吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

済州島その2

2005年05月13日 09時22分32秒 | Weblog
 どうも三について拘るのだが、三姓穴と言われる神が地中から出現したという場所がある。
 辺りは樹林にかこまれて神聖な雰囲気が漂っていた。
 梨花大学、文学大学、日本語科のM穣と知り合った。ソウル大学卒業の工学士と恋愛したが彼は卒業後、フランスに行ったまま連絡が途絶えたという。
 日本と韓国の比較文化は結構勉強していて、奈良時代の百済文化が日本に影響したもろもろについて詳しい。仏教の経典、仏像、陶磁器、薬品、などなど、だからどうだと言うつもりはないと微笑んだ。
 三姓とは高、梁、夫、を言う。
 ホテルのフロントボーイは権君で茶房のママは朴、ルーム係のアジェモニーはそれぞれ金、方、韓であった。済州島を故郷と言ったのは、金氏、韓氏だったが皆若い人ではたしてそうかどうか…夕方、町の天幕屋台で真露(チョンノ…焼酎)を飲み、プルコギを食べながらママに訊くとまさしく梁順淑(ヤンスンスク)と名乗った。済州島の名門名ですね…と言うと、ネェと胸を張り、毎年、春、夏の祭祀が楽しいヨと言った。
 M嬢はそれぞれ三人の神様は、高乙、良乙、夫乙、(カンウル、ヤンウル、プウル)と教えてくれた。
 日本で強制した姓氏改名で、高本、高木などと改名した在日韓国人はやはり済州島出身だった。
 夫は扶余族の南進した人々ではないかと勝手に想像して、しばらくハンラサンの上にかかる積雲を眺め、李氏朝鮮王朝の十六世紀の初め、済州島の漁民が遭難して琉球王朝の援助で無事済州島へ送り届けられたのを沖縄で聞いたことを思いだした。
 この島の人々は海洋文化とともに生きてきたせいか、とてものどかで明るい性格でトルファルバン像のユーモラスな表情もそんな性格のあらわれと思った。

最新の画像もっと見る