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朝日記130709 something strange(5)「 われわれはなにを願ってよいか」

2013-07-07 21:26:25 | 絵画と哲学

 朝日記130709 something strange(5)「 われわれはなにを願ってよいか」

朝日記210702  Essay collectives "Something Stranges"  (2013)

                                             (早起き同盟 130708)

おはようございます。きのうは猛烈なあつさでしたね。 大学での旧約を読むの授業中に、節電警報の放送があり 一斉に空調のシャットダウンを要請してきました。


さて、今朝もあついです。 ラジオとスケッチ帳をもって 英字新聞を買って 岡本太郎の「柳の精」のスタチューのある公園で 体操、そしてスケッチして帰ります。

きょうは 木陰の犬をスケッチしてみました。 きのうはスケッチよりもカントの方に気持ちの比重があり その木陰で かれがいうところの「理性」をモデル図を描いていました。概念のための内的なスケッチということになってしまいました。

これだけの散歩でも 家に帰るとシャワーを浴びる期待感がでてきます。 まことに解放的にして大変素敵な気持ちにさせてくれます。そして 朝食です。
夏は6時前の空気が一番よいです。

徒然ごと 
*「理性B」のモデルあそびですが、理性、悟性、感性もひとりの人間がもつ心的能力です。これを 物理学的なヒントで「場」として 考えます。 電磁場でも 静止している水面でも わかりやすい現象モデルで思考のステップを助けてもらいます。 たとえば 鏡面のような水面に 色のついた水滴(インク)がしずかにおちるといったことの想定です。
そのこと(こと自体)を 人間の意識が「対象」として さらに共通事象としての類別(アナロジーやカテゴリーなどの論理的な判断作用をへて共通「現象」として認識しうるかということのからくりを考えてみるといったことです。
このとき最初に意識にはたらくのは ひとまず 「直観(intuitive)」であるとします。出発作用の点(initiative)を 思考空間(領域)上のどこかで仮定しなければ先に進めません。 
多分 スイッチをオンしたらすぐにはたらくようなinitiation用のバッテリーが生体のなかにあるとし、直観機能回路の仮定しなければはじまりません。 結局 「作用」の源をどんどんたどると 実証能力域を超えた領域をひろげていくことは必定となります。 しようがないから ここに思考モデルの境界条件をおき 思考領域を論理的に閉じたものにします。 論理的思考対象のモデルの前提条件になります。


*友人から検討のやりとりで、彼は「理性を鍛えるのは目的か 手段か」という別の切り口がだされました。 考えてみると 人間の認識過程で 主体の人間自身が成長変化(学習)も 設問としてはでることは 理解できます。 つまるところ、「理性B」は「成長モデル」になるかということを さらに考えるというあそびになります。 つまり「理性B成長モデル」です。
*「理性B」のモデルでは われわれが経験する「事象」、たとえば、インクが水のなかで放射状に色がついていく これが進行していくことでの その認識過程を考えてみる図式「表象」です。
*このインクの場合は 物理学でいう「物質の拡散現象」であすが、この「現象」というところまでに 行くためには、感性は 金属板の上の過熱点からのまわりへの温度の 滲み ひろがりなどの感覚からの記憶経験のデータベースがあって その類似と差異を識別するであろうし、また悟性では 概念かして、媒体の種類や温度、圧力など初期条件などによる違いをを数量化してグラフや図式で差異を吟味し、さらに記号(数式をふくむ)などの認識表象(パターン)のデータを経験蓄積します。 これらを指示するのは 「判断力」であるとし、その間の信号の制御のために「判断力」回路があるというモデルになろうかとおもいます。 これの段階では現象仮説(仮象)ですが、法則までにいたれば 「現象」としてたしかな認識基盤をもつことになります。
*つまり、 抽象化 具象化の行き戻りの 悟性⇔理性B回路とモデルはつながっていきます。
*これら全体の「枠(frame)」は 感性 悟性 理性Bの三連の場とそこに働く判断力という ことになります。「理性モデルB」とは このようなモデルといま考えてみました。

