金剛自動車が廃業してから10か月以上が経過しました。2024/11時点の「その後の様子」を報告します。
富田林駅前に発着する元金剛バスの車両。現在の運行主体である河南町を前面に押し出したデザインになり、側面に大きく描かれていた「Kongo Bus」の飾り文字は中扉部分を除き隠されています。公募で決まった(2024/6/4付ブログ記事参照)「金剛ふるさとバス」の文字は見当たりません。
駅前の金剛バス本社屋跡。GW時点では解体中でしたが(2024/4/28付ブログ記事参照)、「白い工事用の柵で囲われた空き地」と化していました。現在の所有者はどこなんでしょう? ちなみに、法人としての金剛自動車は解散しておらず、このブログ記事を書いている時点での国税庁法人番号公表サイトによれば、2024/9/10付で「金剛株式会社」と改称の上、本店所在地を藤井寺駅南口駅前の1階に業務スーパーが入るビルの一室に移転しています。
なお、上記ブログ記事で紹介した駅前に設置されている路線バス案内図は変わっておらず、「金剛ふるさとバス」の追記は見当たりませんでした。
こちらは、富田林駅から1kmほど北にある金剛バスの車庫の跡地(2023/12/22付ブログ記事参照)です。車庫1棟を除き更地になっていますが、現時点で新たな建築物が建てられる旨の予告はありません。こちらも現在の所有者はどこなんでしょう?
こちらは喜志駅前。右の標柱はバスおりばを示すものですが、金剛バス当時のものが社名を消しただけでそのまま使われています。2台の近鉄バスはいずれも「金剛ふるさとバス」に相当しますが、他路線と共用のためバスの車体にはその文字はありません。
以下はおまけです。
富田林駅と金剛バス車庫跡地の間にある古びた歩道橋には、上り口に金属製の扉が設置され、閉鎖できるようになっていました。どんなときに使うのでしょうか?
答えは、扉に取り付けられていました。
2019年まで、毎年8月1日には富田林市内のPL教団の宗教行事として「教祖祭PL花火芸術」が開催されており、一般には「PL花火大会」として親しまれていました。当日は富田林市内で大規模な交通規制が敷かれ、夕刻以降は市内のバスはほとんど運行休止となり、近鉄の大阪阿部野橋~富田林間には多数の臨時列車が観客を満載して運転されていました。ただ、近年は規模が縮小傾向にあり、2019年にはPL教団として対外的なPR活動を取り止め、2020年は世界的な情勢を鑑みて初めて中止となりました。以降も中止が続き、2024年にはついにマスメディアの話題にもならなくなりました。