竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

激動の2010年を振り返る

2010年12月31日 | 自然エネルギー
いよいよ今年も最後の1日になった。政権交代のあった2009年よりも、さらにはるかに激動の1年だったと言える。振り返って見ると、この1年は新政権への落胆、失望、怒りばかりを書いていたような気がする。そもそもそんなに期待などしていないはずだったのに・・。はやり心の奥底に、変化への期待があったのだと思う。

そこで、もっと大きく歴史の変化を考えてみたい。2010年は21世紀に入って最初の10年だった。20世紀は戦争の世紀だったと言われる。第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争にイラク戦争、イスラエルにパレスチナという中東は常に戦乱の中にあった。日本は日露戦争のあと、朝鮮併合、満州国樹立、そして南方に覇権を伸ばし、太平洋戦争で壊滅的な大敗北をアメリカに喫する。

前半は獰猛なアジア侵略、後半はアメリカの忠実な僕となることによって崩壊した経済を立て直し、世界第2位の経済大国となり、アジアの中心国となった。しかし、つい50年前まで武力で侵攻して来た国をリーダーとして尊重し尊敬するには日が浅すぎた。その存在を認めてもらうには、理念のある外交が必要だった。

その外交の柱が「平和外交」であり、その担保が日本国憲法(とくに第9条)であったことは言うまでもない。しかしながら実体は、戦争放棄はうたうものの、事実上の戦力である自衛隊の規模はどんどん大きくなり、米露に次ぐ軍事大国となった。

それにもかかわらず、敗戦から50年以上を経ても日本の中に米軍基地が居座り、日本の中で軍事演習を行ない、日本から21世紀の象徴である戦争地帯へと出撃している。世界有数の「戦力」も、いわば米軍の補助部隊で、つまりいまだ独立できない経済大国というのが、20世紀の終わりにあった日本の姿だった。

戦争の世紀に倦んでいた人々は21世紀が平和の世紀になることを期待していた。その期待を見事に打ち砕いたのが2001年の9月11日のWTCへの航空機激突である。いわゆる同時多発テロ事件であるが、本当にテロだったのかいまだ謎が多い。この事件を契機にアメリカはイラク攻撃、アフガン攻撃とエスカレートして行く。その戦費は大国アメリカの財政すら圧迫し、世界経済の激変を促進している。

日本は20世紀の末に55年体勢と呼ばれた日本型政治の終焉を迎えていた。自民党の長期低落傾向。1990年代はじめからはじまった政界再編の流れの中で社民党、民社党、さきがけ、日本新党などが集まり民主党が誕生した。自民党から分かれた新進党その後の自由党は、このころ自自連立を演じていた。新しい改革への動きの中で、自民党政治も終わりかと思われた中、自自が自自公となり息を吹き返す。

野中広務の豪腕によって演出された激変だったが、これが歴史を大きく後戻りさせた。1990年代は失われた10年といわれたが、その後の2000年代も失わせてしまったのはこれだ。先を見ない、目先の取引きが将来のどれだけの禍根を残したか野中氏は胸に手を当ててよく考えてみるべきだ。

かろうじて息を吹き返した自民党の中で、でも大多数が飽き飽きしている自民党政治を痛烈に批判して、皮肉にも自民党を大躍進させたのが小泉である。そもそも総理になる器ではなかったが、激変の中で「気の効いた」目先の言葉を発する小泉を国民は圧倒的に支持した。それがどれだけ自分たちの首を絞めるか、深く考えもせず。

すでに景気の低迷、財政破綻、雇用喪失、地方格差など、さまざまな難題に直面していた日本は小泉政治で一気に地獄の底に落とされた。もっとも痛めつけられたのは底辺の人たちだった。派遣労働があたり前となり、学生に就職なく、正規職員もびしびし首を切られ、やがて職も住むところも失った人々が街にあふれた。追い討ちをかけるように、それを自己責任とせせら笑う文化が日本の中に生まれた。

小泉劇場に騙されたと気がついた人々、結局は経済も景気も雇用も良くならないと気づいた人々は自民党ではない選択肢に動いた。必然の成り行きで受け皿は民主党となり2009年の衆議院選大勝利と政権交代をもたらす。その真価を問われたのが今年2010年というわけだった。結果はご覧の通りだ。政治は良くなっていない。

しかし、21世紀に期待がかけられた「平和の世紀」への思い、1990年代から急激に進行した自民党的な政治への決別という流れは、変わるとは思えない。その流れは民主党が演出したものではなく、民主党がその流れに乗せられただけのことだ。受け皿が違うと思えば、人々はまた別のものを求める。そういう意味では、国民の方が健全なのだ。

世界を見渡したとき、いろいろな流れが見える。化石燃料や原子力という重厚長大型エネルギーから分散型の自然エネルギーへ、中央集権から地域の自立型社会へ、巨大開発から必要な公共の事業へ、コンクリートから人へ、会社保護から個人(人間)の保護へ・・。一方で国境のないボーダレスな社会を予測する通貨統合や自由貿易という流れもある。

2008年に世界を襲った金融危機は、後者の流れにはまだ多くのルールの整備が必要なことも示唆しているが、大きな流れは変わるまい。これから当面の政治の世界で起こることは、政党から人(個人の議員)へ、官から民(政治家ではなく「市民」)へ、そしてボーダレスに世界中でつながる市民(個人)が作り上げる「仕組み」の誕生であろう。

その大きな流れを考えると2010年もまんざらな年でもない。大きな転換期としての意味を、2020年に振り返った人々が感じ取るだろう。私もくさらず、不満ばかりを頭にめぐらさず、来年は前向きにむかって行こうと思う。




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