竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

コロナ下でも再エネは伸び続けています!

2021年04月30日 | 自然エネルギー
2021年はものすごい勢いで過ぎていきます。1月明け早々から、新電力「グリーンピープルズパワー」として直面した市場価格高騰。2月までは、ほぼこの対応だけで必死でした。約2100万円の損失に対し、なんとか2100万円の増資で乗り切りました。増資に協力してくださった皆さん、この場を借りて感謝をお伝えします。
乗り切ったとはいえ、問題が解決したわけではなく、この問題を再発させないためにはどうするか、制度の問題を含め、調べ、分析し、発信するということをやっていました。

最初に書いたのが「エナジーシフト」というウェブマガジンの”「天然ガス在庫不足も需給逼迫も関係がない」電力の市場価格高騰、真の原因は 新電力からの発言”という記事です。
https://energy-shift.com/news/8d7473bc-ed15-40af-8a98-f8278850904c

まだ情報があまりない中で、よくまとめたなあと思います。
その後もいくつかの原稿依頼と講演依頼が来ました。いまだ公開されていない原稿もあります。そんな仕事に追われていた3月が終わると・・4月2日、父親が亡くなったとの連絡が入りました。

突然の両親との別れ

父親は数年前から、滞在型の高齢者施設に入っていました。まだ元気で喋れましたし、ゆっくりなら歩くこともできました。3月21日が96歳の誕生日で、電話でそれを祝うこともできました。新型コロナウィルスの感染拡大の中で、私は実家のある広島にも帰れません。広島にいる妹だけが、毎日のように会いに行っていました。妹の電話を通して、このまま100歳まで頑張ってねと言ったのが、最後の会話になりました。
さすがに葬儀は妹一人では大変で、私も広島に戻りました。会議がいろいろ入っていたのですが、なんとかいろいろな人に変更をお願いしました。翌日はレンタカーで千葉県の長南町まで行くことになっていたのですが、これも急遽ピンチヒッターにお願いしました。長南町の皆さん、すいません!
広島では、それこそ50年ぶり・・というような親戚の皆さんとお会いしました。コロナ下にもかかわらず30人近い方々の参列があり、父親の慕われ方を改めて知りました。そして葬儀を終え、川崎の自宅へ戻り、遅れた仕事を整理し始めた翌週土曜日、今度は母親が亡くなったとの連絡。絶句するしかありませんでした。
母親は10年ほど前から認知症がはじまっていました。耳が聞こえなくなり、それが症状を一気に悪化させたように思います。足は元気だったため徘徊し、山菜取りのつもりでしょうか崖を登ったりして、足を折ったり、背骨を折ったり、足の悪い父親では手に負えない状態になりました。それで、父親よりもっと早くに施設に入ったのです。コロナ下でこちらの施設はこの1年、妹も面会に入れませんでした。私も妹も顔を合わせることもできず、したがって父親の死を伝えてもいなかったのですが、母親は見事にあとを追いました。
先週に引き続き土曜の通夜、日曜の告別式となり、私も再び広島に戻りました。お坊さんも、こんなのは初めて・・とびっくりされていました。前の週に来ていただいた、親戚の方々はほぼ皆さんもう一度参列してくださいました。今回は小さな家族葬でと思ったのですが、会場には人が溢れてしまいました。(クラスターはなんとか発生しませんでした。)
母親は93歳でした。二人とも90歳を超えての大往生ですし、今頃、二人一緒に天国にいるのかと思うと、ある意味微笑ましいという感じもします。とはいえ、本当に目まぐるしい、新年度の始まりでした。


実家の庭に咲き乱れていた黄色い花

タケちゃんの半生を語る

4月の半ば、「原発ゼロ市民共同かわさき発電所」という団体の企画で、「いつも話していない話」をせよという講演会が開催されました。”「日本の再エネ」―都市型市民発電の過去・現在・未来―”というタイトルが付けられ、反公害運動から反核、反原発、そして再生可能エネルギー推進に本腰を入れ、現在の新電力会社立ち上げに至るまでの経緯を話しました。私が太陽光発電と出会った話、グリーンピースジャパンスタッフとして1997年の京都会議で「ソーラーキッチン」をお披露目した話、また国会で議員秘書として取り組んだ「自然エネルギー促進法(案)」の盛り上がり方と潰され方を話しました。
飯田市での地域エネルギー事業への取り組みは、暗澹たる日本のエネルギー政策の中で、未来への希望につながる事業でした。その延長線上でいま、政府がやらないなら地方自治体がやる、地域の市民がやるという形で、全国に再生可能エネルギー事業が広がっているのだと思います。
東日本大震災・福島原発事故後は、その勢いが変わりました。政府がどんなに邪魔しても、再生可能エネルギーは雨後の筍のように伸びていくでしょう。一つの現場、一つの局面では、とても障壁が多いと感じられるかもしれませんが、10年前、20年前とは比べ物にならないほどに再エネ環境が整っています。目先の抵抗勢力やどうしようもない制度に、簡単にあきらめないで取り組んでいくと道が開けていく・・というのが今だと思います。
講演の内容は以下で見ることができます。

