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モンスターペアレントと呼ばれる問題を考えてみる

2008年06月25日 22時59分37秒 | Weblog
「モンスターペアレント」。
朝のラジオのテーマと友人のブログが見事に合致したので自分も書いてみます。

まずはタイムズ紙から


●モンスターペアレントとは
・学校(教師)に対して自己中心的で理不尽な要求を突きつける保護者の事。
 
 モンスターペアレントは和製英語です。

 アメリカではヘリコプターペアレントという言葉がありますが、これは過保護な親が子供について回るのがヘリコプターのホバリング飛行に似ているところからつけられたようです。

そのため似たような言葉ですが日本の訴訟、クレーム、嫌がらせ等も含めたモンスターペアレントとは意味合いが異なります。


●特徴
・子供を一人前として見られないことに過剰反応を示す
・子供に何か問題があった場合半人前として親子ともその責任を逃れようとする
・自分の子供を特別視し、他の子と差別化を図ろうとする(相対的な付加価値の強要)

こんなところでしょうか?
個人が尊重されるあまり回りの目が見えなくなった自己愛ともいえます。
社会の監視が弱くなっているといわれる昨今、自己が出てくる事は仕様が無いのかもしれませんがバランスが崩れていると思います。


●なぜ教師がたたかれるのか?
モンスターペアレントと呼ばれる保護者は基本的に学校の教師は基本的にサービス業だと思っているようです。
そのためサービス(子供の学校生活)に僅かばかり瑕疵があれば徹底的にたたく(クレーマー)要素とサービス(タダ)といった感覚があるようです。

直接サービス提供者(教師)は店のウェイターと同じと見て何か問題があれば「店長を出せ!あいつの首を切れ!!」といったクレームを出す感覚なのでしょうか。
要求が受け入れない場合「「こんな対応された」と上司に言うぞ」と間接的に脅す事も一緒だと思います。


その中にあるのは「自分は特別」といった感覚。
そして「消費者は強い」。
そんな勘違いがもたらした悲劇ともいえます。
結局その結果に被る「全体的な不利益」には無関心。


ホントは皆が特別であって特別ではない。


教師の擁護部分が多く書きましたが、自分は日教組の考えも賛同できません。
「先生」といわれる人たちはその知識や経験を社会に還元し、よりよい社会を作る事が命題だと思うからです。
そのため「先生」といわれる人たちは社会的制限がどうしてもついてくると思います。

このことからサラリーマンのような考え方の日教組が自分たちの地位を落としているようにしか思えません。

教師にも隙があり、その隙を徹底的に叩く保護者。
そんな構図なのでしょう。

本当の問題はそれらを赦す社会にあると思います。


●個人的に思うこと。
 子供らには様々な場面で競争と経験をさせたほうがいいと思います。
競争の中で社会の厳しさをロールプレイングとして学び、自分は何ができて何が不向きなのかを考えさせる必要があるからと思います。
 そのプロセスには時には負けることも、汚れることも必要なことだとだと思います。
自分探しを徹底的にさせる。
それが今後の子供が“特別”の一歩だと思うからです。

本当に必要なことは「理不尽なこの世界に両足で立っていける力をつけさせる事」だと思うのですが。


子供の時間はあっという間です。
その貴重な時間を親の体裁といったものに振り回すのはあまりにも子供がかわいそうだと思います。
結局モンスターペアレントと呼ばれる保護者は自分の子供の将来を直視できていないのかもしれません。
本当に子供は親のほうかもしれません。



本当に“特別な人”は“特別を享受する人”ではなく“特別を与えられる人”なのですから。




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