吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

済州島の二日

2005年05月12日 15時55分58秒 | Weblog
 韓国窯場旅も二十年がすぎて、七年前にやっと済州島の旅を楽しんだ。
 韓国陶芸家の友人、三人ともまだこの島を訪れていない。
 同じ韓国なのにどこかがちょっと違っている。市街の美しい街路樹も丁度、南国高知のように熱帯樹木がならんでいる。
 ミカン畑が山裾にひろがり、民家の石垣には色とりどりの野草がへばりついていた。
 昔からこの島は三多と言われるほど、風、女、石が多く、海岸に沿って走る車の窓からよく舗装された道路はハルラサンから流れでて固まった黒っぽい溶岩石でできていて石にはアバタ状の小さい穴がある。
 農家の藁屋根はかっての日本海漁村のように石が風よけに重しとしてつかわれていて、台風に飛ばされぬよう藁縄の網でしっかり押さえてある。
 李朝時代からこの島の女性は働き者で戸外にその姿を多く見かけるところから三多のひとつになり海女も数万人はいると言う。
 李朝の昔、この島は日本の遠島の刑とおなじように両班逹が左遷、島流しの刑でやってきたので島民は教育熱心で気品ある顔立ちが多い。また三無の島とも言われるのはこの島に、乞食、泥棒が皆無で門がないのだ。
 家の入り口には牧場のように横に丸太がおいてあるだけで三本の横棒も、一本の場合は、家の者が近所に、下の一本がない時は子供逹が近くに、三本ともしまっている時は家の者全員が留守の印となっている。
 過去に外敵に(倭冠など)侵略されため、海上の船に発見されぬよう厨房の煙突はなく、軒下の穴から煙を出す工夫をしている。
 私はトルファルバン(石の爺さん)を見て一人で笑みが零れた。
 疫払いの土俗信仰のシンボル石像だ。顔があばたなのは溶岩石で彫ったのでその表情のとぼけに良く似合っている。鼻が飲んべぇの赤鼻を連想させるほど磨り減って丸くなっているのは、子宝を願う女性逹が鼻を撫でたためだった。
 その他、善聞台(ソンムンデ)のハルマンばあさんの伝承話、風の神、パラマ伝説などこの島ならではの土俗伝承話が多く、戦前、多くの島民逹が関西方面に出稼ぎにきている。 ゴルフ場のフエアウェイのど真ん中に四角く低い石垣があった。
 キャデイに訊くと、墓所と教えてくれた。心地好い風のふきぬける素晴らしい場所で故人が安らかに…との遺族の願いからこんな墓所となったのだ。その真ん中にトンジャーソックと言う、可愛い僧の石象がちょこんと立っているが、なんとも言えないユーモラスの眼だった。
 世界には無数のゴルフ場があるがフェアウェイに墓のあるのは済州島だけである。島民の祖先を尊ぶ精神がそうさせたので、私が途中の墓地で五体倒地の礼をしたら、キャデイにテェダニ、カムサムニダ(たいへんにありがとう)と言われた。
                        




最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして♪ (シフォン)
2005-05-13 10:17:52
TBありがとうございます。

昨今の韓流ブームにのって、1年前から韓国語の勉強を

始めましたが

文化や歴史などについては、まだよくわかりません。

また寄らせていただきますので、よろしくお願いします。
返信する
勉強になりました (go_n_ta)
2005-05-13 17:39:31
TBありがとうございます。

済州島のことがよく分かりました。ぜひ訪れてみたいです。
返信する
Unknown (吉松ひろむ)
2005-05-14 09:07:18
百聞は一見にしかずも韓国の諺にありますが、飛鳥のようなたたずまいにうたれます。

ゴルフ場の石垣墓をぜひごらんください。
返信する