思い出をあける鍵

ダブルディスクのエンピツマフラー再生記

思い出をあける鍵 part14

2014年09月24日 | 思い出をあける鍵

1979年、お正月に撮った1枚。
この時、すでにフロントをWディスクに変更してた、リヤショックは「コニー」
Z650の後ろにあるのは、初めてお家に来た父親のマイカー、カローラ。
初めて自家用車が来たのは、小学校の6年生の終わりくらいやったかな。


鈴鹿サーキットへ走りに行った時、「ヨリ」とこのトラックに積んでもらって。
SMSC(鈴鹿モータースポーツクラブ)に入会して、簡単な講習を受けた、
「皮のツナギ」と「2種のフルフェイス」燈火類は外すか、テーピング、
レースには出られんけど、それだけで「スポーツ走行」が出来た。
コースの入り口でタイムカードを「ガチャン」と自分で押して、コースを走る、
終わったらまた「ガチャン」と押して、コースアウト。
幾らか忘れたけど、走行した時間だけ、お金を払った。


当時、まだ「モータースポーツ」がマイナーな時代、「プロ」も「ド素人」も一緒に走った。
翌年のワークスレーサーのテストをしてたりして、そんな人達と一緒に走る、
はじめて鈴鹿サーキット走った時、1番最初にびっくりしたのは「コース幅」
一般道と比較にならへんくらい「広い」「道幅」
コース取りなんて、わからへん、「アウトインアウト」なんて関係ない・・・
(インベタで周れるやんか)
スピード感、全く無し・・・って言うか、緊張してわからんかった。
YZR750とRG750に「スプーン」の入り口で抜かれた時はびっくりしたね、
(上野真一、河崎裕之あたりかもね)
一瞬やった・「ヒュン、ヒュン」て音がしただけ、両サイドから一瞬で抜かれた。
(新幹線とディーゼル機関車くらいの速度差やね)
きれいな弧を描いて、2台並んで「スプーンカーブ」を抜けてった、カッコえぇ!!
マネをして同じように「スプーン」に突っ込んだ、周れるわけ無かった・・・・
コースの外は「砂」が敷き詰めてあるしね、「砂だらけ」になったけど、
「カスリキズ」ひとつ無かった。(むっちゃ・・びびった)
まだ「シケイン」なんて無かった時代、「最終コーナー」は結構「うねり」があった、
全開で走るのは怖かったねぇ、ほんまに「スピード感」が無い世界やった。


この頃にはハイカム入れて、ボアアップ、キャブもスーパーミクニΦ29に交換してた。
チューニングは鈴鹿の「モリワキエンジニアリング」に持って行った。
パワーバンドが狭なって、妙に振動が増えた、今から思うと、「濃過ぎた」と思うね、
「ハイカム」は乗りにくいこと、キャブレターは大口径がパワーが出るとは限らんこと、
高い授業料でした。(夏のボーナス全額つっ込んだ)
奥で左手を上げてるのは「つじ」、よく一緒に走ったなぁ。


2 コメント

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Unknown (マスター)
2014-09-26 12:12:11
カローラの「滋」ナンバー、
渋いですね~

ザッパーもお飾り付けて( ^∀^)

・・・
地元のサーキット場で初めて走ったとき
コースの端を何周もテレテレ走っている集団がいました・・・

自分が走ってみて初めてわかりました(-_-;)

どこをどお走っていいやら
何がなんだかわからなかったです・・

そのテレテレ集団が正解だったのですね・・・
・・・(T_T)

今は
一般道をG7でテレテレ走るのが楽しいです(・∀・)

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RE マスターさん (ひで)
2014-09-26 21:29:57
「滋55」そう、今見たら「渋い」ですね、
現存してたら、めっちゃ「おしゃれ」だと思います。
鈴鹿サーキットを走ってたのは18~19才頃でした、この頃は「カフェレーサー」がカッコ良かった時代でした。
仕事から帰って、晩ごはん食べてから毎日のように「喫茶店」に行ってました。
古き良き時代でしょ!
(^-^)ヾ(._.)/"(^0^)ヾ(._.)/"ランランラ~ン♪
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