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ちび猫のつぶやき

宇宙人の独断と偏見なのですが、警鐘を鳴らす訳ではなく希望の光を照らす訳でもなく、ただ足下の事を皆で見ていたいだけなのです

08.ちび猫が描く『少女マンガ』#8

2010-09-27 | 無駄話し
第0008号



*****(制作終了)*****



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(『大人の場面緘黙症(ジストニアやイップスなど)』でお悩みの方は第0010号第0011号第0012号第0047号もお読み下さい。)







・『ブログ』を始めるにあたって⑧


皆様こんにちは、今日も楽しくお過ごしですか。
前回に書いた『ちび猫の見た夢の続き』に少しでも近づきたいのですが。
今までに『あだち充先生』の漫画をまともに読んだ事が無く、アニメも部分的にしか見た事が無かったので、インターネットでの大量の『あだち充先生』の漫画と『タッチ』のアニメDVDの購入を急いでしているところですし。
今はまだ、『あだち充先生』の事を知るためにインターネットの検索サイトから調べた在り来りな資料を印刷したつまらないモノしか手元になく。
しかも、自分で自分のコトを漫画やアニメのオタクと思うようになってから、30年以上は経つと思うのに、今まで『あだち充先生』の(少女向けな)漫画やアニメは、はまり込むと面倒なので、意図して・出来るだけ避けてきた位なので。
現時点で『あだち充先生』の漫画やアニメについて私が何かを語るのはちょっと難しいと思われるのですが、せっかくの機会なので、無理を承知で(少女向け漫画やアニメについて)少しだけ書いてみようと思います。





・本文(8)


私は少年向けの漫画やアニメも好きなのですが、少女向け漫画やアニメもけっこう好きな方で、
昔の
【『萩尾望都先生』の『トーマの心臓』・『ポーの一族』・『11人いる!』(その当時は大感動しました)など】や、

【『竹宮恵子先生』の『風と木の詩』(読んだはずなのに内容が思い出せない・・・笑)・『地球へ...』(最近、またアニメに成りましたね、見ちゃいました)など】や、

【『大島弓子先生』の『綿の国星』(友達と映画も見に行きました・・・感激でした)など】そして、

【原作『水木杏子先生』原画『いがらしゆみこ先生』の『キャンディ・キャンディ』(漫画・アニメとも傑作なのだけれども、著作権問題が解決しないのがネ...)】や、

【原作『雪室俊一先生』原画『たかなし しずえ先生』の『おはよう!スパンク』(漫画もアニメも憩いの時間でしたネ)】や、

【『池野 恋先生』の『舞ちゃんノン・ストップ』(なぜかルンルンでしたね)・『ときめきトゥナイト』・『(原作秋元康先生の)ナースエンジェルりりかSOS』(後半のデューイが良かったですネ)】などから、

【『羅川真里茂先生』の『いつでもお天気気分』・『赤ちゃんと僕』(子供が好きになちゃって・・・笑)・『しゃにむにGO』(テニスが好きになっちゃって・・・笑)】や、

【『市東亮子先生』の『やじきた学園道中記』(本当の22巻の続きがよみたいですネ・・・お願いします)・『BUD BOY』(続編が読みたいですネ)・『童顔刑事』】や、

【『青池保子先生』の『エロイカより愛をこめて』(今も続くアクション・コメディーの最高傑作ですネ)・『Z(ツェット)』・『魔弾の射手』】そして、

【『二ノ宮知子先生』の『のだめカンタービレ』(クラッシック音楽漫画の歴史的傑作ですね・25巻はいつ発売なのやら...)】や、

【『PEACH-PIT』の『しゅごキャラ!』(亜夢とラン・ミキ・スゥのボケとツッコミが最高でした・テーマソングがお気に入りで、CDを何枚も購入しちゃいました)】や、

【『松本夏実先生』の『夢色パティシエール』(なぜか毎週アニメを見てしまうのです・・・笑)】などまでを、

それ以外にも多数の
【『魔夜峰央先生』の『パタリロ』(同人誌『白玉姫』がなんともネ・・・笑)・『アスタロト』(続き・続編が読みたいです)など】や、

【『なかじ有紀先生』の『カラフルBOX』・『ハッスルで行こう』(その当時は神戸市灘区在住でした・たしか連載中に地震が有ったはずなのだが・・・まっいいか)・『ビーナスは片想い』(その当時は西宮市在住でした・阪急神戸線・甲陽線や阪神本線・武庫川線の駅などで仕事をしていて・・・親近感を持っていました)など】や、