グリーンピープルズパワーの動画サイト
https://www.greenpeople.co.jp/video/
川崎の講演会は質疑含め3時間ぐらいと長いです。
隣のエコアップあつぎの再生可能エネルギー基礎講座も勉強になると思います。


1997年京都会議でのソーラーキッチン。
古い写真を見つけると懐かしい志田(事務局町)さんの姿。真ん中の黒いコートの若者が私。

1年を超えたテレワーク

私が関わる新電力「グリーンピープルズパワー」、発電事業会社「イージーパワー」、そして再エネ事業者ネットワーク「市民電力連絡会」ともに、昨年4月から完全テレワークに入っています。さすがに1年は長いです。しかし、おかげさまで、再生可能エネルギーの発電所はコロナ下でも変わらず発電を続けています。人間が運転する必要ないので、感染対策も必要なしです。気候変動の影響は受けますので、この2年ぐらい夏場の晴天が少なく、そのぶん売上は伸びませんが、大きく減るということはありません。
電気のユーザーも増加し続けています。1月の市場価格高騰でも、大手電力に戻るという選択をした方はほとんどありませんでした。ただ今期から黒字へというシナリオは、現時点の見通しでは、利益を市場価格高騰でほぼ吹き飛ばされそうです。緊急増資でかろうじて息をつなぎましたが、予想シナリオを上回るユーザーの伸びがないと黒字化は難しいかもしれません。
まして、この1月のような異常事態がこの8月、来年の1月と続くようなら、小さな新電力はみんな維持できなくなるかもしれません。それは消費者の「選択肢」が奪われるということでもあります。そうならないよう、グリーンピープルズパワーは卸電力取引所(JEPX市場)を通さない「非FIT発電所」比率を増やそうとしています。
市民電力連絡会も、FIT制度が事実上終了という中で、新たな発電事業をどのように生み出すのか試練のときを迎えています。私の結論は、非FIT発電所をどんどん作って、それをグリーンピープルズパワーが購入し消費者に届け、その消費者が市民電力連絡会の参加する事業者の発電所に出資、投資する・・というもの。すでに答えは出ています。
ただ、これを直接現場で手取り足取り伝えるのではなく、テレワークの中で広げ浸透させていくことが必要です。そう考えると大変だなーと思われるかもしれません。しかし1年のテレワークで確信したのは、オンラインの方がたくさんの人に会え、より深く伝えられるということです。市民電力連絡会のゼミナールやグリーンピープルズパワーのオンラインセミナーには50人を軽く超える人が毎回参加しています。参加者の地域も北海道から沖縄まで、さらにドイツやアメリカなど海外に広がっています。しかも多くの若者たちが参加してきています。

時代は確実に動いている

菅総理は2030年にCO2を2013年度比で46%削減という方針を打ち出しました。地球温暖化を食い止めるためにも、また諸外国に比べても低い目標であることは間違いありません。しかし頑迷に抵抗してきた勢力からは「達成不能な目標」とも思われています。「あと4年キャンペーン」や「フラーデーズフォーフューチャー」の若者たちは不十分すぎると怒っています。私としては、まずこの目標を達成し、さらに高い60%、70%削減への道を作っていくことだと思います。

ato4nen(あと4年)キャンペーン
http://ato4nen.com

Fridays for Futuer Japan(フライデーズフォーフューチャー)
https://fridaysforfuture.jp

総理の思惑は46%の大半は原発だと思っているかもしれません。現在の日本の電気に原発が占める割合は僅か6%です。再エネ14%の半分にも満たないのです。それを少なくとも20%にしたいと思っているらしい。そのためには再稼働どころか新増設も必要で、日本各地で猛反対の運動が起こるでしょう。
再エネのポテンシャルは日本の電力需要の7倍あります。環境破壊型にならないよう配慮して絞り込んでも2.5倍あります。特に農地ソーラーの可能性は莫大です。再エネの開発が確実に行えるよう、送電網と制度を整備することの方が、原発に固執するよりも簡単です。こうしていま、確実にコロナ前とは違う政治的経済的変化と人々のネットワークがはじまりつつあると感じます。コロナは辛いけれど、これを乗り越えた先には「新しい時代」が待っているのではないでしょうか。ということで、今日はこれまでとしたいと思います。



私のマンション屋上の太陽電池


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