カウライ男の随想 二十八
私は教員住宅といっても一軒屋で玄関とは名ばかりの学校前の住まいに入っていた。六畳一間の狭い住まいだったし、自炊とはいっても主食はわずかの配給だし、副食としてタクアン一本と梅干しだけで食べていた。戦時中とは言え、四国に比べて雲泥の食生活を強いられていた。…こんな食生活を続けたら病気になるぞ!いったん高知へ戻ったら…と兄が心配して言う。
そんな矢先、突然、天麩羅の土産をいただいて眼を疑った。
…じつは今年O農林へ入った次男の勉強のことでお邪魔しました…突然ですが次郎のお勉強を見ていただきたいと思いまして…。
…そうですか、やりましょう、今夜、お伺いしてよろしいですか?。 私は天麩羅を頭に浮かべて考えもせずに答えた。
家庭教師を頼むとはよほどの金持ちに違いない…と私はその夜、S家を訪れた。事前にU先生からS家は奥多摩第一の山林王と教えられた。
鬱蒼と茂る欅の樹齢は数百年はあろうそのかたわらに山門があり、右側の二階は恐らく下男部屋にちがいない格子窓が見えた。
私は途中で思い切って家庭教師で通うより下宿させて貰おうと考えていた。にこにこ顔で白髪の老婆が私に深くお辞儀してくれた。 家族は細面でやや神経質な感じの祖父と婦人の夫は金持ち独特の威張った表情に見え、農林学校一年生の次郎とその弟の国民学校一年生の寅男、府立九女にかよう次女の七人のほか、女中のカヨと小僧の四郎が裏の人足長屋に住んでいる。
私は思い切って下宿させていただけないか…と切り出した。
…たいへん結構ですが、主人がなんと言うか明日、ご返事させてくださいませんか…と婦人から鄭重な返事をいただいた。
その頃私になついていた五年生の茂助が朝倉と言う屋号の村一番の大盡家に下宿しようとする私に…先生!朝倉行くのかぁ!オレつまんねぇぜ!まったくぅ!と口とがらして怒った。
私は教員住宅といっても一軒屋で玄関とは名ばかりの学校前の住まいに入っていた。六畳一間の狭い住まいだったし、自炊とはいっても主食はわずかの配給だし、副食としてタクアン一本と梅干しだけで食べていた。戦時中とは言え、四国に比べて雲泥の食生活を強いられていた。…こんな食生活を続けたら病気になるぞ!いったん高知へ戻ったら…と兄が心配して言う。
そんな矢先、突然、天麩羅の土産をいただいて眼を疑った。
…じつは今年O農林へ入った次男の勉強のことでお邪魔しました…突然ですが次郎のお勉強を見ていただきたいと思いまして…。
…そうですか、やりましょう、今夜、お伺いしてよろしいですか?。 私は天麩羅を頭に浮かべて考えもせずに答えた。
家庭教師を頼むとはよほどの金持ちに違いない…と私はその夜、S家を訪れた。事前にU先生からS家は奥多摩第一の山林王と教えられた。
鬱蒼と茂る欅の樹齢は数百年はあろうそのかたわらに山門があり、右側の二階は恐らく下男部屋にちがいない格子窓が見えた。
私は途中で思い切って家庭教師で通うより下宿させて貰おうと考えていた。にこにこ顔で白髪の老婆が私に深くお辞儀してくれた。 家族は細面でやや神経質な感じの祖父と婦人の夫は金持ち独特の威張った表情に見え、農林学校一年生の次郎とその弟の国民学校一年生の寅男、府立九女にかよう次女の七人のほか、女中のカヨと小僧の四郎が裏の人足長屋に住んでいる。
私は思い切って下宿させていただけないか…と切り出した。
…たいへん結構ですが、主人がなんと言うか明日、ご返事させてくださいませんか…と婦人から鄭重な返事をいただいた。
その頃私になついていた五年生の茂助が朝倉と言う屋号の村一番の大盡家に下宿しようとする私に…先生!朝倉行くのかぁ!オレつまんねぇぜ!まったくぅ!と口とがらして怒った。