聖なる書物を読んで

現役JW29年目

ヨハネ18章

2018-10-31 | 聖書
ヨハネの福音書に書かれていないこと。

ゲッセマネの園の名。園でのイエスの祈りとそれに関連する出来事。
ユダが口づけしたこと。ユダのその後と自殺のこと。
大祭司カヤファの家での尋問。
ペテロが外に出て泣いたこと。(その代わりに21章でイエスとペテロの感動的な記述を)

ヨハネの福音書だけに書かれていること。

4~9節。イエスが弟子たちを守ったこと。「一人をも失わない」という預言(17:12)の成就でもあり、イエスの弟子たちへの愛でもある。
特に5節、「わたしが[その者]です」。ギリシャ語ではエゴーエイミーで、神のみ名「わたしは在る」を意味する言葉。イエスがここでみ名を用いて弟子たちを守ったことが興味深い。
6節には、彼ら(イエスを捕えに来た兵士の一隊や下役たち)が「後ずさりして地面に倒れた」とある。イエスの発したたった一言の威力たるや。これを、イエスが神である証拠とみるかどうか。ヨハネが伝えたかったことを、深く考えてみる必要がありそう。

10節。ペテロがマルコスの右の耳を切り落とした(2人の実名を記録)こと。そろそろ実名書いても大丈夫、って時代になったのかなw。

11節。ゲッセマネの園でのイエスの祈り(この杯を取り除いてください)を書かなかった代わりに「父がわたしにお与えになった杯をぜひとも飲むべき」と。

13,14,19~24節。まずアンナスのところに引いて行かれ、尋問されたこと。ここでもイエスは弟子たちを守られてる。「弟子たちや教えについて」質問されて、無言でも良かったのに「公に話してきた。聞いた人たちに質問しなさい」と答え、弟子たちに手が及ばないようにされた。
アンナスは大祭司カヤファの舅なので、同じ家に住んでいたのではないかと考えられている。でないと、15~18節の大祭司に知られた弟子(ヨハネ自身という意見が多い。その兄弟のヤコブではないかとも言われてる。裕福な父ゼベダイの関係か)がペテロを大祭司の中庭に招き入れたこと、そこで起きたペテロの3度の否認と合致しない。

28節。「彼らは・・総督の官邸内に入らなかった。身を汚さずに過ぎ越しの食事をしようとしてであった」。律法のより重大な事柄を無視して、細かい規定に従うことの愚かさが浮き彫りにされてる感じ。
物事の本質が見えてないって、時に怖いを通り越して滑稽にも見える。排斥・断絶者への無視ってそんな感じ。無視しといて、愛だ愛だ言われてもね・・・

31節。「わたしたちが人を殺すことは許されていない」。死刑執行の権利はローマ政府に取り上げられていた。

32節。「イエスがどんな死を遂げることになっているかを示して言われた言葉が成就するため」。ユダヤ人の死刑は石打。その後、のろわれたものとして(見せしめで)杭(もしくは木)にさらされることもあった。
イエスはご自分が挙げられることを預言していた(3:14,12:32)。そして、単に石打で殺されるんじゃなく、杭に挙げられた(のろわれたもの、見せしめ)。
十字架か杭か・・・どっちかなぁ。どっちでもいいような、よくないような・・・これもまだよくわからない。

33~38節。ピラトとの会話。ここで争点となってるのは、神への冒とくではなくローマへの反逆。ユダヤ人たちは冒とくの罪でイエスを死刑にしようとしてるのに、ピラトへの訴えはこれなんだから、ずるいよね。
イエスはここでも弟子たちを守ってる。「わたしの王国はこの世のものではない」から、弟子たちは戦わないと。
そして「真理について証しするために世に来た」と、異邦人であるピラトに宣べ伝えてる! ピラトの反応は無関心。「真理とは何か」と言ってるけど、知りたいわけじゃなく、軽く馬鹿にしてる感じかな。霊的な会話が成り立たない感じ。
(このへんのやり取りをヨハネがどうして知ったのか・・・後に信者になったローマ人の目撃者から聞いたのか、聖霊が教えたのか)

