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キセルⅩ(kiss sell x)の活動

様々なカルチャーを通して生きていく活動日記

sweet 90's bluefilm -1

2007-11-29 18:44:16 | Weblog
名にコレジャンルって。。

毎度くだらない思い出話を壱日記


時は世紀末。
私22歳の春から話を始めます。

大きな失恋と共に終わった専門学校の卒業式。
みんな、3月に卒業して、就職決まってる人ばかり。
僕はポンコツなことばかり言っていたので、完全に出遅れた。
3月に卒業して、しばらくは春休みってことにして、遊びほうけていた。

昼間からパチンコして、買ってくる本は就職雑誌よりエロ本。
夜は、まさに呑んだクレ。

そろそろ暖かくなって、春の風を気持ちよく感じ始めた4月あたりから、親が怒り始め、重い腰をあげて就職活動開始した。

始めは「マスコミ」オンリーで絞って探していたけど、面接でことごとく失格。
軽く20社くらい・・・
「もしかしたら、俺って・・・この世に必要の無い人間かも・・・」

ってなった。

気晴らしに、「営業」とか普通のサラリーマン志望で受けてみた。
怪しいビデオやさんとかは受かったけど、なんとなく辞退。

そんなこんなで、春も深まって、だんだん初夏を感じ始めた5月頃。
GWと称してダラダラと遊びまくる私に、親は激怒。

毎日居心地が悪くなって、あても無く朝早くから出かける毎日がつづいた。
それはそれは辛かった。

今考えれば、当時から「漫画喫茶」
なるものがあればどんなに楽ちんだったろうか!!


やる事も無いので、ある日は山手線を何周できるか試してみたり。

一日中図書館にいたり。

意味も無く、初乗りだけ切符を買って、高尾山まで行って、ユーターンで帰ってきたり。

川原で寝てみたり。


まさに「落ちこぼれ」

パチンコで全財産掛けて、買ったら、どっか遠い所でイチから出直そう!
と考え、パチンコで破産!


仕方なく、親に頼った。
かっこ悪くてもいい。
もう沢山だ!!こんな生活!!!

と言う事で、紹介されたのが
「ホテルグリーンプラザチェーン」
原宿のパレフランス(今は無いけど)に面接にいくと、

面接してくれた人(当時の軽い沢方面のGM)

GM「10日後に軽い沢の遊園地に勤務でよければ、二次面接来てください。」

と。

ん???

二次面接ってか、決定後の説明じゃないか。


家に帰って相当揉めた。

「俺は東京を出てゆくつもりはねえ!!」

就職でしかも紹介とかで決まったら、長い間帰って来れない。
絶対いやだった。
友達もいるし!!
全部捨てて行く覚悟が必要だと感じたからだ。


しかし、親はこう言った
「じゃあ家を出てゆけ、50万あげる。その代わり親子として面倒は一切見ない
、部屋でも借りて、好きにすればいい」


僕は一晩悩んだ。

親子絶縁状態になるか、田舎に就職するか・・・


甘えてばかり入られないのだ!自分で生活しなきゃいけなんだと。
親子の縁が切れるのは自分のせいだと。
そう考えると、なんとも自分が情けなくてしょうがなかった。

悩んだ挙句就職を決意した、22歳の春。