吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 二十七

2005年11月02日 04時58分33秒 | カウライ男の随想
カウライ男の随想 二十七  
 
 教え子に軍平という成績の悪い子がいた。小曽木にいたる小さな峠から曲がりくねった坂道の途中の掘っ立て小屋が斜面にへばりついているような家の子だ。彼はその上、左足が短く、歩くのに不自由していた。藁草履の尻にすれた藁がやっとついている。
 もし配給があたってもその代金は支払えない家庭だった。
 私は自転車に乗ってO町にでた。
 サッカリン製の今川焼きを求め、靴屋を訪れた。
 勿論、代金をはずんで闇靴を一足、手にいれた。
…旦那の弟さんだべ…この寸法では…ゴマ塩頭の主人が言った。
…いいえ北小曽木の国民学校からきました…教え子の靴です…。
…ほう!小曽木はたしかE校長でしょう…。
…知ってるんですか?…。
…ええ時々靴を買いに来られますよ…。
 私は主人のはっとした顔を見逃さなかった。
 E校長は靴の横流しをしている。
 つぎの配給の時だった。K先生から割当数を教えて貰っていたので…校長先生!五、六年生は大きいので草履はぼろぼろ、靴の踵もつぶれ、爪先から指がでてる子ばかりです…今度は十五足お願いします!と頭を下げた。
…なんとか事務所に申請して余分にとるから!…と意外な返事。
…Y先生!私の父が校長の時、出張費は毎月、六、七円でしたのに E校長はその二倍以上でしょう、これもあやしいわねぇ!…とU先生がつぶやいた。彼女の父は寺の僧侶で私が赴任する二年前に退職していたのだ。
 ある日、体操を終えて子供逹と水洗い場で足をあらっていると、着物姿の妙齢な眼のぱっちりした婦人に声かけられた。
…これほんのすこしばかりですが、お召しあがってくださいな…。 と風呂敷包みを開いて天麩羅の香りのするものを差し出した。

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