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全国交通ニュースブログ

日本全国の交通に関する最新ニュースをピックアップして紹介します。
幹線道路、バス、航路、ICカードなどなど・・・

旧東神戸フェリーセンターの待合所、ついに解体へ?

2022-06-26 00:29:36 | 船舶・航路関連

2022/6/25付ブログ東神戸フェリーセンターの閉鎖23年後の様子の続きです。

東神戸フェリーセンター跡地のうち、西側の一部はサンシャインワーフ神戸のエリアから外れており、フェリーターミナル当時待合所として使われていた建物が今も残ります。

阪神電鉄青木駅からまっすぐ南に歩くと、道路は自動車通行止めになります。その先に見えるのが元待合所で、現役時代は「フェリーのりば」の大きな電光文字看板が取り付けられていました。ちなみに待合所は東側にもう1つありましたが、こちらはサンシャインワーフ神戸の敷地の一部となり撤去済です。

外観はほぼ待合所時代のままで、「船客待合所」の看板も取り付けられたままです。

つい最近までポート産業(神戸フェリーセンターの子会社の警備会社)と新神戸セキュリティ(ポート産業の関連の警備会社)の本社が入居していましたが、いずれも南隣に神戸市が新築したビルに移転済で、現在は空き家状態です。

築50年の海岸沿いのビルとあって老朽化は相当激しく、近日中に解体されるかもしれません。解体されると、東神戸フェリーセンターの名残は港湾設備のみとなります。


東神戸フェリーセンターの閉鎖23年後の様子

2022-06-25 19:58:07 | 船舶・航路関連

1971年から1999年まで、神戸市東灘区に東神戸フェリーセンターという一大フェリーターミナルが存在しました。

阪神電鉄青木駅から徒歩でアクセスでき(JR芦屋駅・阪神芦屋駅との間に連絡バスもあり)、四国・九州各地とを結ぶフェリー航路が多数発着して70~80年代には特ににぎわいました。

しかし、フェリーの大型化に伴い一部航路が六甲アイランドに移り、さらに阪神・淡路大震災で大きな被害を受け復旧したものの一部は移転先の大阪南港から戻らず、1998年3月の明石海峡大橋開通による徳島航路や川之江航路の廃止がとどめを刺す形で、1999年3月に閉鎖されました。

跡地には大型商業施設「サンシャインワーフ神戸」が2000年秋にオープンし、現在も盛業中ですが、公式サイトのトップに掲載中の全景写真からわかるように、港湾部分(フェリーが発着していた部分の施設)は撤去されずそのまま残っており、閉鎖23年後も「かつてここがフェリーの発着場所だった」ことが来場者に容易に理解できるようになっています。

最近のブログで紹介したたこフェリー跡地(明石港・岩屋港)淡路島津名港と異なり、自動車をフェリーに載せるための可動橋の本体もそのまま残されているのが特徴的です。

一角にはバスの発着場があり、可動橋の前に路線バスが停車します。フェリー発着時代の進入路をそのまま転用しているようです。


釜石と盛岡を結ぶ幹線バスに相次ぐ動きが

2022-06-24 18:50:23 | 路線バス

岩手県の沿岸部と県都盛岡を結ぶ特急バスはいくつかの路線がありますが、鉄道との関係性は以下の通りです。

 ・宮古~盛岡・・・1980年代以来特急バスが鉄道に対し圧倒的に優勢

 ・釜石~盛岡・・・鉄道(直通快速が1日3往復、所要時間2時間20分前後、運賃2310円)のほうが特急バス(1日1往復、所要時間2時間40分程度、運賃2040円)より優勢

 ・大船渡~盛岡・・・事実上1日3往復の特急バス1択(鉄道だと遠回り)

ちなみに、東日本大震災発生時点では釜石~盛岡の特急バスは1日2往復、大船渡~盛岡は1日5往復でした。

 

しかし、ここにきて釜石と盛岡を結ぶ特急バスに相次いで動きがあります(した)。

2022年6月1日に、これまで仙人峠付近を除く大部分で一般道(国道283号・国道396号など)を経由していたのを、釜石市街地を出てから盛岡市街地の手前まで高速経由(釜石自動車道・東北自動車道)に変更し、所要時間が30分以上短縮されて釜石駅前~盛岡駅前間2時間となりました。

http://www.iwatekenkotsu.co.jp/pdf/newsrelease/newsrelease_20220329.pdf

そして、1か月後の7月1日からは、大船渡~盛岡間の特急バスのうち1往復が釜石市街地を経由するようになります(大船渡~釜石間は三陸自動車道経由)。

http://www.iwatekenkotsu.co.jp/pdf/newsrelease/newsrelease_20220530.pdf

http://www.iwatekenkotsu.co.jp/pdf/timetable/choukyori_bus/oofunato-morioka_20220401.pdf  <参考:4月1日~6月30日の間の時刻>