【『柴田昌弘先生』の『紅い牙シリーズ』(ランとバードがカッコ良かったですネ)】や、

【『一条ゆかり先生』の『有閑倶楽部』(あのドタバタが好きでした)】や、

【『松苗あけみ先生』の『純情クレイジーフルーツ』(何故かよくテレビに取り上げられていましたネ)】や、

【『岩館真理子先生』の『ふくれっつらのプリンセス』・『おいしい関係』など(週刊マーガレットでよく読んでいました)】や、

【『大谷博子先生』の『星くずシリーズ』・『由似へ...』・『由似・きみの青春』(大感動で読んでいました)】や、

【『木村千歌先生』の『パジャマ・デート』(ワイド版の薄いコミックスが発売されるのを楽しみにしていました)・『(原作秋元康先生の)あずきちゃん』(アニメは傑作ですネ)】や、

【『大和 和紀先生の』の『はいからさんが通る』(お釜UFOが面白くって・・・笑)など】や、

【『彩花みん先生』の『赤ずきんチャチャ』(アニメも良いし、漫画も面白くって・・・やっこちゃん大好き・ミケネコ博士尊敬・保健室のよしこ先生最高、ただTVでのリーヤの声がSMAPの香取慎吾だった事によるオープニングテーマの『君色思い』などでのCD・ビデオでの諸問題が残念ですネ)・『ごん太を殺せ!』(これも面白いですネ)】や、

【『柊 あおい先生』の『星の瞳のシルエット』(感激読書!)・『耳をすませば』(いつの間にかジブリの映画に成ってしまっていて・・・大感激)・『銀色のハーモニー』(当時の愛読書)】や、

【『夢野 一子先生』の『自転車にのって・・・』(その当時の一番のお気に入りでした)・『僕はムコ養子』など】や、

【『折原 みと先生』の『るり色プリンセス』(CD買いました)・『天使のボディガード』(CD買いました、『ティーンズハート・コレクション・Ⅱ』も購入)・『神様の言うとおり!』(長かったですけれどネ)】や、

【『細川智栄子先生』の『王家の紋章』(単庫本は買っているのですが45巻あたりで読むのが止まっています・・・笑)】、

などの漫画やアニメを、広く多様に読んできましたし・見たりもしてきているのですが(紹介出来たモノはほんの一部なのですが)。
それでもなぜか、『あだち充先生』の(少女向けっぽい)漫画やアニメは、気が重くて見るコトをためらっていて、今に至ってしまっているのですから。
本当に不思議なのですが、私の体質と『あだち充先生』の(少女向けな)漫画やアニメは、そうとう相性が良くない・最悪だと今まで(勝手に・妄想に囚われて)感じていたみたいなのです。

そして、これも不思議なのですが、今は心の中に『あだち充先生』の漫画やアニメが読めるコトを・見られるコトを、けっこう楽しみにしているトコロが有るみたいで、今まで読む事を・見る事をしてこなかった分、始めからちゃんと分析と分類をしていく事が出来ると(味わえると・たんのう出来ると)、ワクワクしているみたいなのです。
しかし、それでも完全に気の重さが無くなってしまった訳ではないので、これから『あだち充先生』の漫画を読み・アニメを見ていく中で、どう心が変わっていくのか(変われないのか)も分析と分類をしていこうと考えています。
そして、そんな「あんな」や・「こんな」を(何時になることやら分からないけれども・早々に飽きてしまわなければ)次回以降のブログに書いていこうと思っています。
今回は資料も少なく、これ以上いくら書いても、何も面白い事が出てきそうもないので、ココまでにしておこうと思います。





・追伸-1:『合理的現実優先主義』から『共存協栄的相互理解主義』へ


『神秘的精神至上主義』の『大きなコト』についての話しは、他人からすると、ロコツな「だまし」や「洗脳」の論理手法で作られた話し(勝手な論理の主張)にしか見えてこないモノなのですが。それは、多分・ほとんど裏付けの無い事を、トータル(?)で・有効性が高い!と自分に思い込ませて(自分で自分をだまして・言いくるめて・その気にさせて)、その「信じる力」で「ガンバル気力」を引き出すのが目的の、信憑性の無い勝手な論理だからで。そんな(自分で自分をだますための)現実性が考慮されていない論理で作られた話しを(新興宗教の勧誘をするみたいに)他人にしていれば、あからさまに「だまし」や「洗脳」を仕掛けていると、思わせてしまうのも・誤解されてしまうのも当然である。
なので、疑いようの無い今の時代感覚の合理的で現実的な話・手間ひまのあまりかからない身近にあって損失を伴わない実質的な話しであってこそ、他人も耳を傾けてくれて。その積み重ねを長年続けていてこそ、共存を認め合う事も可能となるとおもうのです。