イエスが弟子たちを守っているのとは対照的に、ペテロは詰問されて自分を守るためにイエスを否認してしまう。それでもイエスは最後まで弟子たちを愛された。

趣味(真瑚ちゃん)追記あり

2018-10-28 | 趣味
趣味のフィギュアースケート観戦です。

注:ネタバレです。




●第2戦カナダ大会。

昨夜は、野球の延長で、昌磨くんのショートを地上波で観るのが12時超えてしまい、今朝は寝過ごして男子フリーのライスト見れず、結果を知ってから動画を観ました。

男子の1位は、昌磨くん。(ショート2位から)フリーは男気と意地を、1歩目の滑り出しに感じました。気合入ってた。最後のポーズもブレませんでした。ショート後のインタビューで「自分に鞭を入れて仕切り直す」って言ってた通りの力強いフリーでした。(追う立場の方が気持ちが入るのかな)
4回転フリップは安定感があり、ものにした感じです。4回転サルコウはまだ飛びにくそう。
今夜、地上波で大画面で見るのが楽しみです。(ジャンプのことばかり書いてるけど、実際の観戦では、滑りと表現も楽しみで観てます。でも、ステップもスピンもレベルとかよくわからなくて書けません・・・)

ジュンファン(ジュナン)くんは3位。きのこヘアーがかわいい。身長177cmもあるんだね~昌磨くんと並ぶと大きい。3ルッツ3ループ、いいねー。全体的にスピードがもう少しあるといいかなー。これからどんどん上がって来て欲しい選手です。

友野くんは9位。ジェイソンくんはショート11位から追い上げての6位でした(刈上げヘアーにまだ慣れないw)。

そしてそして。

女子の2位に真瑚ちゃんです! 惜しい、1位と0.26差。シニアデビューのグランプリ初戦でこの演技は素晴らしいです! 会場総スタオベでしたよね。強烈なシニア世界デビューでした。
とにかくね、笑顔・笑顔・笑顔で滑ってるのがいい。見てる方もほんわかします。癒しのスケートですね~~ジャンプはあんなにダイナミックなのに。(これでトリプルアクセル飛んだらスゴイだろうな)pcsも65点もらってる。
まだ15歳。これからが本当に楽しみ。真瑚ちゃん登場で、スケート観戦がますます楽しみになりました。

メドベちゃんは3位。ショート7位からの巻き返しです。フリーでやっと本来のメドベちゃんが戻ってきた感じ。雰囲気変わりましたよね。スケートも本人も。次が勝負かな。

新葉ちゃんは6位。ショートは2位でいい感じだったけど、やっぱりまだ足が治ってないんだね・・・


来週はフィンランド大会。結弦くん、コリャダくん、ジュンファンくん、ボーヤンくん、ザギトワちゃん、花織ちゃんです。



(追記)
大画面で観た昌磨くんのフリー「月光」、思ってたよりずっと気迫のこもった演技でした。後のインタビューで「最初から100%を出して」って言ってて、後半まだこんなに疲れるんだということが分かったと。
単に体力を付けるだけじゃなくて、体力配分が上手く出来るようなり、手の抜きどころや抜き加減がわかってくれば、きっともっと楽に何ランクも上の素晴らしい演技ができるようになるんだろうな、と思う。
実は自分、昌磨くんはここまでかな、なんて感じてたんですけど、この月光を見て(100%を最初から出し切る演技ができることを見させてもらって)、まだまだ上へ上へ先へ先へと昇っていけるって確信しました。
ほんとに応援のし甲斐がある選手ですねっ。

趣味(昌磨くん)

2018-10-27 | 趣味
趣味のフィギュアースケート観戦です。

注:ネタバレです。








グランプリシリーズ第2戦カナダ大会。男子ショートは朝5時から、布団の中でうとうとしながらライスト見てました。

昌磨くん。う~ん・・・なんかノリが悪いというか・・・楽しそうじゃないなぁ。緊張してるって感じではなかったけど、スイッチが入ってないというかなんというか。

最初の4回転フリップがバッチリ決まって、次の4回転トゥループにトリプルトゥのコンボを無理やりつけて(今までは無理せずダブルトゥにしてた)頑張ったのは良かった。

トリプルアクセルでの転倒は、自分が今まで見た中で一番ひどいと言っていいほどの転倒の仕方だった。

全体的な印象がね・・・心が入ってない感じ。(あくまで自分の受け取った印象ですので・・・)それがジャンプに出てるような。

公式練習では靴を気にしてた、とか、応援してくれる方々の期待に応えたいと思うようになった、とか、外的内的にいろいろあると思うけど、ほんとはもっともっとすごい滑りが出来るはずなのに、もどかしいなぁ、と思った朝でした。

