聖なる書物を読んで

現役JW29年目

コリント②4:16

2019-09-30 | 聖書
コリント②4:16「私たちは諦めません」が、今週末のものみの塔研究記事のテーマ。

新世界訳は「諦めません」だけど、口語訳や新共同訳は「落胆しません」となっており、田川訳は「さぼることをしない」。(面白いのは新改訳で「勇気を失いません」)。

田川氏の解説によると、元のギリシャ語は「怠惰でいる」を否定した表現だとか。(4:1にも同じ表現が出て来る)

ついでに聖句の後半の部分、新世界訳は「私たちの外面は衰えていくとしても」。

口語訳は「わたしたちの外なる人は滅びても」。新共同訳は「わたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても」。田川訳は「外なる人は朽ちても」。

このギリシャ語も「衰える」ではなくて「朽ちる」の意。つまり、死んだら朽ちると言ってるだけ。

文脈を見るとパウロが言いたかったのは、死にかねない患難をしのいで宣教して回ってるけど、たとえ死んだ(朽ちた)としても、神は永遠の栄光へと、日々新たにされていく我々を蘇らせてくださるんだから、さぼったりしないよ~、って感じかな。

続く5章も地上の天幕(肉体)と天の永遠の家の話だし。


さて、研究記事に戻って。

この聖句の「諦めません」という言葉(しかも改竄訳)だけを切り取って、命の賞を目指す競争のテーマに当てはめるって、どうなん?・・・こういう用い方、ホントいやらしいよねぇ。こういう風に用いたいから改竄したんかい、って突っ込みたくなる。

普通に、パウロが競争やら賞やらに言及してる聖句を持ってくれば済むことなのに。本文には、コリント①9章24~27とかフィリピ3:12~14とか参照されてるんだし。

ところで、パウロって何気に競技好きだよね。走ることだけじゃなくて、拳闘も好きそう。コリント①9:26,7あたり。田川訳では「空を打たないような拳闘をする。自分の身体に的確にパンチをくらわして、従わせる」って。

自分は、拳闘は好きじゃないから、読んでてあんまりいい気分にはならない表現。

まぁ、神の言葉とはいえ、人間が書いてるんだしね。どうかと思うような表現がいっぱいあったんだろうけど、うまいこと改竄したり意訳したりして、神の言葉に相応しく書き直されてきたんだろうなぁ・・・なんて思ったり。


では・・続きはまた。

「行って・・・弟子とし」なさい

2019-09-22 | ものみの塔
今週のものみの塔研究記事。

聖書の研究記事じゃなくて、組織へ勧誘するための手引き記事でした。

なんかね・・・ブラック企業の営業手引き書みたいに感じちゃったなぁ。それほど直接的ではないにしても。

幾つか聖句は参照されてるけど、何の役にも立ってない気がする。聖書が主役じゃないんだよね・・・神やイエスが主役じゃなくて、組織が主役になっちゃってる記事なんだよね。

いつもながら残念。もっときっちり聖書の研究をすればいいのに。

こんな記事を研究する集会に、新しい人は呼べないよねぇ・・・せっかく聖書に関心を持って来てくれても、がっかりさせちゃうのがオチだよ。

いつもこんな記事じゃあ、霊的飢餓状態が続いて、今にも死にそうな現役さんも多いんじゃないかなぁと、心配になっちゃいました。(大きなお世話かなw)

「大いなるバビロン」から出る?

2019-09-18 | 聖書
お久し振りの更新になってしまいました。

実は、主人とTVゲームしています(操作はほとんど主人で、自分は横から口出すだけですがw)。ドラクエ5が終わり、今はFF8です。プレステ4で。

発売当時もやったんですけど、色々細かいことは忘れてますねぇ・・・なのでまた大いに楽しんでます。そういえば以前、巡回監督が「FFはどうのこうの・・・」と演壇からケチ付けてましたねぇ・・・もしかして兄弟もやってる?・・・なんて思ったものですw。



さて。

黙示録に出て来る、7つの頭を持つ緋色の野獣の上に座す大娼婦「大いなるバビロン」。

この組織では、それは「偽りの宗教の世界帝国」のことで、エホバの証人以外の宗教全てを含み、主要な部分はキリスト教世界だ、という解釈。

バベルの塔が偽りの宗教の発祥であること。また、地の王である政治組織(野獣で表わされている)と姦淫を犯す娼婦として、野獣の上に乗っていること。・・などが根拠。(他にもあったっけ?)

そして黙示録のなかでは、真の神を崇拝する者は、彼女の罪にあずかることを望まないなら(=滅ぼされたくないなら)「彼女から出なさい」と指示されている。

なので、エホバの証人のバプテスマを受けようとする人は、他の宗教組織を脱退している必要がある。そして、組織が言うところの偽りの宗教に関連する物品は処分することも求められたりする。(排他主義もはなはだしい・・・)

・・・神の存在を信じている人が、この考え方に支配されていると、この組織が偽りだと思った時に、とにかくこの組織から出なければいけない、と感じるかもしれない。(自分はそうだった)

でも、この解釈はあくまでもこの組織の解釈なので、それに捕らわれる必要はないと思う。

「大いなるバビロン」は大都市ローマのことで、緋色の野獣はローマにある7つの丘(それぞれに都市があった)を表わすという解釈もある(17:18には「大きな都市を表わしている」と明らかにされている)。

またエゼキエル書では、国ではなくサマリアとエルサレムという都市が娼婦として描かれている。とすると、これを読んだ当時の人は、この大娼婦は大都市ローマのことだ、と思っただろう。

黙示録の著者は、キリスト教を迫害し、弱者を搾取する大都市ローマの崩壊を願って書いた。それを現代もしくは未来に無理にあてはめようと、これまでも多くの解釈がなされてきた。その解釈の一つがこの組織の解釈だ、というだけのことで。

そう考えると、「大いなるバビロンから出なさい」という指示も、偽りの宗教から出ることではないと思えるので、自分と組織との関係に当てはめる必要は感じなくなる。

というわけで、この組織に留まる理由はないけど、わざわざ断絶する理由もないので、当分はこのまま現役続行でいこうと思ってます。

でも、組織の解釈や指示には疑問だらけなので、突っ込むことも多々あるとは思いますw。