しかし、そんな実現性の薄い話し(議論・論理)をいくら繰り返しても、何の意味も無いのかもしれませんが・・・それでもネ。





・追伸-2:宗教の反論


唯一神教や仏教・多神教・各宗派にまつわるエピソードを古代の事件から現代の事象に至るまでを、公平・公正に、その意図・思惑の絡みつきを理解し・想定して、歴史の中から慎重に掘り起こしていけば。2千年以上にわたって各宗教・宗派間を隔てるために、(人間がその心に)ひたすら築いてきた巨大な(誤解や偏見の)壁が透けてきて、各宗教・宗派の関わりが健全化し、世界平和の可能性が誰の目にも見えて来るようになると思うのです。

しかし、従来型の『緘黙症(ジストニア)対策:「ワクワク狙い」活動』の『神秘的精神至上主義』の実践としての【自分で自分をだましてきた、裏付けの無いままの「良好な発声の追求」や信憑性の薄い「大きなコト」の話し】と同じで、この手の宗教の話しは今の時代に生きる人間の現代感覚が求めている現実性や実質性に乏しく、他人にいくら話しても(何か行動を起こしても)、新興宗教の「だまし」や「洗脳」と同じ類いで、くどいだけだと(押し付けがましいだけだと)煙たがられるだけなのである。

しかし、だからといって、ありきたりな対策の・現実性や実質性だけの話しで、唯一神教や仏教・多神教・各宗派の関わりがすんなり健全化するとも思えない(2千年以上にわたって絡みついた各宗教・宗派の思惑がほぐれて、共存していけるとも思えない)のだから。ここはなんとしても【『神秘的精神至上主義』の実践】に賭けてみるしかない(嘘から出た真・下手な鉄砲百打ちゃ当たる)のでしょうかネ!?。





・追伸-3:真の共存とは『ジプシー概論』


世界的に見て、いまだに差別を受けたまま、その【(人間・個人としての)・(民族・集団としての)】権利回復を長年にわたって果たせずにいる、最大級のグループが、「ロマ」:「シンティ」・「ヒターノ」・「ロマニチャル」(「ジプシー」:「ツィゴイナー」・「ツィガン」・「ジガン」・・・「ボエミアン」・「ハイデン」・「ムスラタイネン」・「タターレ」・・・「ドム」・「ドミ」・・・そして「HWAO」とか「REA」など)と呼ばれる人達で。文明人に無い神秘的能力を隠し持つと言われる彼らの権利回復を恐れずに果たし、国家や定住にこだわらない・厳しい自然を受け入れた生活スタイルの特異で非文明的な彼らとの共存が夢のままで・いつまでも達成されないようでは、実現可能な世界平和の姿など、到底見えてはこないと思うのです。

