚れた部分を拭くだけだった
今着ているこの服みたいな
自分で織った服を当時も着ていた
日军没有给我洗澡
当时我血衣脱下来 然后用那个血衣来擦干而已
就像我现在穿的这一件 自己织布的衣服
毎日孤独で耐えきれない程酷い目に遭って泣くしかできず
早く父母が救いに来てくれと願っていた
被关在里面非常寂寞难熬 我只能哭
哭的时候想我父母快点过来救我带回去
家に帰り着いた時、父母は
骨と皮だけになった私を見て抱きかかえ泣き崩れた
回到家父母看到我骨瘦如柴就抱我大哭起来
いっそ殴られ死んだがマシだと思った
不如一棍把我打死算了
一番辛かったのは両親の目の前で強かんされた事
父母の叫び声が今でも耳からはなれない
そして日本軍の隊長から強かんされた時に殴られ
銃剣で顔を突き刺され 血だらけになった事
最难忘的就是当父母面前强奸
父母的哭声仍萦绕在我耳边
还有抓到军部被队长强奸殴打然后用刀挑我的脸
帰ってからも村人に
「お前のせいで皆酷い目に遭った」と言われ
父母も村人から見下されて過ごした
回来后村民见到我就说
「你这个坏女人让大家被日军折磨」
他们也看不起我父母
今だに陰口をたたく村人がいる
「日本娘」とか言って
一直到现在还有些村里人
在我们后面骂我们
他们说「日本娘」什么的
同じ村に住む息子は
「お前の母親は日本人の女だった」と村人から罵られた
村子里的我儿子经常被人家骂
你就是日本娘的孩子
今でも日本兵が夢に出てきて
被害の場面が繰り返される
直到现在在梦里被日本兵强暴殴打
四つ足の牛の拷問を夢の中でもやらされて苦しみもがく
起きている時にも強かんされている場面を
突然思い出し心臓がバクバクする
在梦中进行四脚牛惩罚
醒来还害怕心突突地跳得很厉害
心臓がバクバクし涙が止まらなくなる
なんて不運な人生だろうと思い込む
心脏剧烈的跳动流泪不停
感觉自己命运不好
被害の後は気性が荒くなった
いつもののしり言葉を言いたくなる
日本兵を罵る言葉が独り言のように出てくる
战后性格变了爆燥
经常想骂人 自言自语
想骂的就是日本人
人生が苦しすぎて
毒を飲んで死にたいとまで思う
でも日本兵から受けた被害を思い出すと
このまま黙って死ねない
有时想吃毒药死了算了
人生太难受
但又恨日本人
不想默默死去
2009年3月
東京高裁の判決のため
アポは体調が悪い中再度日本へとやって来た
2009年3月
阿婆不顾身体状况,再次来到日本,听取东京高等法院的判决
(香港紙アップルデイリーの記者の質問に答えて)
午後法廷に判決を聞きに行くのは恐い
また昔みたいに日本人が
睨みながら銃を突きつけ脅してくるかもしれない
(阿婆回答《苹果日报》记者提问)
下午去法庭害怕 等下去了看到都拿着枪
又瞪着眼 像以前那样(受害时候)
東京高裁判決「被害の継続性を認めるも 原告の請求は棄却」
东京高等法院的裁决 “承认损害的持续性,但驳回了原告的索赔要求”
日本の弁護団:
今日高裁判決が出た。
「原告らの被害はPTSD(心的外傷後ストレス障害)
しかも今もその被害は継続していて癒されることはない」と
地裁判決から進んだ事実認定がされた。
原告被害女性達は現在もPTSDに罹患し今もなお被害は継続している
その重篤さについて裁判所は認定した。
「加害行為については兵士らの逸脱行為であって国家の行為とは言えない」
民法第709条では不法行為だが「兵士の逸脱行為である」と
「しかしながら使用者責任として(兵士が)国家の被用者という
外形をとっていたことから民法第715条(使用者責任)国の責任はある」
という判断がされた。
最終的には(日中共同声明による)「請求権放棄によって
日本国に対して有していた請求権が放棄された それゆえに請求棄却」
という結論になった。
北京の弁護士より:
北京的律师:
今日の判決は非常に不当な判決だ
今天这个判决是无理的
裁判所は原告のアポたちが重度のPTSDに罹患している
という事実認定をした
しかもその被害は今も続いている事さえ認めたのに(原告の請求を退けた)
这个法官认定了原告就是阿婆她们
遭到了严重的创伤就是PTSD的受害已经认定了
法官把这个伤害也认定了
这个伤害一直出现到现在
この判決は日本政府の加害責任逃れのためであって
人権擁護のためではない
所以今天的判决完全是为了帮助
