聖なる書物を読んで

現役JW29年目

コリント人への第一の手紙14章

2019-04-17 | 聖書
14章。

12節。新世界訳改訂版「皆さんも,聖なる力による贈り物を熱心に求めているのですから,会衆を力づける贈り物を豊かに頂けるように努めてください」。
田川訳「あなた方もまた霊に関して熱心であるのなら、教会を建てることを目的として(霊の賜物を)求めるべきである。そうすればあなた方はより豊かになろう」。

原文には「頂く」という語は無い。

改訂版の聖書用語集なるものを見ると、「聖なる力」とは今までの「聖霊」のこと。で、「聖霊」「霊」という項目は無いから、それは使われなくなったのかな・・・。おかげで、「霊の賜物」で済んでいた部分が、この節では「聖なる力による贈り物」、続く14~16節では「聖なる力による能力」となった。
なんと、「霊的な人」は「聖なる力に導かれる人」(2:15,3:1)。「導かれる」なんて語、どこから出てくるん? どうなってるん?? いいのかこれで??? パウロの意図が全く伝わらないよ、これじゃ。
ちなみに、マタイの28:20も「父と子と聖なる力の名によってバプテスマを・・・」と。もう、キリスト教とは一線を画したいのかな、この組織は。

22~25節。新世界訳改訂版「さまざまな言語を話すことは,クリスチャンのためではなく,クリスチャンではない人のためのしるしです。一方,預言は,クリスチャンではない人のためではなく,クリスチャンのためのものです。 会衆全体が1つの場所に集まって皆がさまざまな言語を話している時に,普通の人やクリスチャンではない人が入ってきたなら,その人は皆さんのことを正気ではないと言うのではないでしょうか。しかし,皆さんが預言している時にクリスチャンではない人や普通の人が入ってきたなら,その人は皆から戒められて詳しく調べられたと感じます。そして心の中の秘密が明らかになり,その人はひれ伏して神を崇拝し,「神は確かに皆さんの中にいます」と言います」。

パウロは「クリスチャン」という語は使わない。これじゃ、パウロが「クリスチャン」という語を使ってたように誤解する。ここでも「信者」「非信者」という語を使ってるんだから、そう訳すべき。

「異言」は「さまざまな言語」になったんだね。「異言を話す」の原語は「舌で話す」。直訳して脚注で解説しとけばいいのに。

22節で、非信者のためのしるし、といっているのに、23節では、正気ではないと言う、と。ここでもパウロは、論理が矛盾してることに気付いていないらしい・・・。

32節。新世界訳改訂版「預言者は,聖なる力による贈り物を秩序正しく用いるべきです」。
田川訳「預言者の霊は預言者に服従するものである」。

「秩序正しく用いるべき」って、どこから出て来た? 意訳というより改竄だよ、これ。ここの意味は、元は同じ神の霊なんだから、順番を守る上でそれぞれの霊がそれぞれの預言者に服し合うものだ、みたいなことだよね。(きっと統治体は、聖なる力による贈り物を秩序正しく用いることができてないんだろうなぁ。だからこんな改竄しちゃうんだろうなぁw)

34,35節。パウロの女性差別発言。会衆内での預言の順番について述べた後に「女は黙っていろ」と。どんだけ女嫌いなのよっ。困ったパウロさんです。

エホバの証人がこのパウロの女性差別を擁護するのは、きっと他のキリスト教会が現代の事情に合わせて、このパウロ発言を排除しようとしているからなんだろうなぁ。
でも新世界訳改訂版では、かなりやわらげて「女性は会衆の中では黙っていてください」となってる。逆に権威がなくなっちゃった感じのパウロさんです。(お願いしちゃってるw。いつも上から目線の偉そうなパウロさんがこんな言い方するわけないのに)

頭の権に関するパウロの見解、それが神の見方として正しいのかどうかというと、正しくないだろうと思います。でも、組織はパウロのように女性蔑視ではないし、確かに男性中心組織ではあるけど、それなりにちゃんと秩序は保ってると思われるので、これはこれでアリ(神の見方に適ってる?)なのかな、と思ったりもします。(日本は特に男性が少ないから、上手い具合にバランスが取れてるだけかもしれないけど・・)

37節。「(私が書いたことは)主のおきて」とある。この「おきて」という語は旧約律法を指す語。7章ではまだ主の指示と自分の意見を分けようとしていたのに、ここでは、このパウロ様の言うことが主のおきてなのだと居直った。(女嫌いが爆発しちゃって自制がきかなかったのかなw)


以上、田川建三氏「新約聖書 訳と註」パウロ書簡①を参照させていただきました~