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廃止された「阪急池田西のりば」のその後

阪急電鉄池田駅の北側にはバスのりばがありますが、長らく東西2つに分かれていました。

1970年代に池田市北部に開発されたニュータウン「伏尾台」が発展するにつれ、阪急池田駅とを結ぶバスの本数が増大したため、1980年代前半に阪急池田駅を高架化するタイミングで、駅の隣接地に新たにビルを建設し、その1階を主に伏尾台やその先の地域に行くバスのターミナル「西のりば」として整備したものです。電車を降りてから結構歩かされますが、スペース的には余裕がありました。

しかし時は流れ、伏尾台がオールドタウン化して夕ラッシュ時のバスの便数が減るとともに、入居しているビルも老朽化して、阪急電鉄としての総合的な見地から「ビルは全面解体、バスのりばは駅前に統合」となりました。解体後の跡地がどうなるかは不明です。

統合は4月18日に実施され、その直後からビルの解体が始まっています。

統合直前に「西のりば」に足を運びましたが、1980年代前半の雰囲気そのままでした・・・

池田駅側から見たビルの様子。すでに全テナントが退去していました。

そして、統合1か月後の様子です。既に建物の周りは柵で囲まれています。

伏尾台方面のバスは駅のすぐ前から出るようになり、利用者にとっては便利になりました。

コメント一覧

あこたに
はじめまして 川西に住むものです
池田西のりばなくなっちゃったんですね。これからはマンションになるみたいですね。

実はこの西のりば歴史は古く昭和41年に上のビル部分が増築され折からのボウリングブームの中でボウリング場になっていました(昭和30年代の地図や写真を見るとここにはバスの車庫があってもう少し先に大きなターミナルがあったようです)
ボウリング場だったころのことは僕もよく覚えています。電車が高架になるもっと前のことでバス乗り場の真横を電車が通っていて線路側は全部壁でした、その壁には大きな時刻表と路線図運賃表がかかっていました。(尼崎線が昼間10分間隔だったり杉生線の虫生やゴルフ橋を消したと思われる跡があったり)

それから昔は市内線発着の中のりばと、もう一つ今のステーションNのところに梅田行きの出る東のりばというのあって合計4つでした
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