「ユダヤの商法」と言う本をご存知ですか?著者は 「 藤田 田 」氏です。
1972年に発売され現在は廃刊です。yahooのオークションではこの古本690円が現在5250円で取引されていま
す。古本1冊が5250円ですよ。驚きですね。
私も当時この本買って読んでいました。つい最近まで本棚にあったはずがいくら探しても見つかりません。
本の内容はどうすれば儲かるのか?世の中を見渡すと、どうも不景気色が強い。私一人で設けるよりも国民全
員に儲けてもらった方が国の将来のためにはプラスになる。そういうわけでこのユダヤの商法で金儲けの秘訣を公
開に踏み切った。こうゆう内容の本です。あの有名なマクドナルドを立ち上げた人です。
大阪十三の(旧制)北野中学を卒業。(旧制)松江高等学校を経て東京大学法学部へ入学。その時に経験した通訳のアルバイトでユダヤ人米兵の自由な生き方に触れて感動し、東大在学中の1950年(昭和25年)に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立。その後、1971年(昭和46年)に日本マクドナルド、1989年(平成元年)に日本トイザらス(アメリカのおもちゃ専門チェーントイザらスの日本法人)、1991年(平成3年)に日本ブロックバスター(アメリカのレンタルビデオチェーン「ブロックバスター」の日本法人)、日本タイラックを創業する。
当時藤田はマクドナルド、トイザらス、ブロックバスターの頭文字を取って「MTB構想」と呼んでおり、マクドナルドやトイザらスのようなファミリー向けの健全な娯楽としてブロックバスターを展開していたが、日本ではレンタルビデオ市場の35%が成人向けビデオで占められており、日本市場の特殊性にマッチできず結果的には38店の全ての店舗を1999年(平成11年)11月にゲオへ売却し[1]、日本市場からは撤退した。
藤田商店の稼ぎ頭であったマクドナルドの経営においては、日本全国で「価格破壊」を引き起こすなど、経済感覚、会社経営に長けたカリスマ的人物であったが、晩年は日本マクドナルドの業績が迷走するなどそれらに翳りが見えた。
- 小学生のころ,成績は優秀だったが、クリスチャンであった母が教師に付け届けをしなかったため内申書をあまり良い表現で書いてもらえず、一浪して大阪府立北野中学校に入学した。
- 太宰治の死の前夜、バーで会っている。そのときの印象から、ただ単に道を踏み外しただけで、自殺ではないと主張している。
- 東大の学友だった山崎晃嗣(光クラブ経営)に金を貸していたが、自殺直前にきっちり回収したという。また、山崎を唯一「頭のいいやつ」と評している。3桁の複雑な掛け算を一瞬に暗算できたと言われている。
- 高校生であった孫正義の訪問を受け、コンピューター関連を学ぶように助言した。後に成功した孫に食事に招待され、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという[2]。
- 日本語の研究が趣味。日本マクドナルドを創業する際も、「McDonald's」を、正しい発音である『マク-ダーナルズ、または、マク-ダーヌルズ』とせずにアメリカ本社の反対を押し切り「日本語的に馴染みやすい3・3の韻になるよう」に『マクド-ナルド』としたことは有名。
- 「デンと発音して下さい」というフレーズでの自己紹介が有名であった。名刺や新聞広告などで自らが登場した際には、名前のところに「デンと発音して下さい」と必ず明記していた。
- 電車内では気軽に隣席の乗客に声をかける、タクシーに乗ったら必ずドライバーと会話をするなど、情報収集と人に溶け込む能力を常日頃から磨くよう心がけていた。
- 「凡眼には見えず、心眼を開け。好機は常に眼前にあり。」会社の便箋に印字し毎日眺めた彼自身による言葉。
- 母親がキリスト教徒だった事から、「口」に「十字架」で十字架のメッセージを語れるように、という意味で「田」という名前になったとされている。
- 遺産総額は、約491億円。歴代6位だった。
- 長男の藤田元は藤田商店社長、東京タワー蝋人形館館長。
- 最初の10年は毎月5万円、次の10年は10万円、次の10年は15万円と積立預金を30年間して、約一億円貯めた。