パウロは、コリント①を書いた後、②を書く前に、短くコリントを訪れたと考えられる。(その訪問のことは使徒行伝には書かれていない)
なぜなら、2:1に「再び苦痛をもって行くことはすまい」とあるが、最初の訪問は「苦痛」を伴うものではなかったから。また12:14,13:1にも「三度目に行く」とある。
この「苦痛」は「悲しみ」という語とは違って具体的な打撃を表わす言葉。この書き方では、苦痛を与えに行くのか与えられに行くのか分からないが、その訪問ではどちらかあるいは両方だったのだろう。
2:2に「私があなた方に苦痛を与える」とあるので、苦痛=罰とも考えられる。つまり何らかの違反を犯した信者にパウロが罰を与えることで、どちらも打撃を受ける(受けた)ということかもしれない。
2:4に「多くの涙をもって(手紙を)書いた」とある。これは、①のことか、あるいは①と②の間に書かれた中間書簡(「涙の書簡」と言われている)があるのかもしれない。
1章でパウロは、旅行行程を変更したことの言い訳をぐだぐだしている。
①の16章で計画していた行程(エフェソス→マケドニア→コリント冬→エルサレム)を変更(エフェソス→コリント→マケドニア→コリント冬→エルサレム)したのは、コリントとの関係が上手く行ってなかったことと、コリントでエルサレムへの献金問題が大きくなっていて(なぜそんな献金が課せられるのか、なぜパウロ御一行様の旅支度まで負わせられるのか)募金が集まっていなかったから、まず発破をかけようと思ってのことだろう。
そうした下心を誤魔化すために、手紙を書き出すにあたって最初に患難の話を持ち出し、自分がどれほど患難を受けたかを書く。そして、この変更は肉に従って計画したわけじゃない、自分の都合なんかじゃないとイエス・キリストまで持ち出して言い訳するという・・・まぁパウロにとっては真剣な状況だったのかもしれないけど。
結局は、エフェソスで大騒動(8節の患難。使徒19:23~)が起きてしまって、コリントに行けずにマケドニア回りで行くことになった(1:23、2:12,13)。
新世界訳の1:3には「慰めの神」とあるけど、この「慰め」の原語は「呼びかけ」の意。
慰めたり、励ましたり、訓戒を与えたり等の趣旨で呼びかけるので、文脈に合わせていろいろな語に訳されている。この場合は「慰め」が分かり易いのだろうけど、パウロが好んで用いている語なので、「呼びかけ」と統一して訳す方が分かり易いと思う。(田川訳はすべて「呼びかけ」になってる)
2:14~7:4は別の書(中間書簡?)が入り込んだという説がある。実際、話がいきなり飛んでいて、マケドニアの話2:13は7:5に続いている。
2:14にある「凱旋行進」も、もし挿入であるのなら、その前に書かれていたことが分からないので、パウロがこの言葉で何をどう例えていたのか分からない、というのが正しい理解になる。
「凱旋行進」が神の勝利の行進であるのなら、我々が捕虜として引き連れられてるのはなぜなのかも、この文章だけでは分からない。
さらに、知識を「匂い」に例えているのは、その前からの続きかもしれないし、ここからかもしれない。これも不明。
(田川建三氏の「新約聖書 訳と註」パウロ書簡①を参照させていただきました)
なぜなら、2:1に「再び苦痛をもって行くことはすまい」とあるが、最初の訪問は「苦痛」を伴うものではなかったから。また12:14,13:1にも「三度目に行く」とある。
この「苦痛」は「悲しみ」という語とは違って具体的な打撃を表わす言葉。この書き方では、苦痛を与えに行くのか与えられに行くのか分からないが、その訪問ではどちらかあるいは両方だったのだろう。
2:2に「私があなた方に苦痛を与える」とあるので、苦痛=罰とも考えられる。つまり何らかの違反を犯した信者にパウロが罰を与えることで、どちらも打撃を受ける(受けた)ということかもしれない。
2:4に「多くの涙をもって(手紙を)書いた」とある。これは、①のことか、あるいは①と②の間に書かれた中間書簡(「涙の書簡」と言われている)があるのかもしれない。
1章でパウロは、旅行行程を変更したことの言い訳をぐだぐだしている。
①の16章で計画していた行程(エフェソス→マケドニア→コリント冬→エルサレム)を変更(エフェソス→コリント→マケドニア→コリント冬→エルサレム)したのは、コリントとの関係が上手く行ってなかったことと、コリントでエルサレムへの献金問題が大きくなっていて(なぜそんな献金が課せられるのか、なぜパウロ御一行様の旅支度まで負わせられるのか)募金が集まっていなかったから、まず発破をかけようと思ってのことだろう。
そうした下心を誤魔化すために、手紙を書き出すにあたって最初に患難の話を持ち出し、自分がどれほど患難を受けたかを書く。そして、この変更は肉に従って計画したわけじゃない、自分の都合なんかじゃないとイエス・キリストまで持ち出して言い訳するという・・・まぁパウロにとっては真剣な状況だったのかもしれないけど。
結局は、エフェソスで大騒動(8節の患難。使徒19:23~)が起きてしまって、コリントに行けずにマケドニア回りで行くことになった(1:23、2:12,13)。
新世界訳の1:3には「慰めの神」とあるけど、この「慰め」の原語は「呼びかけ」の意。
慰めたり、励ましたり、訓戒を与えたり等の趣旨で呼びかけるので、文脈に合わせていろいろな語に訳されている。この場合は「慰め」が分かり易いのだろうけど、パウロが好んで用いている語なので、「呼びかけ」と統一して訳す方が分かり易いと思う。(田川訳はすべて「呼びかけ」になってる)
2:14~7:4は別の書(中間書簡?)が入り込んだという説がある。実際、話がいきなり飛んでいて、マケドニアの話2:13は7:5に続いている。
2:14にある「凱旋行進」も、もし挿入であるのなら、その前に書かれていたことが分からないので、パウロがこの言葉で何をどう例えていたのか分からない、というのが正しい理解になる。
「凱旋行進」が神の勝利の行進であるのなら、我々が捕虜として引き連れられてるのはなぜなのかも、この文章だけでは分からない。
さらに、知識を「匂い」に例えているのは、その前からの続きかもしれないし、ここからかもしれない。これも不明。
(田川建三氏の「新約聖書 訳と註」パウロ書簡①を参照させていただきました)