聖なる書物を読んで

現役JW29年目

オリジナルソング

2018-06-30 | エホバの証人
主人曰く、チャラい。

自分は、もともとミーハーなので、嫌いじゃないんだけど。

娯楽制限がある以上、こういうのは必要でしょ。


ただ、世の音楽をさんざん貶しといてこれかい、って突っ込みたくはなる。

子どもの歌に、ラップ使ったりとかね。

新しい賛美の歌も、やたらシンコペーションが多いし。


音楽も、崇拝の大切な部分。

それが強調され始めてから、反比例するように、

音楽の質が落ちたように感じる。


バッハを聴いてる方が、よっぽど荘厳で、崇敬の念がわく。

つまずく

2018-06-30 | エホバの証人
人につまずく。

エホバの証人になって、初めて聞いた言葉。


自分の場合、人を嫌いになっても、それでつまずくことはなかった。

大嫌いな巡回監督兄弟が一人いる。(まだ巡回やってるのかな。もう来ないといいな)

でも、幸い、会衆の兄弟姉妹の中には、嫌いな人は一人もいない。

あまり深い付き合いは、しないからかもしれないけど。


ある開拓者姉妹に言われたことがある。

「あなたは兄弟(主人)がいるから、守られてるのよ。」と。

そういうものなのかな・・・よくわからないけど。

どうも、開拓者姉妹たちの間では、いろいろあるらしい。


1世と2世の間の、埋められない溝みたいなものもあるようだ。

1世と2世が、同じ思いで一致する、というのは難しい事だと思う。

聖霊

2018-06-29 | 聖書
いつの時でも、聖霊は、組織にではなく、個人に働いた。

昔の預言者にも、裁き人にも、イエスの弟子たちにも。


ヨエルの預言もそうだ。

「わたしは自分の霊をあらゆる肉なる者の上に注ぐことになる。・・その日には下男やはしためたちの上にも私の霊を注ぎだす。」


だとしたら、今も、もし聖霊が働くのなら、個人にであって、

組織にではないだろう。

つまり、神の霊に導かれる組織なんて、ないことになる。


それって、つまり・・・・

この組織含め、どの組織に属していても良い、

なんなら組織に属さなくても良いってことかも。


・・やっぱり、迷う。

組織

2018-06-29 | エホバの証人
エホバ神は組織の神。

イスラエル人を組織され、1世紀の弟子たちも組織された。

だから、終わりの日の現代でも、ご自分の組織を持たれているはずだ。

つまり、エホバ神は今、統治体を通してエホバの証人を導いておられる。


本当にそうなのかな。


エホバ神は組織の神、これは創造物を見るとその通りだと思う。

でも・・イスラエルの組織された崇拝は、しょっちゅう偶像崇拝に陥ってたし、

イエスの時代には、人間の伝統によって無にされてた。

イエスの弟子たちも、予告通り、背教に陥ってしまったわけだし。


つまり、人間の組織は例外なく腐敗する。

たとえ、神が組織したとしても。

最初の人間夫婦が罪に陥ったのと、同じDNA。


これが真理だと思う。


だから、イエスは「真の崇拝者は霊と真理をもって崇拝する」って言ったのだろう。


だとしたら、組織に属してる必要なんかないのかも。


でも、真理を知るためには、やっぱり教え手が必要なわけで・・


自分は、この組織を通して、聖書を学んだ。

実際、この組織は、多くの言語で聖書を頒布しているし、

地の最も遠い所にまで、宣べ伝える努力をしている。

となると、やっぱり、エホバの霊が働いているのかもしれない。


困った。

ブログ

2018-06-28 | エホバの証人
エホバブログがいっぱいある。


以前は、組織に従って、見ないようにしていた。

それでも、目にしてしまうことがあって、読んだこともあった。

その時は、被害者意識が強いんだなぁ・・と思っただけだった。

毒を吐いてるだけのブログだったから。

確かに、組織の言う通り、読む価値無いな、と思った。


でも、いわゆる背教者ブログを読んだとしても、

真理が負ける訳がない、とも思っていたから、

そんなに読むな読むな言わなくてもいいのに・・とも思っていた。


組織にだんだんと不信感がつのってきて、

去年の秋ごろから、情報を得たくて、いろいろ読みだしたら・・

組織の偽善を、教理の間違いを、冷静に糾弾しているブログが、たくさん。

組織の一員として、知らなかったでは済まされないようなことも。

読んで良かったと思っている。


それでも、思い切って離れられないのは、

聖霊に逆らうことになってしまうかもしれないと、

どこかでまだ、感じているからなんだと思う。

街路奉仕

2018-06-28 | エホバの証人
好きな奉仕だった。


関心ある人が、近づいてくるのを待つ奉仕。

雑誌の表紙を見てもらう、自分たち(主人と私)の作ったポスターを見てもらうことで、

たくさんの種まきになると思ってた。

自宅が駅から近かったこともあり、よく駅前で立っていた。



いつもの場所で立っていたある時、隣の会衆の兄弟に、

ここは自分たちの会衆の区域だから他でやって、と言われた。

その会衆で立ってる人がいなくても。

