パウロは、自分が生きている間に終わりが来る、と思っていた。それは、テサロニケ①4:15~17やコリント①15:51~53などから分かる。
ちなみに、パウロ書簡は書かれた順に、テサロニケ①、ガラテア、コリント①②、ローマ、フィリピ、フィレモン。
ついでに、疑似パウロ書簡(パウロの死後、パウロ派の者たちがパウロの名前を利用して書いた)が、エフェソス(コロサイを利用して書かれた)、コロサイ、テサロニケ②、テモテ①②、テトス。(テモテとテトスの3つの書簡は牧会書簡と呼ばれる)
それ以外の書簡は公同書簡と呼ばれる、ヤコブ、ペテロ①②、ユダ、ヨハネ①②③。
ヘブライと黙示録は書簡ではない。
つまり、1世紀当時からずーっと、終わりは近い終わりは近い、と言われ続けていたわけで・・・
エホバの証人の解釈だと、1914年が終わりの時の始まりになるんだけど・・・1914年かどうかは別としても、確かに前世紀あたりから世界の様子がそれまでとは一変してきていると思えるので、人間が地を破滅させてしまう前に神が介入されるという意味で、終わりが近いのではないか、とも思えたりした。
実際、世も末だね、なんて言葉を普通の会話の中で時々耳にしたりもする。本気で言ってるのではないにしても、やはり誰でもが心のどこかで良い変化を望んでいるのだろうと思う。
悪や苦痛が終わる、というのはとても魅力的なことだし、そのことが神の言葉といわれる聖書に書かれているのだと、創造者である神が存在するという論拠と共に提示されると、ホントなのかなって。・・・で、夢物語を信じたくなってしまったという。
でも聖書は矛盾だらけの書物だということが分かって来て、どこまでが神の言葉なのか、そもそも本当に神の言葉なのか、最近では疑問になって来てる。
パウロは本当に終末論を信じていた。自分にキリストが現れてくださったと信じていた。自分が「朽ちぬ者に変えられ不死を着る」と信じていた。そしてそれは、神の側からのキリストによる恵みなのだと(人間の側の善行とかではなく)。
どうなんだろうなぁ・・・終わりは来るのかなぁ。
(田川訳より)
テサロニケ①4:15~17「事実、我々があなた方にこのことを言うのは、主の言葉においてである。すなわち主の来臨の時まで生きて残っている我々が、すでに眠った人たちより先になることはない。すなわち、主御自身が大天使の声と神のラッパの合図とともに天から下って来る。そしてキリストにある死者たちがまず復活する。それから、我々生きて残っている者たちが彼らとともに雲の中へと連れ去られ、空中で主と出会うことになる。こうして我々は常に主とともに居ることになるのである」
コリント①15:51~53「見よ、秘儀をあなた方に申し上げよう。我々みんなが死ぬわけではない。しかしみんなが変えられるであろう。瞬時に、またたく間に、最後のラッパが鳴る時に。すなわちラッパが響くと、死者たちが朽ちぬ者として甦らされ、我々の方は朽ちぬ者に変えられる。というのは、この朽ちるものが朽ちぬものを着ることになるからである。この死すべきものが不死を着るのである」
ちなみに、パウロ書簡は書かれた順に、テサロニケ①、ガラテア、コリント①②、ローマ、フィリピ、フィレモン。
ついでに、疑似パウロ書簡(パウロの死後、パウロ派の者たちがパウロの名前を利用して書いた)が、エフェソス(コロサイを利用して書かれた)、コロサイ、テサロニケ②、テモテ①②、テトス。(テモテとテトスの3つの書簡は牧会書簡と呼ばれる)
それ以外の書簡は公同書簡と呼ばれる、ヤコブ、ペテロ①②、ユダ、ヨハネ①②③。
ヘブライと黙示録は書簡ではない。
つまり、1世紀当時からずーっと、終わりは近い終わりは近い、と言われ続けていたわけで・・・
エホバの証人の解釈だと、1914年が終わりの時の始まりになるんだけど・・・1914年かどうかは別としても、確かに前世紀あたりから世界の様子がそれまでとは一変してきていると思えるので、人間が地を破滅させてしまう前に神が介入されるという意味で、終わりが近いのではないか、とも思えたりした。
実際、世も末だね、なんて言葉を普通の会話の中で時々耳にしたりもする。本気で言ってるのではないにしても、やはり誰でもが心のどこかで良い変化を望んでいるのだろうと思う。
悪や苦痛が終わる、というのはとても魅力的なことだし、そのことが神の言葉といわれる聖書に書かれているのだと、創造者である神が存在するという論拠と共に提示されると、ホントなのかなって。・・・で、夢物語を信じたくなってしまったという。
でも聖書は矛盾だらけの書物だということが分かって来て、どこまでが神の言葉なのか、そもそも本当に神の言葉なのか、最近では疑問になって来てる。
パウロは本当に終末論を信じていた。自分にキリストが現れてくださったと信じていた。自分が「朽ちぬ者に変えられ不死を着る」と信じていた。そしてそれは、神の側からのキリストによる恵みなのだと(人間の側の善行とかではなく)。
どうなんだろうなぁ・・・終わりは来るのかなぁ。
(田川訳より)
テサロニケ①4:15~17「事実、我々があなた方にこのことを言うのは、主の言葉においてである。すなわち主の来臨の時まで生きて残っている我々が、すでに眠った人たちより先になることはない。すなわち、主御自身が大天使の声と神のラッパの合図とともに天から下って来る。そしてキリストにある死者たちがまず復活する。それから、我々生きて残っている者たちが彼らとともに雲の中へと連れ去られ、空中で主と出会うことになる。こうして我々は常に主とともに居ることになるのである」
コリント①15:51~53「見よ、秘儀をあなた方に申し上げよう。我々みんなが死ぬわけではない。しかしみんなが変えられるであろう。瞬時に、またたく間に、最後のラッパが鳴る時に。すなわちラッパが響くと、死者たちが朽ちぬ者として甦らされ、我々の方は朽ちぬ者に変えられる。というのは、この朽ちるものが朽ちぬものを着ることになるからである。この死すべきものが不死を着るのである」