これから地上波TV観戦です。大きい画面で観たら、また違った感想になるかもしれません。

エホバと共に働く

2018-10-26 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

この記事の主題は「組織の為に働く」が正解です。神と共に働きたいと思う人には、全く役に立たない記事です。

まぁ読んでもいいかな、と思ったのは2節ぐらいかな。

ただ2節の質問に、エホバのために何ができるかを考える際、自分と他の人を比較すべきでないのはなぜですか、とあって、本文にはガラテア6:4「各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば、他の人と比べてではなく、ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」が引用されてるんだけど・・・この聖句、好きな聖句(自分、出来ないことだらけだけど、自分的に喜べてればいいやと思って)だったんだけど、新世界訳の訳し方だと、伝わる意味がやっぱり間違ってるんだよね。他の聖書を調べてみて分かった。

「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう」
「一人一人、自分のすることをしらべてみよ。するとその時、誇る理由は自分自身にだけあって、(決して)他人に(比較して誇るべきで)ない(ことに気づく)であろう」
「めいめい自らの行ないをしらべてください。そうすれば他人に対してではなくて、もっぱら自らに対して(恩恵の)誇りを持ちえましょう」
「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう」
「おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることはないでしょう」

確かに文脈を良く読んでみると、他の人の誤ちを見て自分を(大した者でもないのに)誇るのは間違いだよ、自分を吟味すれば他人に誇れることなんてないよ、みんなそれぞれ重荷を負ってるんだから互いに負い合おうよ、そうすることで(律法の重荷じゃなくて)キリストの律法(愛)を全うしようよ、そうやって自分の荷を負おうよ、ってことですよね。
新世界訳を読んでると、「互いの重荷」と「自分の荷」がなんなのかよく分からなかったけど、他の聖書を読んでみるとよく分かる。

この組織の聖書の学び方って、聖句が独り歩き(組織に都合の良い方向へ)してしまうような学び方なんだよなぁ。文脈を無視してその聖句だけを取り出すから。
新世界訳じゃない聖書で学び直さないとだめかもしれないなぁ・・・たいへんだぁ。

ヨハネ17章

2018-10-25 | 聖書
ご自分を贖いの犠牲として捧げる前に、全ての人の大祭司として神に祈られたイエスの言葉。
1~5節はご自分のこと、6~19節は弟子たちのこと、20節~は弟子たちの言葉(聖書含む)によって信仰を持つ者たちのことを。
栄光を、保護を、聖別を、一致を、愛を。

・・・深いです。何を書いても上っ面になりそうです。なので、今まで学んでこなかった点や、新世界訳を読んだだけでは分からなかった点を書いておきます。

1,5,11,21,24,25節。「父よ」=「アバ」。「アバ、父よ」って言うのが油そそがれた者だけだとしたら、自分は「父よ(アバ)」って祈ったらダメって事になっちゃわないかなぁ・・・やっぱり油注がれるってよく分かんないなぁ。

1節。「時は来ました」。ヨハネは「時」について何度も書いてる。いよいよその時が来た。

3節。ご自分のことをここで初めて「イエス・キリスト」と言われた。神に遣わされたキリストとしてのイエスを知るように、ということだね。

5,24節。教義では「世がある前」「世の基が置かれる前」とは、人類誕生の前となっている。それでもいいのかなとは思うけど、天地創造の前としているものも多い。どちらであっても大切なのは、イエスが神の傍らで栄光ある存在だったこと、再びその栄光を得て弟子たちもその栄光にあずかるようにと祈ってくださってること。

6,26節。「み名を明らかにする」「み名を知らせる」。イエスは「み名」に拘っていたわけじゃなくて、み名の表わしている本質を明らかにし、知らせた。(弟子たちはすでに神の名を知ってた)

8節。新世界訳の「代理者」という言葉は付け足し。
神がイエスに与えてくださったことばを「受け入れ」、イエスが神から出て来たことを「知り」、神がイエスを遣わされたことを「信じた」。これが弟子になって行く過程だとわかる。