*このモデルは 悟性と感性に限定すれば、サイバネティックス理論の登場によって 被制御体と制御のフィードバック自動制御理論とで現代人間社会を覆い、冷蔵庫など家電のすみずみにいたるまで浸透しています。 ’理性Bの部分浸透’です。
*友人の命題は 人間はだれでも 先天的にこの能力が平等に賦与されているのか。 能力abilityは先天的にしても、経験(学習)がなければ 能力は作動しないのではないかという問いいとして理解することにもなります。
*その能力をつけることの意味は それ能力自身が働くシステム状態(system in active available)にしておくために 作動管理(油を挿す)をすること(システム維持型)であるのか, あるいは いま遭遇している特定事象を、認識にいたるために 作動(作戦)演習をして 目的遂行のプロセスのステップとして 作動して経験データをつみながら認識概念レベルをあげていく(問題解決型)のかという問題として理解しました。( 友人の出発点はポイントは人間の「縁」やその「血縁化」でしたから この議論は だんだんそのポイントから とおくなり、いつまで経ってもにはたどりつかない危惧がありますね。)
*カントのテキストである「判断力批判」(フランス革命のつぎの年が上梓です)で、彼がその総まとめで あらたに 「序論」を再提出します。 ここは 総合化視点から、きわめてシステム論的論述で、ものごとの目的を遂行するために上の3能力と1判断力の各能力の構成までに立ちいり、情報信号のメカニズムを図式化します。 そして本人はその時点での彼自身の人生の終焉の見込みから、後の世代への申し送りとしています。 かれのモデルは、このレベルでの「理性Bモデル」といえます。つまり 数学記述などの作動機構にまでいたる記号モデルではありませんでした。

*このあとに ご承知のようにフランスのオーギュスト・コント(August Conte)の実証主義(Positivisme)へ また プラグマティズム(Pragamatism)そしてサイバネティック(Sybernetics)へとすすみますがその 問題の基本形式はObjectives + Subject to の形式です。
*このレベルで 「われわれはなにを知りうるか?」で(Subject to)(;Vision)が対応し、「われわれはなにを願ってもよいか?」で(Objectives)(;Value)が対応します。 そして 最後にこのふたつをあわせた integrationとして「われわれはなにをなすべきか?」(;mission)が みごとに定式化されてたのが 現在の技術社会であると理解します。
*それぞれに 語るべきものの大きさに思いいたしますが、友人からの「無縁化社会」や「血縁化」を考える的は 、まず「われわれはなにを願ってもよいか?」で(Objectives)(;Value)ではないかとおもいます。
*自由経済市場の原則として 基本的には 他者(つまりコモンウエルズ)での調整さえつけば そこではなにを考え、その実現のためになにを計画をたてても自由である、そういう権利があると考えるものであったと理解します。

*話しの趣をすこし変えます。 カントの「判断力批判」は 文豪ゲーテの文学に決定的な影響をあたえました。 個人的なことで恐縮ですが、これは1990のはじめのころ、ドイツ歌曲のレッスンを受け、青山のドイツ文化協会に昼休みにかよっていたころのことです。 シューベルト歌曲にはゲーテの詩が多いです。 それでゲーテを切り口として大英百科事典を読んでみると 彼に決定的に影響をあたえた一人がカントであったことでした。 それで ひきつづきカントへとすすむわけですが、ドイツの外の英国からのクールな記述でこれらを調べることは夏の涼風のように たのしいものでした。
* カントは 人間の願望(理想)と 人間の生活(必需)との間の葛藤をモデル化して
そこからのアンチノミー(二律背反)の克服(弁証的思弁)からうまれる結果を 美学的美として それをAETHETIKという語で位置づけたといいます。 つまり理性Bと判断力の作動をともない現実(必要)と理想(願望)の緊張感のなかでの克服として 人間の道徳と美とへとintegrateしようとしたと説明します。 ゲーテは この思考フレームを採用して 文学のなかで 「ウィルヘルムマイスターの修業時代」などで思考実験したと記憶しています。
*あまり正確ではありませんが マックスヴェーバーの「近代資本主義とプロテスタンティズムの倫理」にも 産業革命を進行させていくプラグマティズムと ゲーテのいう人間性のたかみ(AETHETIK)の間のパラダイム離別を論じています。
*さて、ながくなりましたが、無理やりに 今日の区切りしますと、
ひととのつながり つまり「縁」という問題は もう一度 「われわれはなにを願っていいのか」というカントの次元に しずかに目を向けてみるときではなかろうかというものです。 このつづきはありますが、きょうのsomething strangeの 「投擲」といたします。

徒然ことおわり

朝日記210702  Essay collectives "Something Stranges"  (2013)

 

 

 

 

 

 

 


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