竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

「武器なき“環境”戦争」を読んで

2010年10月12日 | 自然エネルギー
名古屋でCOP10がはじまった10月10日、11日と青森県の六ヶ所村に行ってきた。花とハーブの里でのワークショップで自然エネルギー「事業」のことなど話をするよう求められたためだが、その行き帰り時間が有り余ると思って「武器なき”環境”戦争」を購入した。

東北新幹線が八戸まで開通したといっても、六ヶ所村はそこからまた東北本線に乗り換えて野辺地、さらにそこからバスに揺られて行くほかない。野辺地で1時間超の待ち時間があったこともあり、行きはドアツードアで8時間近くかかった。帰りは野辺地までHくんの車で送ってもらったこともあって一気に短縮し6時間弱だったが・・。
この合計14時間で「武器なき”環境“戦争」は難なく読めた。わかったことは、二人とも「排出権取引」に懐疑的だということ。しかも単純に日本の排出削減義務を達成するのに100%海外クレジットが使えると思っているらしいということ。京都議定書はイギリスのインテリジェンス(それを評価しつつも)に日本がしてやられた・・だけのものという認識を持っていること・・など、少々がっくりする内容であった。

スパイ小説もどきが大好きの手嶋氏が「陰謀説」は疑ってかからなければいけないと言いながら、京都議定書はEU、とりわけイギリスの「陰謀」的な論陣を張るのは、まあしようがないと思うが、マスコミで客観的オールラウンド解説者として重宝されている池上さんが、これにほとんど相づちを打っているのはいただけなかった。
今後の池上さんの地球温暖化問題の解説には、少し注意をして読み解く必要がありそうだ。

確かに排出権取引には難問が山のようにある。すでに実施されているEUでは多くの裁判沙汰が発生しているとも聞いている(残念ながら個別具体的なフォローはできていない)。しかし、それはユーロもそうだし、EU統合それ自体まだ途上である。次々と新しい実権を繰り出すEUのチャレンジには、この二人も大いに評価しているのだ。
排出権取引は1997年の京都会議(COP3=第3回地球温暖化防止条約締約国会議)で提案され、基本的にNPOは反対した。私はグリーンピースジャパンのスタッフとして、「抜け穴だらけのチーズ」という主張をしたことを覚えている。当時の主張で重要だったのは、温暖化を防止するには、世界中から排出できる温室効果ガスの量は「すでに決まっている」ということだった。つまりどれだけの石油や石炭が使えるかは、資源量の問題ではなく、排出量の限界から決まるという考え方だった。

この考え方が受け入れられたとは思っていないが、排出量取引はその考え方をした時期にしたようにも見える。
世界中の排出枠が入る入れ物の大きさは決まっている。たくさん排出して、先に埋まってしまった国は、まだ余裕のある国の排出枠をお金で買って超過した排出量を入れるほかない。その価格がどこまで上がるかは、売り手と買い手の市場原理で決まる。

その考え方を日本で最初に採用したのが東京都だ。いわば東京都が2014年までに出す排出量を先に決め、その量を排出量の大きな事業所に配分した。各事業所は、その量を超えないように頑張りなさいと、もし超えるようなら超過分をCO2削減クレジットを購入して代替しなさいと。
ただし重要なことは、東京都は海外クレジットを認めないとしたことだ。池上さんや手嶋氏がいう「EUの陰謀」はあっさりと東京都に粉砕されている。国内の自然エネルギー、国内の省エネから生まれてきたCO2削減クレジットに限るとしたことによって、国内の自然エネルギーや省エネ産業に非常に大きな需要をつくり出したのである。

この二人はどうしてこのインテリジェンスを評価しないのだろう。

この本のテーマの中心は皮肉にも「メディアリテラシー」という言葉である。
情報の受け手がマスコミ情報の中から真実を見抜く能力というような意味だが、もう一つは発信する側の能力という意味もある。
二人が異口同音に語るのは、日本のメヂアのリテラシーの低下だ。
が、どうも、お二人の発信にもその低下を感じざるを得なかった。
それとも「編集リテラシー」がひくすぎたのだろうか。

ちなみに、六ヶ所村の花とハーブの里には小さな70Wの風力発電がまわりはじめた。
この村は太平洋と陸奥湾にはさまれたなだらかな丘で、おそらく日本で最も風力発発電に適した陸地だということだ。
両方の海から風が吹き上げてくる。それが明らかとなったいまでは、この半島に風車が林立してる。野辺地駅から下北半島を見ると、風車で真っ白に見えるほどだ。
不幸なことに、その以前にこの地は核燃料サイクルの基地にされてしまっていた。実体は原発の核のゴミの終着駅(墓場)だ。

お二人の本では、原発に対しても無批判に地球温暖化防止のために必要なツールと書いている。日本の電力会社は原発にしがみつき続けた結果、この核燃サイクル基地に2兆円以上を注ぎ込み、さらに今年また数千億円を増資という形で注ぎ込む。一方でいっこうに減らない電力会社のCO2排出量(日本の排出の3分の1が電力会社だ!)のために海外クレジットを数千億円、これは毎年買うことになる。
海外クレジットに頼らず国内の自然エネルギー「産業」を育てようとする東京都と、国民の電気料金を湯水のように核燃サイクルと海外排出クレジットに使い捨てる電力会社、いったいどちらが「インテリジェンス」の持ち主と言えるだろうか?

まったくわかっちゃいないお二人の本で、「読むに値しない」という最低評価を下したいと思います。
今後は池上さんに対する見方も変わってしまうかもしれません。
変な本は出すものではありませんね。









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