11,12節。新世界訳「み名のために彼らを見守る」。他の訳「み名によって彼らを守る」「あなたの名で彼らを守る」。だいぶ印象が違う。他の訳の神は、新世界訳の神よりずっと積極的に、まさに父親のように守ってくださるように感じる。

15節。新世界訳「見守る」。他の訳「守る」。サタンから、見守るのと守るのとじゃ、雲泥の差が出ると思うんだけど、どうなんだろうね。

15~18節。邪悪な者のいる「世のものではない」ことと、み言葉真理によって神聖なものとされることが、対として書かれている。イエスが足を洗ってくださったこと(日々の罪を贖っていただくこと)とも通じる。世に居る限り、日々、世の影響を受けるのは必至なわけで、それを取り除くために聖書と祈りは不可欠だとわかる。

21,23,26節。「結びついて」。すべて付け足し、もしくは意訳。

23,26節。イエスを愛した神の愛が弟子たちのうちにもあることを世が知る。イエスを愛した神の愛によって一致する。
キリスト教がどれほど分裂していても、大切なのは一人一人が神とイエス(とその愛)について知る(知識としてではなく、いわば父や兄弟や友として)ことなのかなと感じた。

ヨハネ16章

2018-10-24 | 聖書
前章に引き続き、イエスはこれから起こることに弟子たちを備えさせ、励まされる。

イエスが去って聖霊が来るのは益となる。聖霊は、罪と義と裁きに関する世の誤りを暴き、真理を明らかにし、イエスの栄光を表わす。イエスの復活によって、使徒たちの悲嘆は喜びに変えられ、その喜びはイエスの名によって求めるなら受けることで満ちる。イエスは世に勝利されたのだから、患難があっても勇気をもって立ち向かいなさい。

2節。「あなた方を殺す者がみな、神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしている」
律法には偶像礼拝者や偽りの預言者を殺すようにとある。この律法ゆえに過去にも本当の預言者が殺されたりした。イエスも弟子たちも迫害されて殺されることにもなった。(イエスはご自分を信じない人々を糾弾されたけど、殺しはしなかった)
人は何が真実かを見誤ることが多々ある。統治体だってそう。新しい見解が出る度に、それが本当に神聖な奉仕なのかどうか、鵜呑みにしないで自分でよく考えないとね。

8節。「(聖霊は)罪に関し、義に関し、裁きに関して、納得させる証拠を世に与える」
この訳だと意味がよく分からないけど、「納得~」の部分が他の訳では、「世の人の目を開く」「世の誤りを明らかにする」「この世に誤りを認めさせる」などとなっていて、なるほどと思った(原語はもっと強く「世を糾す」「世を暴く、断罪する」の意)。
罪も義も裁きも、イエスの教えの本質を成す問題で、これから起きるイエスの贖いにすべて繋がってる事柄。イエスの贖いに信仰を働かせること(罪に関して)。イエスが復活されて天で王となられご自分の民を義と宣すること(義に関して)。イエスがサタンに勝利し死を無に帰せしめたこと(裁きに関して)。
これから聖霊が明らかにしてゆくこれらの真理(弟子たちの書簡による)は、律法による罪や義や裁きを信じてた世の誤りを暴くことになった。さらにそれは、14節にあるように「イエスの栄光を表わす」ことにもなった。

でもまだこの時には、弟子たちは何にも理解してなかったんだよね・・・・イエスはいなくなりそうだし、自分たちは殺されそうだしで、動揺してます。イエスは「あなた方の悲嘆は喜びに変えられる」と保証し、イエスの名によって「求めなさい。そうすれば受けます。あなた方の喜びが満ちるためです」と約束される。

過去の神の民の祈りは直接神に捧げられたけど、クリスチャンはイエスの名によって祈り求めることになった。(国民や組織に属することではなく)イエスだけが神への道。

27節。「父の代理者として来た」
代理者なんて言葉は他の聖書にはない。「父のところから出てきた」「神の御許から来た」「神からの出」「神のもとから出てきた」などとなってる。17:8にも代理者ってあるけど、あからさまにひどい意訳。これでいいのか新世界訳。

31節。「今のところ信じているのですか」
英語ではat lastが使われてるので、前節の弟子たちの信仰告白を受けて、やれやれ今やっと信じるのかい、という感じかなw。印象が違うよね。イエスは弟子たちの信仰告白を喜んではいただろうけど、弱さを知っていたのでこの先の弟子たちの行動を預言し、負けてしまわないようにさらに励ましを与えた。

