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元超犬猿の岩手山と岩木山って知ってた?タカラレーベン『岩手山が岩木山に?マンションチラシ騒動』

2024-06-20 00:29:00 | 災難
毎日新聞 Good job!

『毎日新聞 2024/6/19 
    『岩手山が岩木山に? マンションのチラシ物議「市民ばかにしている」』
 昔ながらの街並みが残る盛岡市紺屋町で建設中の高層マンションのチラシに、岩手県の象徴である岩手山ではなく、実際には見ることができない岩木山(青森県)と思われる画像が使われ、盛岡市側が「市のシンボルであり、間違えるとはあまりにひどい」などと抗議していたことが判明した。売り主は、ウェブサイトで「別の山の画像を誤って使用してしまった」と認め、陳謝した。
怒る市の課長「ばかにしている」
 このマンションは、「タカラレーベン」(本社・東京都)が手がける「レーベン盛岡紺屋町」。盛岡市中心部で地元酒造会社「菊の司」の酒蔵があった中津川沿いに、地上14階建て高層マンション(52戸)を建設中だ。
                                   
 問題のチラシは今月上旬、盛岡市などで配布された。景観問題を所管する市景観政策課は18日にチラシの誤りに気づき、同日午後に同社にメールを送付。ほどなく同社担当者が電話で誤掲載を認めた上で「ご迷惑をおかけした」と話したという。
     同課の三橋一仁課長は青森市出身で、チラシに使われている画像を見て、「一目で岩木山だと分かった」という。「古くから盛岡は岩手山の眺望を大切にしてきた。その山を間違えるとは盛岡市民をばかにしている」と怒りを隠さない。
                                         
他の高層マンションでも景観が問題に
 盛岡市ではこの他にも「赤レンガ館」の愛称で知られる国の重要文化財「岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館」近くで15階建て高層マンション(56戸)の建設が進むなど、古くからの街の景観を大きく変える開発が続く。
 市内の老舗そば店「東家」専務で街づくりの活動をしている高橋大さんは「これまでの話し合いからも『地元を軽んじている』と感じていた。業者には街の景観を一緒に考える姿勢を見せてほしい」と語った。
                                               
 タカラレーベン広報担当は取材に対し「誤った広告を発出したことにつきまして、心よりおわび申し上げます。また、市民の皆様に対して大変失礼なことをしてしまったこと、深くおわび申し上げます」とメールで回答した。』


 以下、筆者ー
 タカラレーベンは、このミスについてメールで盛岡市に謝ったらしいが、メールで済ましてよいのだろうか。
 
 「南部富士」岩手山と「津軽富士」岩木山を取り違えるミスが盛岡市民のみならず、岩手県人と青森県人、正しくは南部衆と津軽衆両方を怒らせてしまったことに気づいた方がよい。同社は両地域の間の根深い黒歴史を知らないらしい。
 
 「南部富士」は旧南部藩の霊峰、「津軽富士」は旧津軽藩、青森県津軽地方の霊峰である。

 近年、両地方の住民の互いに対する嫌悪は薄らいできたものの、「盛岡(南部)藩とその支藩八戸(南部)藩」と「弘前(津軽)藩」はかつては「超」がつく犬猿の仲であった。特に盛岡藩と支藩八戸藩の弘前藩に対する嫌悪感は非常に強いものであった。

 南部氏の分家久慈氏の出と伝えられる「大浦(津軽)為信」はいち早い小田原参陣で豊臣秀吉に取り入り、祖父が近衛氏の猶子であったことも幸いし、もともと南部氏が支配していた津軽地方を手に入れたのである。
 津軽氏は徳川・松平氏、近衛氏との婚姻により中央との結びつきを強固にしていった。

 南部氏からみて陪臣かつ簒奪者である津軽氏に対する恨みは骨髄に達し、石高の増加や位階を巡って争いが絶えず、文政4年1821年、ついに南部藩士下斗米(しもとまい)秀之進、別名相馬大作による第八代弘前藩主津軽寧親(やすちか)襲撃未遂事件にまで発展するのだから、並大抵の恨みではない。(相馬大作事件)

 タカラレーベンは、その両藩が誇った岩手山と岩木山を取り違えてしまったのだから、百年ちょっと前だったら旧両藩民から相当の恨みを買ったかもしれない。
 どんな企業、行政にもあてはまることだが、事業を展開するにあたって、関係者はその地の歴史風土・文化・産業等々について、それなりの知識を得ることは最低限のマナーだと思う。

コメント
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