聖なる書物を読んで

現役JW29年目

エホバに喜ばれる柔和な人になりましょう

2019-04-21 | ものみの塔
今日のものみの塔研究記事。

柔和を求める=柔和な人になるように努力する、これは大事なことだと思います。自分も培いたいと思っています。

で、期待して記事を読み始めたんですが・・・柔和な人というのは、謙遜、従順、温和、勇気という特質を発揮している、ということが言いたいらしい、ということは分かりました。モーセとイエスを例にして。

要約すると、謙遜になってエホバに従順に従い、試練にあっても温和な態度で勇気を示す人が、柔和な人ということかな。

相変わらずエホバ=組織になっちゃってる点を除けば、言ってることは良いと思うのですが・・・いまいち、柔和という特質自体がどういうものなのか、はっきりしないです。温和とどう違うの? そもそも特質ではないのかな?

さて、突っ込みです。

2節。「わたしたちはモーセほどの障害に直面することはないでしょう」。

そりゃね、統治体やべテル家族の面々はそう思うのかもしれないですけど、モーセより大変だと感じてる信者がいないと思ってる時点で、感情移入できてないよね。障害だと感じる事柄もその重さの感じ方も人それぞれだし、比べられるもんじゃないと思うよ。

9節。「エホバの訓練を受け入れたからです。・・・・エホバは40年かけてモーセを教え・・・」。

これは組織の見解であって、実際に聖書に書かれてることを越えてるよね。それとも改訂版には、そんな風に書かれてるのかしらん? 今のところまだ読む気がしないんで、読んで確かめたいとも思いませんけども・・・

12節。「ハナニヤ、ミシャエル、アザリア」。

前回は本文にシャデラク、メシャク、アベデネゴって書いてたのに、そっちの名は今回は脚注に。以前、ヘブライ名の方を大事にしよう、とか言ってたことを、今回は思い出したのかなw。

14~17節。例に出てくる日常的なストレスの原因と、イエスの最期の晩のストレスを同列に並べられても・・・全くピンとこないよねぇ・・・ズレズレだよねぇ。
まぁ、ものすごく大きな事柄(自分が贖いとなること)を思えば、細かいストレス(弟子たちの言い争い)なんか取るに足りないよ、ってことは学べるかな。(不謹慎ですみません。・・・だって、こんな比較されたら、そんな感じになっちゃうもん)

23節。「エホバに守っていただくには努力が必要である」。

努力が必要なのは分かります。でもこういう書き方をされるとねぇ・・・神はわたしたちに、条件付きの愛しか示してくださらないように感じちゃいますね。懐のちっさい神になっちゃいますよね。