![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ff/8d7c372d02ce70619e1ac451b6b2940b.jpg)
1979年、お正月に撮った1枚。
この時、すでにフロントをWディスクに変更してた、リヤショックは「コニー」
Z650の後ろにあるのは、初めてお家に来た父親のマイカー、カローラ。
初めて自家用車が来たのは、小学校の6年生の終わりくらいやったかな。
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鈴鹿サーキットへ走りに行った時、「ヨリ」とこのトラックに積んでもらって。
SMSC(鈴鹿モータースポーツクラブ)に入会して、簡単な講習を受けた、
「皮のツナギ」と「2種のフルフェイス」燈火類は外すか、テーピング、
レースには出られんけど、それだけで「スポーツ走行」が出来た。
コースの入り口でタイムカードを「ガチャン」と自分で押して、コースを走る、
終わったらまた「ガチャン」と押して、コースアウト。
幾らか忘れたけど、走行した時間だけ、お金を払った。
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当時、まだ「モータースポーツ」がマイナーな時代、「プロ」も「ド素人」も一緒に走った。
翌年のワークスレーサーのテストをしてたりして、そんな人達と一緒に走る、
はじめて鈴鹿サーキット走った時、1番最初にびっくりしたのは「コース幅」
一般道と比較にならへんくらい「広い」「道幅」
コース取りなんて、わからへん、「アウトインアウト」なんて関係ない・・・
(インベタで周れるやんか)
スピード感、全く無し・・・って言うか、緊張してわからんかった。
YZR750とRG750に「スプーン」の入り口で抜かれた時はびっくりしたね、
(上野真一、河崎裕之あたりかもね)
一瞬やった・「ヒュン、ヒュン」て音がしただけ、両サイドから一瞬で抜かれた。
(新幹線とディーゼル機関車くらいの速度差やね)
きれいな弧を描いて、2台並んで「スプーンカーブ」を抜けてった、カッコえぇ!!
マネをして同じように「スプーン」に突っ込んだ、周れるわけ無かった・・・・
コースの外は「砂」が敷き詰めてあるしね、「砂だらけ」になったけど、
「カスリキズ」ひとつ無かった。(むっちゃ・・びびった)
まだ「シケイン」なんて無かった時代、「最終コーナー」は結構「うねり」があった、
全開で走るのは怖かったねぇ、ほんまに「スピード感」が無い世界やった。
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この頃にはハイカム入れて、ボアアップ、キャブもスーパーミクニΦ29に交換してた。
チューニングは鈴鹿の「モリワキエンジニアリング」に持って行った。
パワーバンドが狭なって、妙に振動が増えた、今から思うと、「濃過ぎた」と思うね、
「ハイカム」は乗りにくいこと、キャブレターは大口径がパワーが出るとは限らんこと、
高い授業料でした。(夏のボーナス全額つっ込んだ)
奥で左手を上げてるのは「つじ」、よく一緒に走ったなぁ。
渋いですね~
ザッパーもお飾り付けて( ^∀^)
・・・
地元のサーキット場で初めて走ったとき
コースの端を何周もテレテレ走っている集団がいました・・・
自分が走ってみて初めてわかりました(-_-;)
どこをどお走っていいやら
何がなんだかわからなかったです・・
そのテレテレ集団が正解だったのですね・・・
・・・(T_T)
今は
一般道をG7でテレテレ走るのが楽しいです(・∀・)
現存してたら、めっちゃ「おしゃれ」だと思います。
鈴鹿サーキットを走ってたのは18~19才頃でした、この頃は「カフェレーサー」がカッコ良かった時代でした。
仕事から帰って、晩ごはん食べてから毎日のように「喫茶店」に行ってました。
古き良き時代でしょ!
(^-^)ヾ(._.)/"(^0^)ヾ(._.)/"ランランラ~ン♪