33節。「勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」
カッコイイ言葉で大好きな聖句なんだけどぉ・・・まずこのビックリマークは付け足しだよね。当時こんなマークはない。それと、「世を征服した」というより「すでに世に勝っている」という方が正しいみたいだね。
・・・感情に訴えるにはいい場面ではあるけど、こういう訳し方は如何なものかと。自分、すっかりダマされてましたよ・・・なんだかなぁ。

イエスがこれらのことを語ったのは、弟子たちが患難にあってもイエスによって平安を得るため。
今は、イエスもおられず、当時のような聖霊もないけど、聖書がある。聖書からイエスによる平安を得ることができる。なので、出来るだけ正確な意味をつかむためにも、新世界訳だけじゃなく、様々な聖書を比較することって必要ですね。

ヨハネ15章

2018-10-23 | 聖書
ゲッセマネの園へ向かう途上でイエスは、これから弟子たちに臨む迫害に備えさせる話をされる。

イエスは真のぶどうの木。父(神)は耕作者。あなた方(弟子たち)はその枝。
これまで、神が植えたぶどうの木はイスラエルだったけど、この言葉で真のぶどうの木がイエスに取って代わられたことが分かる。教義ではペンテコステの時にそうなったとしていて、実を結ぶ枝とは油そそがれた14万4千人だとしているけど・・・なんか納得できないなぁ。イエスがそんな区別(差別)するかなぁ。

ものみの塔は、実(霊の実と唇の実)を結ばなければ切って捨てられるってやんわり脅すけど、イエスがここで強調されてるのは、ご自分と結びついたままでいるなら、実を生み出す者になれる(良い栄養分がとれるから、自然に良い実を結ぶ)ということ。そのために必要なのは、互いへの愛(命をなげうつほどの愛)のうちにとどまるという、イエスの言葉(戒め)を守ること。ただ主人の命令(律法)に従う奴隷ではなく、主人(神)の意思を知る友(イエスの)として。あなた方を選び任命したのはわたし(イエス)なんだから、実を結び続けるためにあなた方がわたしの名によって何を求めても、父は与えて下さるから、実を結び続けられるよ、と。

イエスはここで、弟子たちの喜びが満ちるために話してくださっている。やんわり脅すためじゃない。ものみの塔を読んでても喜びがないのは、イエスの言葉じゃないからなんだろう。

続いてイエスは、弟子たちが世から憎まれ迫害されることを話される。
イエスの言葉を守り行なうものは、いつの世も迫害される。今の日本はそれほどでもないけど、いわゆるキリシタンの迫害とか、戦時中はクリスチャン(エホバの証人じゃない)が解散させられたり、投獄されて亡くなったりもしたと聞いた。

自分がクリスチャンではなかった頃、そんな話を聞くと、命を懸けてまで守りたい信仰ってどんなものなんだろうと、興味が湧いたりもした。互いに対する愛ゆえに戦争に加わらない、神を愛するゆえに偶像を拝まない、というのは世からは憎まれる行為だけれど、それによって引き寄せられる人もいるのだろうと思うと、イエスと結びついているなら実を結ぶことになる、というのが分かる気がする。

宣教によって実を結ぶことばかり強調される(枝として認められてないほかの羊にも!)のが、エホバの証人=ものみの塔。聖書を学んでいるようで、なんかズレてる。エホバの証人は、自分たちだけが真理を持ってるなんて不遜なこと言ってないで、もっともっと深く深く聖書を勉強するべきなんじゃないかと思う今日この頃。自分も中途半端な知識で伝道していたんだなぁと反省してます。

趣味(知子ちゃん)

2018-10-22 | 趣味
趣味のフィギュアースケート観戦です。

いよいよグランプリシリーズ開幕です。ワクワクします。以下感想ですが、上から目線ですみません。

●初戦アメリカ大会。

男子の日本からのエントリーはありませんでした。なんでだろ?