「シンティ・ロマ」(ジプシー)達は、同じ様に(組織的に仕組まれて・ホロコーストへと最後は追い込まれて)差別されていた「ユダヤ人」達が、比較的一枚岩で・進んでまとまった定住生活をしていたおかげで、その差別(フリーメーソンやシオンの長老達の陰謀説や裏切り者のユダとユダヤ人を同一視して嫌悪するキリスト教徒達の意図的誤解などによるモノ)の実態が調査しやすくて、現代になって救済の手が早くに差し伸べられたのに対して。
色々ないわれの人達が、バラバラに・多様に移動しながら、移動の先々で言語や宗教などを表面的に吸収しつつも、独特な文化(「フラメンコの原型となる独自の音楽や踊り」や「タロット占いの起源だと言われる独特な神秘主義」や「60以上の方言が有るとされる、仲間内で日常の会話に使う話し言葉のロマニー語」など)と特異な(非ジプシーをゴージョ・ガジョーなどと呼んで蔑視するような)強いアイデンティティーを失わずに維持して、15世紀のヨーロッパへと突然やって来て・勝手に600年も居座ってしまったために《~~~「シンティー・ロマ」達(北インドのロマニ系)が西暦1000年ごろにインド北部の「シンド地方」より放浪の旅に出て(西インドのラージャスターン地方の「ジャイサルメル」より放浪の旅に出たとも言われる)、そして、色々なルートによって、600年ほど前(15世紀初頭)には北アフリカやヨーロッパに(オスマン帝国などのイスラム教の地域からあふれるように・統制のとれた一族ごとに)やって来たとされ【~~(神聖ローマ皇帝ジギスムントによる『皇帝ジギスムントの特許状』や『ローマ教皇マルティヌス5世の保護状』などの巧妙に偽造された書状と・その特異文化や医療技術・軍事能力などからヨーロッパ各国の王(ハンガリー王・ボヘミア王・ポーランド王・フランス王など)から追加された保護状や援助)によって低地エジプト出身の巡礼者として帝国全土の自由な通行を許可されたと称し、各地で「聖なる人」・「イスラム教に征服された時に一度イスラム教に改宗した事のある改悛者のキリスト教徒」として親切に受け入れられたが。80年ほどしてヨーロッパを何時までも放浪する彼らをスパイではないかと疑いだし・彼らに対する蔑視が始まり、1500年には神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世によってその保護状が無効とされる。しかし、それでも、17世紀中頃までは高い医療技術で死の病だったスコットランド王の命を救ったり、その軍事能力によってフランスの王や領主達からドイツ騎兵と共に重用されたりして部分的に活躍してはいたが。全体的には16世紀以降の各国・各地で、山賊・盗賊に専念したために囚人としてガレー船などに強制収用されたり、各種の職人として町の経済に貢献したが結局国王などによって追放されてしまったり、追放後・日銭のために昔ながらの大道芸人を始めて遊動生活に戻ったり、各地を追放された後・アメリカ大陸へ(進んで)追放されたり、イギリスでは福音派に集団で改宗してジプシーを止めたり、南スペインのアンダルシーアではジプシーをやめた少数が「古カスティリァ人」と認められて幸せな人生を歩んだり(スペインではほとんどのジプシーが「新カスティリァ人」などと呼ばれて差別・迫害を受けたが、頑張ってヒターノと誇りを持って自称するほど成功した)、東ヨーロッパのポーランドやボヘミヤ・ハンガリーやトランシルヴァニア・そしてバルカン半島に到る地域では(定住出来なかったジプシーも少なくはなくて、悲惨な遊動生活を強いられていたが)少なからずのジプシーが定住していて、半奴隷のように(現代のスポーツ選手の移籍金みたいな形で)売り買いされて、雑務や農業を高度に(ある程度の行動の自由や思想の自由を許されて)担っていながら19世紀をむかえるのだが。その後のヨーロッパでの近代化で、奴隷(強要・収容・追放・差別的規制)などから偏見はそのままに・歪んだ形で部分的に開放されたために、さらに混迷が深まり。20世紀になるとナチスのホロコーストにおいて、ユダヤ人だけではなくてジプシーへのジェノサイドも行われ、その社会的基盤を決定的に失ってしまう~~】、そして、第2次世界大戦後になって、【東ヨーロッパでの奴隷生活でも独特な文化と特異なアイデンティティーを決して失わなかった(ジプシーを奴隷人種であると決め付ける(過剰な)自己防衛的理由作りに、シプシーらしく批難されるジプシーで居続けるコトを国家的に仕組まれてきた)『国家や国境・そして(対外的に)宗教にさえとらわれない「ロマ」』】と、【早くに西ヨーロッパへと移動して来て・啓蒙主義にさらされ続けて来たと思われる(法律が人と社会を幸福にする論理の実験体にされ・その横暴の被害者にされ続けてきた)『ヨーロッパ人との同化が少しずつ進む「シンティ」』】とが、(同一族のロマニ系でありながら・ドイツ国内などにおいて)アイデンテティの違いで対立するという様な事態が発生してしまっているのだが~~~》、現代に至ってもいまだに「ロマ」と「シンティ」の区別さえ曖昧であり、他の多くの地域での色々ないわれの「ジプシー」をきちんと区別する研究も少なすぎ、多様な彼らへの社会的差別も地域などによって様々で分かりにくいため、その調査も救済もいまだにほとんど進んでいないのである。

(戦闘部隊や山賊・放浪生活を止めさせられて・定住を強要され・半奴隷のように扱われていた彼らが、19世紀以後の開放後に、犯罪の多発する無法地域を(~~~900年も前のイスラーム世界と600年も前のキリスト教世界の中で両者から同じ様に国境警備や騎馬隊を任された特権山賊集団さながらに・一族の強い絆による警察も介入できない特有な犯罪組織を~~~)形成したり、組織的陰謀を画策するかもしれない秘密主義の彼らを調査するのは命がけだとうわさされたり、本当は大結束しているのを、文明社会のくくり方では引っ掛かりが無くて、散在しているだけだと・対立しているだけだとしか捉えられないのだと深読みしすぎたりしたコトなどが、調査や救済が進まない要因となった可能性が無くは無いのかもしれない)

