大本神諭にも日月神示にも同じ警句がある。
この方(艮の金神クニトコタチ)は、
この世の閻魔として現れる。
足元から鳥が立つぞよ。
人の心を直す為、此の世のエンマが出て来たぞよ。
大本神諭 旧 明治34年(1901)11月9日
その国その所々で当分暮しむき出来るぞ。
野見よ、森見よと申してあろ、、ひふみ
地にも天照皇太神様(アマテラススメラオオカミ)、天照大神様、月読大神様
須佐鳴之大神様あるのだぞ。ひふみ
みろく様とは、
マコトのアマテラススメラ大神様であるぞ。ひふみ
小野 篁(おの の たかむら)平安802~
野宰相、その反骨精神から野狂とも称。
昼は朝廷の役人、夜は冥界(めいかい)で
閻魔(えんま)大王の裁判の手伝いをした。
平安京の東の葬送の地だった鳥辺野(とりべの)に通ずる
この世とあの世の境「六道の辻」に立つ六道珍皇寺の境内には、
篁が冥土通いに使ったと伝わる井戸がある。
この世の閻魔とは
人の魂の中に潜在する良心神のこと。
この世の閻魔が動くと、人は悪いことが出来なくなる。
良心の呵責として「悔い改める」。改心第一ぞ。
この世を救ふ生神(いきがみ)は 高天原(たかあまはら)に神集ふ。神諭
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟
『百人一首』参議篁(さんぎたかむら)
山幸と海幸 釣針 潮満珠&潮干珠 山幸凱旋。
泣く涙 雨と降らなむ わたり川 水まさりなば かへりくるがに。
『古今和歌集』
嘘と言うに字は「虎」がある。
綾部の殿様であった九鬼神道
「九鬼大隅守との因縁」
九鬼家は、鬼門の神を祀る。
九鬼文献の鬼門祝詞
「宇志採羅根真(うしとらこんしん)大神」を祀る。
大本神諭
「九鬼家との因縁が分かると、どえらいことになるぞよ、あいた口が塞がらんぞよ。」
明治三十四年二月二十四日のお筆先
九鬼大隅の守九つの鬼の首九つを九曜の紋、
九つが十曜に開いてしほれん花の咲く大本であるから、ちとむつかしきぞよ。
九鬼大隅守の深い因縁が判りて来て、
艮の金神の経綸が判りて来るから、そう成りたら、
夜が明て日の出の守護と相成りて、五六七(みろく)の神代が天晴れ成就いたすぞよ。
艮(丑寅)の金神の寅=「採羅」
「羅」
死者の維新、羅王が何を告げているのか?
皆々が、
死んだら終わりだと思っていることそのものが「嘘」。
嘘から出るが「誠」なり。
一厘は悪の中に隠してあるぞ。ひふみ
閻魔大王とは閻羅大王、羅に死者の維新を秘めた。
羅城門をくぐれば来世を授ける、来世門
羅城門をくぐれば来世を授けるで、これを【来世門】と言う
「クガミミ」は、
綾部の元藩主だった九鬼(クキ、クカミ)家
大江山の酒呑童子伝
土着の土蜘蛛=クガミミ
大和vsクガミミ
この世ばかりのタマではないぞ。
死んでも続くぞ
カミと神
己の戦(いくさ)まだ終わってないだろうがな?ひふみ
生まれ赤子となれ。素直になれ。
利口出すな、阿呆になれ。
全知全能のクニトコタチの御前では小細工は通用せん!
「誠」しか通らない!
踊れ。踊れ。踊る阿呆に踊らぬ阿呆。
同じ阿呆なら、踊りゃにゃ損々。
カミカカリして唄い、舞い、踊るのじゃ。ひふみ
岩戸を開くカギぞ。
どん詰まりの世界、曇り酷い物質人間たちを改心させねばならん。
牛糞が、、、
アンナものがコンナものに成つたのかと申して、
世界の人民が舌を捲く如うに成る仕組。
是から先きの大本は、役員も御用が楽に勤まるなれど。
引掛戻し(ひっかけ)は世が治るまで在るから、少しも油断の成らぬ、三千世界の大本であるぞよ。
悪は改心早いぞ。
皆々恭しくなり改心。
流志神力自由自在。
邪神ト獣ヲ阿分止佐世。