吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

カウライ男の随想 三十二

2005年11月05日 06時28分08秒 | カウライ男の随想
カウライ男の随想 三十二 
 
 次郎は腺病質の子だった。体格はか細い方でよく下痢をして…オレが下痢するのは母チャンが悪いせいだ…と言った。 私は日曜日になると屋敷の裏山の小道を頂上まで次郎を連れて駆けのぼった。頂上の森で待ってると息もたえだえに次郎が着くなりばったり倒れこんだ。そんな厳しい訓練に、当主のT一郎はいつも苦虫を噛んだ表情で機嫌が悪かった反面、母のS枝はとても喜んでわが子の少しづつ変化してゆく様子に微笑をたたえて見守ってくれる。 夜、十時をまわっても私と次郎は机を並べて勉強するがその間、茶の間ではS枝は本を読み、ラジオをつけてわが息子の勉強ぶりに大満足だが、時々…S枝!もう休なさい!と奥部屋からT一郎の声がかかることも度々あったがS枝は素直に…ハイ…と返事するだけで茶の間から立とうとしない。
 おそらくT一郎は私が憎くて仕方がないのだろう…今日は信男になんだ!自転車を納屋に片付けさして!自分のことは自分でと言ったばかりだろう!信男はお前と同じ年の少年だ!家が貧乏なのでこの家に小僧として住み込んでいるんだぞ!しかもお前よりずっと頭のいい子だ!二度と信男に頼んだら先生はもうお前に勉強を教えるのを辞める!…そんな私の声は広い屋敷の物音ひとつしない夜だから、S枝とT一郎ほか次女や祖父母にもつつぬけだった。奥部屋のT一郎が悔しさをこめたやや強い咳払いをした。
 次郎が涙ぐんだので叱責をとめた。
 次郎にしては生まれて始めて経験した叱責だろう。
 翌日、夕食をすませて勉強部屋に次郎は緊張して座った。しばらくして次郎は立ち上がると茶の間へ行って…母ちゃん!これ何と読むか教えてくれろ!と国語の教科書をだした。
…知りません!先生に聞きなさい!…とS枝は冷たく拒絶した。
 半ベソをかいて次郎は首うなだれて戻ると、蚊の鳴くようなか細い声で…先生、これなんと読むんですか…と訊いた。

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