(第2次世界大戦の戦後保障の調査方法や救済内容についての交渉で、多様な「ジプシー」達は一枚岩な「ユダヤ人」達とは意見が合わず、交渉の際に意見を合わせる事が出来なかったので、まず「ユダヤ人」達との交渉が優先されて、面倒な「ジプシー」達との交渉を後回しにする政策が採られた可能性が有るのかもしれない)







《『射幸心』や『信仰の放棄』などでもお悩みの方は第0001号・第0002号・第0003号・第0004号の概要もお読み下さい。》

~~~概要0004~~~

足が悪いまま改善しないと診断された時こそ自分が試されている時であるが、頑張ってリハビリに取り組み歩いてみせるんだと一途に努力し励むなら、“誠実な気力”がいつまでも湧き起こり真っ直ぐな“正しい気持ち”は永遠に、決して穢(ケガ)れる事がない。『大人の場面緘黙症』のための『場面緘黙症対策』も同じで、なかなか症状が改善しない時こそ自分の気持ちが試されている時であるが、どんなにうまく行かない事でも投げずに頑張り続けるなら、“誠実な気力”がドンドン湧いてきて「何があっても変節など決してしない」“正しい気持ち”を永遠に見失わない。
しかしこれでは、ただ“歩けない”だけだし、いつまでも『大人の場面緘黙症』なだけなのである。そして、ギャンブル依存症の人や、宗教の原理主義やカルトにはまり込んだ人も、同じような【袋小路(フクロコウジ)のロジック】に迷い込んでいるようなのである。みんな一度、「価値観や神秘観を機能停止」させてから、《自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する》という機能を自分の中に構築する必要があるだろう。


~~~概要0003~~~

足が悪いまま改善しないと診断された人が、普通に歩行しようとして訓練に明け暮れて、その一生を歩行訓練をする事のみに費やしてしまったとしたら、なんと不幸な事なのでしょうか。それと同じ過ち事を『大人の場面緘黙症』の人は『場面緘黙症対策』として犯しているのです。
車椅子に乗って遠くへ旅行したり、車椅子でするテニスやスキーを楽しんだり、車椅子で出来る仕事に励んだりする事を、誰が“悪知恵”だとか“変節”だとか“意気地無し”だとか言うでしょうか。『大人の場面緘黙症』の人も早く『場面緘黙症対策』を断念し、『代替え言葉』をどんどん使って、会話を楽しんだらいいと思うのです。


~~~概要0002~~~

「足が悪いまま改善しないと診断された場合でも、普通に歩行するためのリハビリを想定してその訓練に励む“努力”をする事は決して“無駄ではない”はずで、そういった“努力”が無ければ起こるかもしれない“奇跡”も決して起こらないし、たとえ歩行が出来なかったとしてもその“努力”は別の形で必ず“ご褒美”をもたらしてくれるモノだからだ」というような認識を持つことは、うまく行かない事の多い人生において“成功”を修める上で欠かすことが出来ないモノである、という考え方は『大人の場面緘黙症』には効果が無く、『場面緘黙症対策』としても通用しないのだが、それはその考え方が「自らの理性によって物事を考えて合理的に対処する」という事を拒否するモノだからである。


~~~概要0001~~~

ギャンブル依存症や、宗教の原理主義やカルトと同じような、自分の行いを「とにもかくにも」“正しい”と判定できる事への『ワクワク!の心理構造』が『緘黙症対策』にも働いて、“かりそめの正しさ”に目を奪われてしまい。自らの理性で『緘黙症対策』を考える事を「“悪知恵”の穢(ケガ)れであり“リスクの積み上げ”としかならない」祓(ハラ)うべき“悪魔的衝動”と認識して拒絶してしまい、実質的な効果の薄い『緘黙症対策』ではあっても“変節”せずに続けていればたとえ少しも効果が上がっていないように見えても“時は満ちつつある”のだと認識して止められない。
これこそが『緘黙症』の本当の怖さなのである。





・参照


【『場面緘黙症』とは、“ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象”であり、子供の時期ほど顕著に現れやすい症状ではあるのだけれども。
単なる人見知りや恥ずかしがり屋とは大きな違いがあって、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があり、“子供の時期の適切な手当て”が遅れてしまうと、成人になってからではなかなか改善しにくい傾向にあるみたいで。
そういった、少数ではあるが大人になってもしつこく残ってしまう症状の事を、特に『大人の場面緘黙症』と呼ぶみたいです。】

【『イップス』:省略 】

【『射幸心』:省略】





~~~第0008号先頭へ~~~







ちび猫のコメント参照
次回につづく。


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