釜石駅前~盛岡駅前間の所要時間は上記便と同じ2時間で、さらに盛岡市の南の矢巾町にある岩手医大病院まで運行し、通院が便利になります。

一方、大船渡駅前~盛岡駅前間の所要時間は現在より30分近く長い2時間40分になるほか、気仙郡住田町の中心部を通らなくなります・・・釜石道は住田町をかすめるだけでバス停なし


続:京都市バスの観光客向け急行バスは事実上廃止

2022-06-22 00:00:27 | 路線バス

2022/1/23付ブログ京都市バスの観光客向け急行バスは事実上廃止のようですの続きです。

新ダイヤ実施(=観光客向け急行バスをすべて正式に休止)からちょうど3か月後、2022年6月19日(日曜日)時点の京都駅前バスターミナルの様子です。

案内所には、大々的に休止に関する看板が立てられています。

京都駅ビルにもっとも近い「一等地」のはずのD1のりばは、近年急行系統専用(主に100号系統)になっていたので、このありさま・・・

急行系統とは直接関係ありませんが、再度役に立つ日が近い?インバウンド観光客向けの案内掲示。京都市バスと民営の京都バスがそれぞれ独自に系統番号を割り振っているため、「73」が重複していることへの注意喚起です。誤って市バスの73号系統に乗ると、観光客とはほぼ無縁の洛西ニュータウンに連れていかれます。

 

 

 

 


淡路島・津名港の栄華を偲ぶフェリーターミナル

2022-06-21 18:17:44 | 船舶・航路関連

淡路島・津名港の栄華を偲ぶ高速船ターミナル(その3)の続きです。

津名港のかつての高速船・フェリーの発着場所の位置関係がわかるGoogleMap

1994年以前の津名港高速船ターミナルの北隣には、カーフェリー用の可動橋の撤去跡が残ります。

ここは、1971年から1993年まで甲子園フェリー(西宮市鳴尾浜と淡路島を結んでいた)の発着場所でした。2枚目の写真の向こうに見える柵に囲まれた建物は、当時フェリーターミナルとして使われていました。

こちらのブログに載っている大鳴門橋開通前の甲子園フェリーのパンフレットを見ると、ここが志筑(しづき=平成の大合併で淡路市が誕生する前の旧津名町の中心部一帯の地名)のフェリー発着場であったことがわかります。ターミナルとの位置関係も合っていますね。

ターミナルはフェリー会社ではなく淡路島内の不動産会社が港湾管理者の兵庫県の許可を得て建設したもので、フェリー発着場が移転した1993年以降もテナントビルとして使われていましたが、2015年以降は県への使用料の滞納が続き、県は建物の撤去を求めたものの不動産会社が応じなかったため、この6月14日に行政代執行に踏み切ったものです。

https://www.kobe-np.co.jp/news/awaji/202206/0015386557.shtml

私が訪れたのはその4日後です。

甲子園フェリーの発着場は1993年に移転し(移転先は現津名港ターミナルの北側)、発着場の名称も「志筑」から「津名港」に変わり、新たなフェリーターミナルが建設されました。以下のURLに写真が掲載されているパンフレットで、移転後の場所がわかります。

https://creators.yahoo.co.jp/furumototakuji/0100178690

しかし、1998年3月の明石海峡大橋開通で利用が一気に減り、減便する一方で「乗用車の場合、同乗者の運賃を無料にする」などの施策を打ち出したものの、結局半年持たず1998年8月末に運航休止となりました。

僅か5年程度しかフェリーターミナルとして使われなかった建物(こちらのサイトに航路廃止直前の写真があります)は休止後も解体されずに残され、2019年時点ではカフェが営業していましたが(上記GoogleMapで「ダリオカフェ」と書かれています)、現在の営業状況は不明です。

ストリートビューで見ると、フェリー用の可動橋の跡が残っていることが分かります。

そして津名港にはもう1つ、淡路島と大阪府南部とを結ぶ「大阪湾フェリー」も発着していました。

1961年の就航以来洲本市街地の北側の炬口港に発着していましたが狭いのが難点で、1988年からは相次ぐ埋め立てで立派なフェリー埠頭が整備された津名港に大半の便を移し、1993年には全便が津名港に移りました。

大阪府側の発着場所も、当初は和歌山に近い岬町深日(ふけ)港でしたが、1998年に関西空港に近い泉佐野港に移転し、2000年には運航会社が「南海淡路ライン」に変わりました。こうして明石海峡大橋開通後も健闘していたものの、最終的には2007年1月末限り運航休止となりました。

こちらは、GoogleMap上に「津名港フェリーのりば 跡地 (南海淡路ライン・大阪湾フェリー)」と明記されており、ターミナルビルは撤去済なもののフェリー用の可動橋の跡は今も残っています。

津名港移転後は人単独での乗船も可能になったものの、路線バスのバス停から離れているのが難点でした。津名港高速船ターミナルから見ると「遠くにフェリーの発着が見える」状態でした。

(おわり)