言われるままに、別の、ちょっと人通りの少ない場所に移動したけど・・

主人は、それが納得できなかった、と後になって話してくれた。



自分としては。

会衆でカートを用いるようになり、

組織され始め、駅前での個人的な街路奉仕は禁止され、

「公の奉仕」と名称まで変わり、

プロフェッショナルな服装だの、コンパニオン立ちだのと言い始め・・

それから、とにかく違和感ばかり感じるようになって、

好きじゃなくなった。

なんのための奉仕なんだか・・よくわからなくなった。

もう何年も参加していない。


「公の奉仕」を見かけると、複雑な気分になる。

街路奉仕はしたいけど、あれには加わりたくない。


まあ・・組織の敷いたレールから外れたということで。

良しとしようかな。

特権

2018-06-28 | エホバの証人
好きじゃなかった言葉。

人を、上下・優劣で差別する言葉。

人に、選民意識を植え付ける言葉。


エホバ神がイエスに、「贖いは特権ですよ」

イエスが弟子たちに、「聖霊をそそがれるのは特権です」

なんて言うかな・・



新世界訳では、7か所で使われている。


他の聖書では、たぶん使われていないんじゃないかな。

(神からの)賜物、恵み、恩恵、思いもかけなかったこと、

そんな感じに訳されてる。


オンライン・ライブラリーの出版物で検索かけたら、

3879件も!


特権が大好きな組織。

ハルマゲドン後

2018-06-27 | 聖書
みんなで、瓦礫を、何年もかけて、片付ける。

らしい。


ペテロ②3:10~11 「・・エホバの日・・天は鋭い音とともに過ぎ去り、諸要素は極度に熱して溶解し、地とその中の業とはあらわにされる・・これらのものはこうしてことごとく溶解するのです・・」


化学は得意じゃないけど・・たとえば、

物質をすべて原子レベルに分解して、新たに有用なものに創り変える。

それぐらいのことは、エホバ神なら簡単にできるだろう。

ペテロは、その様子を描写したのかもしれない。

そして、待ち望んでいる、義の宿る新しい天と新しい地。


ノアの時も、エホバは、洪水で、のろわれた地を清めてくださった。


うん。瓦礫の片付けなんて・・・ない!



エホバの証人

2018-06-26 | 聖書
イザヤ43:10~12を根拠として、付けられた名称。


でも、これはイスラエルとの律法契約に基づいたもの。

だから、地上でのイエス・キリストは、エホバの証人だった。


では、イエスの弟子たちは?


ルカ1:46~48 「・・キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって罪の許しのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣べ伝えられる-・・あなた方はこれらの事の証人となるのです」

使徒1:8 「・・地の最も遠い所にまで、わたしの証人となるでしょう」

使徒1:22 「・・主の復活の証人になることが必要です」

使徒2:32 「このイエスを神は復活させたのであり、わたしたちは皆その事の証人です」

使徒3:15 「・・神はこの方を死人の中からよみがえらせたのであり、わたしたちはその事の証人です」

使徒5:30~32 「・・神はイエスを・・よみがえらせました。神はこの方を・・ご自分の右に高めました。・・わたしたちはこれらの事の証人であり、聖霊もまたそうです。・・」

使徒22:15 「あなた(パウロ)は、自分の見聞きした事柄につき、すべての人に対してその方(イエス)の証人となるからです」

ペテロ①5:1 「・・わたしも・・キリストの苦しみの証人・・」

啓示17:6 「・・その女(大いなるバビロン)が・・イエスの証人たちの血に酔っているのを見た・・」


1世紀当時、実際にイエスを見聞きした者たちだけでなく、

その人たちから聞いた人たちも、イエスの証人になったはず。

「神慮によって」クリスチャン(キリスト信奉者)と呼ばれたんだし。


となると・・


エホバの証人、と名乗るのではなく、

エホバの証人のイエスの証人、と名乗るのが正解かも。

表象物

2018-06-25 | 聖書
記念式のパンとぶどう酒に、誰があずかるか。


エホバの証人の教理では、油そそがれた残りの者たち。

理由は、新しい契約の当事者だから。


「ほかの羊」と言われる大多数は、あずからない。

見守る者として参加する。


自分の会衆には、油そそがれた者がいないから、

パンとぶどう酒が、ただ淡々と回されるだけ・・

たぶん、日本のほとんどの会衆がそうだろう。


エホバは、本当に、この形の記念式を、是認されているのか。


ヨハネは記念式のことを書かなかったけど、

ヨハネ6:53、54 「・・人の子の肉を食べず、その血を飲まないかぎり・・命を持てません。わたしの肉を食し、わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち、わたしはその人を終わりの日に復活させる・・」

自分の前を、通り過ぎて行く表象物・・

いいのか? これで。