1位はネイサンくん。フリー(189.99)と合計(280.57)とで世界最高記録です。前回のジャパンオープンの時は、風邪を引いていたとかで本調子じゃなかったみたいです。4回転ジャンプの種類と数は減ったけど、きっちり確実に決めてきました。苦手だったトリプルアクセルも、加点が付いてます。素晴らしい。今後ジャンプの難易度を上げていくのかどうか、楽しみではあるけど、無理はしないで欲しいなぁ。

女子1位は知子ちゃん。ジャンプの回転不足が克服されてます! おおっ、しっかり飛んでるなって印象でした。他はますます洗練されてきてます。特にレイバックスピンはほんと絶品ですね~。反回転スピンもよくできるなぁと思います。スピードもあるし、ジャンプの入り(助走)も早くなって、見どころ満載です。今年のショート、フリー共に好みです。知子ちゃんは可愛らしさ(可憐さ)をアピールしていく方が良いのではないかと思います。

2位は花織ちゃん。ショートの衣装のスカート丈をもう2~3センチ短く切りたい・・・

3位はサモドゥロワちゃん。ロシアのジュニアからまた楽しみな選手が上がってきましたね~。今年どこまで来るでしょうか。タイプ的には好みなので頑張って欲しいです。

真凛ちゃんは残念ながら8位でした。ショートは良い感じだったので、そのままフリーもいって欲しかったなぁ。右足の調子が良くなかった上に、最初のジャンプの転倒でさらに右足痛めてしまったようです。膝から出血もしてましたね・・・。まだ体の成長と合わないのかなぁ。真凛ちゃんの華やかさってなかなかないから、頑張って活躍してほしいなぁ。(スケート限定で。メディアの露出は最小限で)


来週はカナダ大会。昌磨くん、友野くん、ジュンファンくん、ジェイソンくん、新葉ちゃん、真瑚ちゃん、メドベちゃんです。

まだ現役JWです

2018-10-21 | エホバの証人
ブログを始めて早4か月。書き始めた頃は、自分もっと早くエホバの証人止めるんじゃないかと思ってたんですが、まだ続いてます。・・・とは言っても集会も行かないし、先月から奉仕にも出てないので、止めたようなものではあります。幽霊JWです。

でもまぁ、聖書についての記事もアップしてるので、先月の奉仕報告だけは出させていただきました。(組織の役に立ってない奉仕は、報告しちゃダメかなw) 

以前にも書いたけど、良心的にもうエホバの証人として野外の奉仕は出来ないと思ってます。パンフレット投函ぐらいならいいかな、と思ってたんですが、それももうやりたくないです。自分が信じてないこと、オカシイと思ってること、信じて欲しくないことを宣べ伝えるのは、やっぱり出来ないなぁと。

でも聖書について、神やイエスについては伝えたいと思っています。それでしばらくはこのまま、エホバの組織のオカシイところや間違いだと思うところを中心に、自分で調べたことや考えたことなど、書いていこうと思ってます。(時々趣味も交えて)

組織が間違ってると思うなら関係を断つべきだ、と言われる方もいます。そうだよなぁと思う自分もいるけど、人間の組織なんて所詮どれも間違ってるんじゃないかとも思うんです。今この地上に神の組織がないのなら、どんな組織に属してたって、組織に属さない一匹狼だって、いいんじゃないかなと。

この先、もし神の組織を見つけられたら、その時はエホバの証人をきっぱり止めます。(まぁその前に排斥されちゃう可能性はあるかもw) 

聖書の「大いなるバビロンから出なさい」という命令に関しては、そもそも「大いなるバビロン」が偽りの宗教の世界帝国かどうかも分からないと今は思ってて、このことはいずれ考えようと思ってます。

今はこんな感じで、まだ一応現役JWです。

ちなみに主人は、争いごとが苦手で、面倒なことも好きじゃないので、このまま成り行きまかせのようですw。

惜しみなく与える

2018-10-19 | ものみの塔
今週末のものみの塔研究記事。

「惜しみなく与える」という言葉が、主題を含めると21回も出てきた。
「惜しみなく与える=幸福」つまり「惜しみなく与えない=不幸」だという暗示にかかりそう。

いつもながら、こうするなら神の祝福を得られる、神の祝福を得たいならこうするべき、という論法にうんざりする。
それでもまぁ、1,2,16,17,18節くらいは読んでもいいかな。
後はいらない。

特に12節は全くいらない。イエスが喜んだのはそういうことじゃないでしょ。イエスは弟子たちが「悪霊さえ服する」と言って喜んでるのを、かえって戒めてるぐらいでしょ。喜びは宣教の成功にあるのではないことを、ここでイエスは教えてるのに・・・なんだかなぁ。