日本政府推卸责任而不是维护人权
日本の弁護団:
今回は国家無答責の壁を乗り越えた。
除斥について「言うまでもない」として裁判所は判断していない
民法第709条の兵士の責任、民法第715条の国の責任を認めながら
最後に国家間の行為によって本来あった請求権を放棄した
請求が認められないという結論だった。
この被害の実態が今も続いているという事を裁判所は認めた
「ここまで大変な状況にあるという事を裁判所は知ってるわかった」
という所まで来た。
あと一歩これを乗り越えるために
私たちは裁判で司法を通しても
闘っていかなければならないし
司法が出す判断の後押しをするためには
社会の皆さん世論がその後押しに必要です。
明日もおばあちゃんは国会議員に要請に行きます。
皆さんと一緒にこの不当な人道に反する
国の恥になるようなこの結論
なんとか変えていきたいと思う
どうか皆さん協力を。
今日は(傍聴)ありがとうございました。
【高裁判決抜粋】
占領地である海南島において, 駐屯部隊の軍人が
本件被害女性らを繰り返し強姦した本件加害行為は,
いずれも刑法又は陸軍刑法及び海軍刑法所定の強姦罪等により
処断される重大な犯罪行為であったというべきである。
そして,本件被害女性らは,本件加害行為を受けた当時,
14歳から19歳までの女性であったのであり,このような本件被害女性らに対し,
軍の力により威圧しあるいは脅迫して自己の性欲を満足させるために
凌辱の限りを尽くした軍人らの本件加害行為は,
極めて卑劣な行為であって,厳しい非難を受けるべきである。
このような本件加害行為により
本件被害女性らが受けた被害は誠に深刻であって,
これが既に癒されたとか,償われたとかいうことができないことは
本件の経緯から明らかである。
---弁護団から判決内容をアポに説明する---
---日本律师团向阿婆解释高等法院的裁决---
弁護士:
重篤な被害がすべて事実と裁判所に認定された
その被害は今も続いているということも事実だと認定された
律师:
非常严重的受害事实被法院认定了
你们所遭受的伤害仍在继续,这也被法院认定了
アポ:
もし私が証言しにここまで来なければ
事実だと認められることは、なかっただろう
もし私が黙ったまま死んでいたら
誰もこの被害の事実を知ることはなかった
阿婆:
要是我没来到这里要是我死得早
都没人知道这件事的事实
弁護士:
裁判所は被害事実を認めたが、
「加害行為は兵士の逸脱行為だったから国の行為とは言えない」
と言ってる
律师:
日本法官认为当时是士兵他们做的事 不是政府叫士兵去做的
アポ:
兵士がやった事と言うなら兵士に命令した者がいただろう
兵士が自力で私の家まで来たというのか
日本政府が兵士を来させたんだろう
それなのに日本政府は責任も認めず謝罪も賠償もしない
被害は事実だというのになぜ加害者を捕まえられないのか
阿婆:
士兵做的事 都是有头(军队)叫的
难道日本兵自己来到我家吗
就是日本政府派士兵来的
你们日本对当时事件多方面不承认
为什么不能据加害者
---
高裁判決をうけ陳金玉アポは
原告を代表して最高裁まで上告し
最後まで闘うと決めた
在高等法院做出裁决后
陈金玉阿婆决定代表原告向最高法院提出上诉
并将斗争进行到底
---
アポ:
病気だらけの体で
老い先短い私が日本まで来て
自分の被害の事実を話すことで
求めているのはお金ではない
求めているのは
私たちと、死んでいった姉妹たちの
名誉を取り戻すこと
我要的不是钱
看我这么老身体生病
现在我也活不了多久了
找我要知道
我过去的受害事实
我所求的就是还我們公道
14歳で被害に遭ってから今はもう80を越えた
もし私があの時他の被害者のように殺されていたら
あなた達は誰も私たちの被害も、苦しみも知ることなく
全てが無かったことにされてしまうだろう
我14岁遭遇性暴力 已经老了80多岁
我要是像別的受害者早死了
你们谁都不知道我们的苦,我的遭遇
就像这一切从未发生过
未来の世代にもこの事実を教えなければ
きっと同じ事が繰り返されるだろう
生き延びた私が日本まで来て生き証人になることで
私たちが受けた被害の事実を知ってほしい
连后代都不知道所以会发生同样事情
因为我比別人活的久80多岁
来到日本作证
世人才知道我跟做牛做马一样受害事实